5.0
差しのべられたその手を
本作は、軽度の知的障害を抱える21歳のキャバ嬢「みいちゃん」を中心に動いてゆく。
彼女の作中における位置づけが、まず素晴らしい。
本作は、知的障害というモチーフを、漫画として収まりのいい、無難な位置に落ち着けない。
みいちゃんは「ちょっとズレていて周りを振り回すけど天真爛漫ないい子」でもなければ、「ハンデを抱えながらも懸命に生き抜こうとするヒロイン」でもない。
作者の視線は恐ろしく正確で、冷徹だ。
可愛らしく描かれてはいるが、みいちゃんの生き方の深刻な「救えなさ」は絶望的である。
知的障害というだけで、ここまで搾取され、人生を損ないながら生きなければならないのか、と。
その「答え」が、簡潔に、また明確に提示されている点にも、好感を持った。
「出会う人間と、本人の決断次第」。
実のところその本質は、障害を持たない人間のそれと変わらない。
みいちゃんはどこで間違えたのか。
どこで機会を見逃したのか。
差しのべられた手をいかにして振り払ったのか。
確かに不運はあった。
周囲に酷い大人もいた。
酷い子どももいた。
彼らは確かにみいちゃんを追いつめ、あるいは無視し、あるいは考え得る限り最も薄汚い方法で利用した。
それは残酷で卑劣で致命的な間違いだった。
だが、みいちゃんもまた、間違えたのだ。
そして、作品の構成として極めて重要なのは、みいちゃんは冒頭で既に死んでいる、という点だ。
これによって、本作はいささかのサスペンス的な色合いを帯びつつ、作中のあらゆる場面が凄みを増している。
作中で綴られる、みいちゃんの小・中学校時代は、「もしもこのとき…」という読者の感情を幾重にも喚起するように作られているが、冒頭の構成によって、それらが単なる「胸の痛む回想シーン」ではなく、「もしも…」がよぎる度にみいちゃんの死が脳裏にオーバーラップする、というギミックになっている。
これはちょっと、凄すぎる。
先に私は、作者の視線を「冷徹」だと書いた。
しかし同時に、障害があるとかないとかを超えて、「個」としての人間に対する愛情というものがなければ、こういう作品は描けない。
その意味で、山田さんという主人公は作者の視線の完璧な反映だと思うし、語弊があるかもしれないが、「救ってはあげられない、出来るのは、無責任に愛することくらい」というような切ないその立ち位置が、私は好きであった。
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みいちゃんと山田さん