2.0
ペラペラの邪悪
復讐モノは、エンタメとして描かれる限り、復讐する側に読者が感情移入できるような作りが基本になる。
だから、「悪役」の造形は極端になりがちだ。
「こんな奴、復讐されてもしょうがないよね」と思ってもらう必要があるからだ。
まあ、それはいい。
それはいいのだが、ここまで極端な上に薄っぺらいと、本当に冷める。
主人公の夫や姑のキャラクターは、嫌な奴とか悪い人という枠を超越して、もう、邪悪な何かである。
何でもかんでも悪く描けばいい、というものではない。
「現実枠」の物語において、過剰な「いや、そんな奴おらんやろ」は大きな瑕になる。
また、困ったことに、本作の邪悪にはどこまでも「作り物」の薄っぺらさがつきまとう。
例えば「ジョジョ」のディオ・ブランドーは邪悪だ。
プッチ神父も邪悪だ。
しかし、彼らを誰も「薄っぺらい」とは言わない。
そういうことである。
何もディオやプッチ神父を描けと言いたいわけではない。
ただ、浅いにもほどがあるぞ、と言いたい。
なお、そこまで極端な悪役たちを配しておいて、主人公に感情移入できるかと言えば、それも非常に厳しい。
こんな邪悪な人間たちと家族になり、何となく生きていて、挙げ句、かつての憧れの先輩にあっさりときめいて騙される。
そんな人間に対して「阿呆か」という以上の感情を抱くのは困難であって、私は早々にギブアップした。
やれやれだぜ。
- 11
裏切り者に復讐の花束を~絶対に許さない~