5.0
パンドラの箱の底
(※レビュー訂正)
大絶賛する気にはなれなかった。
人に薦める気も起きなかった。
ただ、心には、残った。
私は本作を、基本的には「ドラえもん」へのアンチテーゼとして読んだ。
タコピーのハッピー道具は主人公を何ひとつハッピーにせず、あろうことか「仲直りリボン」は首_吊りに使われ、「ハッピーカメラ」は撲殺の凶器になる。
主人公の生活や、いじめっ子の家庭環境の描写も陰惨極まりなく、アンチテーゼを超えて「悪意あるパロディ」と言った方がしっくりくるほどだ。
主人公の名前「しずか」だぞ、おいおい。
ひとつは、時代かな、と思う。
いささかネガティブな物言いになるが、「こんなこといいな、できたらいいな」の時代は、終わったのかもしれない。
よくも悪くも、私たちは知ってしまった。
人間が便利な道具でハッピーになれるわけではないことを。
21世紀になってしばらく経って、人間は結構な「こんなこと」が出来るようになったのに、別に対して幸せになれてないじゃん、と。
残酷ないじめも児童虐待も、戦争と疫病すら、なくなってないじゃん、と。
主人公は、ハッピー道具に見向きもしない。
単に「魔法」の存在を信じていないのではない。
彼女がその身を浸しているのは、仮に魔法があるにせよ、それが自分を幸せにしてくれることはない、という諦観だ。
彼女の姿は、テクノロジーがもたらすキラキラの未来からはとっくに拒絶された私たちの姿、そのものなのだと思う。
そしていつの時代も、一番傷ついて生きるのは子どもたちだ。
子どもには傷つく権利があり、その能力もあるからだ。
それはそうなんだけど。
わざわざ作品にする必要、あるのか?
ずっとそう思いながら、読み続けた。
でも、最後まで読んで、印象が変わった。
これはもしかすると、現代を生きる子どもたちへの応援歌なんじゃないか、と。
現実はこんなに上手くはいかない。
その批判はわかる。
「対話」なんてものに大した力はない。
それもわかる。
私もそう思う。
しかし、かつてドラえもんが提示した希望を完全に否定しながらも、本作はきっと、希望を持つこと自体は、捨てられなかったのだろう。
ドラえもんの否定というパンドラの箱の底に残っていたのが、「伝え合う以外にない」ということだったのだろう。
その希望の是非はともかく、その希望の見出し方は、私は嫌いではなかった。
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30
タコピーの原罪