3.0
いたって普通
短編集。
尺の都合なのだろうが、ちょっと展開が性急で、しっかりホラーの雰囲気を作れていないように感じる。
タイトルで謳うほど後味が悪いわけでもなく、いたって普通のホラー漫画だった。
こちらとしても別に「それ以上」を期待して読んだわけではないので、まあいいのだが。
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短編集。
尺の都合なのだろうが、ちょっと展開が性急で、しっかりホラーの雰囲気を作れていないように感じる。
タイトルで謳うほど後味が悪いわけでもなく、いたって普通のホラー漫画だった。
こちらとしても別に「それ以上」を期待して読んだわけではないので、まあいいのだが。
交通事故で記憶を失った男。
その男のストーカーである女性が、恋人になりすます、というストーリー。
個人的には、「ストーキング」と「一途で情熱的な恋」の境界なんて、結構曖昧なんじゃないの、と思っている。
そんなもの、相手側の都合でいかようにも変わり得る。
男性の皆さん、想像して下さい。
職場から家までの帰り道、あなたの後ろをそっとついてくる女性がいます。
彼女は通勤電車であなたに一目惚れしたのですが、内気なせいで、なかなか声をかけられないのです。
古風な一面もあって、女性の方から声をかけるなんて、と恥じらってもいるのです。
しかし、彼女は感じています。
あなたのこそが、運命の人なのだと。
ちなみに彼女は全盛期のスカーレット・ヨハンソンのような美貌とプロポーションを持ち合わせています。
どうですか?
彼女の一途な秘めた想いが胸に響きませんか?
ついでに美貌とプロポーションも響きませんか?
ほら見ろ!
簡単に騙されやがって!
そいつはストーカーだ!
まあ、それはいい。
それはいいのだが、「ストーカーに愛なんてない」というのは、いささか極論に過ぎると思う。
適切でない愛し方を全て「愛ではない」と決めつけるのが、私は好きではない。
だから、本作の主人公のストーカー女性を、私は応援していた。
やり方はフェアではないが、真っ直ぐだし、可愛らしいし、ひとつの愛情の形として認めてあげたかった。
というふうに、この漫画に誘導された。
が、そのあたりで、不意に狂気の描写が来る。
ここが、本作の巧みなところである。
怖い。
やっぱさっきのなし、真っ直ぐどころか三回転半くらい捻ってる。
ヤバい、この女はやめとけ。
でもなあ…というふうに、ストーカーに対する非常に微妙な感情を煽られる漫画。
それはつまり、何をどこまで愛として認めるか、という永遠の問いを、読者に投げかけることに他ならない。
そういう意味では、なかなか奥行きのある作品だと思った。
人の死が一日前に「見えて」しまう少女のストーリー。
以前、この作者の「死にあるき」という漫画のレビューで、私は「主人公の朱鷺子は他のどの漫画のキャラクターとも明確に違う、そのキャラクターの完成度は突出しているが、漫画としての表現が追いついていないように思う」という意味のことを偉そうに書いた。
本作で、作者は、飛んだ。
それは、ほとんど驚愕を覚えるほどの飛翔だった。
まず、画力の著しい向上。
何と言っても、これに尽きる。
最初、私は同じ作者の漫画だとわからなかった。
読んでいくうちに、死を巡る表現に既視感を覚えて、もしや、と思って確認して、「死にあるき」の人だ、とやっとわかった。
主人公の造形も、全く違う。
皐月は、朱鷺子ほど強くなれないし、冷たくもなれない。
朱鷺子のように圧倒的にぶれない軸もないし、達観もしていない。
私たちの多くと同じように、傷つき、迷い、それでも目の前の誰かを死なせまいと、死の影にまみれながら、懸命に生きようとしている、その健気さと、可愛らしさ。
朱鷺子は、絶対的に孤独だった。
しかし本作は、本来誰にも理解されないはずの皐月を、決して独りにはしなかった。
その選択は、正解だったのではないかと私は思う。
「死にあるき」が、ただ死を見つめ、死者の中を闊歩する少女の物語だったとすれば、本作は、死者のど真ん中で、ただ死を見つめることなんか出来ないと心に決めている少女の物語である。
「死にあるき」は、絵としても、作品のトーンとしても、どちらかと言えば陰鬱で、そこはかとなくカルト作品の雰囲気を漂わせていた。
だが、本作は、考えられないくらいポップな地平で展開される。
徹底的に死を扱いながら、これほどまでにポップな作品なんて、他にコナン君くらいのものではなかろうか。
それでいて、死を巡る切れ味鋭い作品の展開は、バリバリに健在である。
そこには、賛否あるだろうと思う。
よくも悪くも、「死にあるき」の朱鷺子、あの「寄らば斬る」とでもいうような尖った魅力があるかと言えば、ノーである。
ゴリゴリのパンクロッカーが、ダンスポップをやり出したような違和感も、ちょっとある。
だが、そのダンスポップの中には、パンクロックの精神が、確かに生きている。
私はそう思うから、この素晴らしいポップソングを、心の底から称賛する。
人の写真を指で押すとよからぬ影響を与える、という特殊能力を持った、神社の息子の兄弟の漫画。
「デスノート」の亜種みたいなものかと思って読み始めたが、全然違う。
作品の手触りはサスペンスというより、むしろヒューマンである。
そういう意味では、表紙が悪い。
「気に入らない奴はどんどん消してやるぜ…この指でな!」みたいな表紙じゃないですか?
主人公の能力者兄弟はいたって好青年で、「デスノート」の夜神のライちゃんみたいな野望もなく、ああいう道徳心の欠如したサイコ系でもなく、自らの能力を恐れ、葛藤しながら生きている。
ストーリーは正直、もう一捻り欲しいし、無理があるところもあるけれど、人間らしい兄弟の好感度が助けとなって、なかなか気持ちよく読めた。
ただまあ、登場人物たちの顔の描き分けは、ちょっと気になる。
まず、絵がおかしい。
素人目で見ても、不意に人体のパーツがあり得ないバランスになっているコマがある。
ギャグ漫画でキャラが不意に二頭身になるような表現方法があるが、それに近い。
だが本作は当然、ギャグ漫画ではない。
じゃあ何なの?
いわゆる「どんでん返し」系が売りの漫画だと思うのだが、残念ながら、タイトルから壮絶なネタバレである。
最初のエピソード、オチを予測できなかった読者、いるのだろうか?
そんなバレバレの展開を、「どうだ!」みたいに、しかもバランスの狂った人体でやられても、正直、反応に困る。
不幸な人間が座敷童子に出会い、望みが叶って別の人生を得るが、代わりに誰かが不幸になる。
要するにこの漫画の座敷童子は、他人に不幸を移してくれる「笑ゥせぇるすまん」みたいな位置づけである。
世の中の不幸の量は一定であり、自分がそれを手放せば、誰かが背負うことになる、という世界観というか、物理学のエネルギーの保存みたいな法則の上に、この漫画は成り立っている。
そこはまあ、面白いといえば面白かった。
しかし、そのルールによる「縛り」があるゆえに、話としては毎回、「他人に不幸を押しつけて自分の幸福を叶えていいのか」という葛藤の問題になる。
というか、それ以外の焦点がない。
最初はちょっと目新しく感じたが、このワンパターンを毎回やられると、さすがに飽きる。
もうちょっと何とかならなかったのか、と思うが、設定が設定である以上、このワンパターンは宿命だったような気もする。
大学の頃、ちょっと民俗学をやっていた。
「犬神筋」が生まれた背景は、単純化して言うと、江戸時代、貨幣経済という新たな波に乗っかって一気に裕福になった人間を理解できない(貨幣経済そのものが理解できない)農民たちが、「あの家は何か人ならざるものの力で金を得たに違いない」と考えて、成り上がりの豪農の家を「犬神筋」と見なすようになったのだ、という説がある。
つまり「犬神筋」とは、閉鎖的な共同体における新たな成功者に対する嫉妬や不信感から生まれた差別の言説である、というわけだ。
これはひとつの仮説であるが、何にせよ、「犬神筋」は民俗学的にはとても面白いテーマである。
それを、である。
この漫画は「犬神筋」を、ガキっぽい少女漫画を盛り上げるための小道具くらいにしか扱っていない。
私は自分の好きなものを汚されたような気がして、腹が立った。
こういう物言いはあまり好きではないが、もう少し勉強してから描けや。
私はデーモン小暮の口調で、「お前も犬神筋にしてやろうか!」と言いたい。
マヨネーズの涙が出たり爪が唐辛子になったり、という「怪病」を主人公が解決する、というストーリー。
基本は一話が短く、サクサクとテンポよく読んでいける。
私はこういう形式の漫画がわりに好きである。
「怪病」の設定自体は前述したように荒唐無稽だが、病の原因は、作品の文脈の中ではきっちり筋が通っていて、それが妙な納得感を与えてくれる。
「病は気から」などと言うが、そのファンタジー版みたいな作品の着想は、なかなか面白かった。
また、「設定だけは新しいけれど…」という作品が山のようにある中で、本作は、「設定以外」もパリッとしている。
それを支えているのは、作品としての温かさだと思う。
怪病に苦しむ人々の描き方に、とても愛情を感じる。
考えてみれば、この漫画で描かれる怪病を患う原因なんて、私たちの多くが抱えているのではなかろうか。
それでも、「そんなこと」で病気だなんて言っていられない、というような日々を、私たちの多くは送っているのではなかろうか。
本作の怪病というのは多分に、我々が持ち得る様々な悩みや迷いや苦しみのメタファーなのだろうし、その患者たちへの優しさというのは、何とか日々を生きている人間そのものへの優しさのように感じられて、私は好感を持った。
「子どもの頃にネット上に書いたことが大人になってから現実化してきてヤバい」というストーリー。
正直、その設定自体も大してインパクトはないし、設定何でもありの不条理なサバイバル系漫画の亜種みたいなものとしてダラダラ読んでいた。
が、事件が超常現象的なそれではなく、あくまで人為的に起こされたもの、つまり「犯人」がいる、という展開になってからは、ちょっと面白かった。
ストーリーは、冷静に考えると突っ込みどころは多すぎるが、そこはまあ、勢いで何とかごまかせている。
ただ、どうにも気になるのは台詞回しで、「いや、現実世界ではそんなこと言わないだろ」という台詞が多すぎる。
もちろん、漫画なので、漫画なりの台詞というのはあっていいのだが、程度問題であって、ギャグ漫画でない限り、あまりに現実と乖離した台詞のオンパレードは、私は苦手である。
金が必要な二人の女子が様々な裏バイトに手を出すのだが、毎回そのバイトがホラーである、という漫画。
あまりに凄い作品で、脳が何かしらのダメージを受けたような気さえした。
これ以上のホラー漫画というのを、ちょっと思いつけない。
恐怖の題材とその語り口も、また、恐怖描写そのものも、オリジナリティーとバリエーションが突出している。
ホラー漫画は結構読んできたが、どこでも見たことがない、というホラー表現をこれだけ連発された記憶がない。
それでいて、グロ描写には全く依存していない。
本作はホラーを「気持ち悪い」にも「痛い」にもすり替えない。
ただただ、愚直なまでに、あるいは崇高なまでに、「怖い」で勝負しようとし、そして、圧勝している。
恐怖に殉ずる。
その気高さと、圧倒的な自信と、技術。
主人公二人のゆるい雰囲気と、硬質なホラー描写の絶妙なバランスといい、はっきり言ってセンスの塊のような漫画だし、あまりに完成されすぎていて、ホラーとは別の意味で、何だか怖い。
読む者すら拒絶するような完璧さを感じてしまう。
この世に、まだ私の知らなかったホラー表現がこれほど豊富にあったことに、そして、それがたった一人の人間によって生み出されているという事実に、私はホラーファンとして、心の底から感動した。
ホラー漫画が本当に怖かったのなんて、子どもの頃だけだ。
もうあの気持ちは永遠に戻らない。
それは、ずっとわかっていた。
わかっていて、それでも私は、惰性のような愛着だか愛情だかを捨てきれずに、ホラー漫画を読み続けてきた。
この漫画に感動できたのは、数多のホラーを読み漁ってきたからこそだ。
これが初めて読んだホラー漫画だったなら、私はここまで深く何かを感じることは出来なかった。
幼い頃のような恐怖は味わえなくても、何度飽きても失望しても、ホラーを読むのをやめなくて、本当によかったと思った。
ホラー漫画を読んでそんなことを感じたのは初めてだし、二度とないだろう。
設定により、一部のジャンルや作品が非表示になっています