5.0
埋められない喪失
漫画を読んでいて、「よくこんなものを表現できるな」と衝撃を受けることがある。
それは、人間の感情だったり、本質だったり、生き様みたいなものだったり、その美しさや醜さや強さだったり、まあ、言葉で表せないものも多いのだけれど、私がこの漫画から感じたものにもし言葉を与えるなら、それは、人間の、業、ということになると思う。
善とか悪とか、そういうものを飛び越えて、それを背負って生き抜いてゆくしかない、という種類の、業、である。
現代を舞台にした漫画を読んだはずなのに、私は、例えば仏教の説話とか、クラシックな寓話を読んだような気持ちになった。
この漫画には、「特異な」人々も出てくるけれど、特殊の中に紛れもない普遍がある、という作品だと感じた。
そのような作品こそが、やがてクラシックになってゆく。
読み終えた後で、作者の岡崎京子が、不慮の事故によって、漫画を描けなくなったことを知った。
これほどの才能が、どうして奪われなければならなかったのか、私はそこに何の救いも必然性も見出だせなかったし、ただただ、その事実を悲しむことしか出来なかった。
漫画の世界がこの作者を失ってしまったのだという決定的な喪失感は、程度の差こそあれ、多くの読者にとって、完全には埋まらない種類の空白なのではないか、とすら感じた。
それほどに強烈な作品であり、非凡な才能だった。
しばらく前に好きになったバンドの曲に、こんな歌詞があった。
「繕いもせずに
産声をあげる赤ん坊のように
成りたくて 成りたくて
初めて手にした
岡崎京子のPinkを理由にするには
十分過ぎた」
そんなふうにして、本物は語り継がれ、生き残ってゆく。
しかし、それをもって何かの救いにするには、私という人間は、未熟に過ぎた。
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