5.0
ノスタルジア、そして、戦う子ども
この原作者の漫画化作品は「死者恋」「フクロウ男」と読んできて、これが三つ目。
「フクロウ男」も結構凄かったけれど、本作には完全にやられた。
話としては、いわゆる「ループもの」で、主人公の少年は、友達を救うために、同じ一日を何度も繰り返す。
私はそもそも短編小説という表現形態が好きで、短編小説の良質な漫画化も好きである。
その点から言えばもう、本作は満点という他にない。
何がいいって、作品の空気感がいい。
ピンポイントの世代で言えば、私より少し上の年代により刺さるのだろうが、描かれているのはほとんど普遍的と言って差し支えない、あなたや私の「あの頃」であり、そのノスタルジックな手触りは、絵柄と相まって、とても魅力的に映った。
そのノスタルジアと、反復される友人の死、というもの悲しいファンタジーが、一種特異な世界観を創出している。
思うのだが、子ども、という存在は、大人ではあり得ない種類の戦いみたいなものを、日夜続けている気がする。
その大半は、大人になってしまった我々の目からは些細な問題に映るので、私たちはいつしか、その壮絶さを忘れる。
「下らないことで悩んでたよね」と。
しかし、大人がどれほど子どもを笑っても、あるいは自らの幼さを自嘲的に振り返っても、やはりそこには過酷な戦いがあったのだと思うし、その欠片くらいは忘れたくないと私は思う。
子どもと関わる人間であるなら、なおさらだ。
本作が描いたのは、「昨日」が繰り返されるファンタジーであるのと同時に、大人には決して理解されることのない孤独な戦いを続ける少年の、つまりは、かつてのあなたや私の、普遍的な物語でもあったと思う。
そういう意味で、本作は、戦い続ける子どもたちへのアンセムであり、その戦いを終えた大人たちへのレクイエムでもある。
作品において「子ども」を描く、ということについて、これ以上に誠実な視線というものを、私はあまり知らない。
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昨日公園