1.0
極刑賛成率異常国
それが日本の文化であり長年染み付いた体質。
諸外国と比べて異常なまでに極刑賛成率が高い国、日本。
失態の責任を取る、ケジメをつける、そのために自分の腹を切る。
自殺を美学と曲解し、命を軽んじる。
自分の行動を戒める、精度を上げる等、気の引き締めの為なら思考回路的にはほとんど問題ないだろう。
『決死の覚悟』など、集中力の高さが窺える。
しかし『失敗=死』に繋がってしまい、個人の範囲ならそこまで問題なかった事が、自他ともに束縛してしまっている。
間違った行動をした者は排除。
人をあやめたらあやめる。
暴行したら暴行。
殴ったら殴る。
目には目を。
背景は一切加味しない。
そもそも概念・哲学の無い動物は、これに当てはまらないのだろうか。
当てはまらないのであれば、元は動物だった人間であり、本能の部分は無くなっていない。
なぜ起きたのか。
その行動に至るまでの環境が問題。
じゃああなたは自分の大切な存在がその様な目にあっても、罪を憎んで人を憎まず、が貫き通せるのか?
出来るわけないでしょう。犯人を殺したくなるに決まっているでしょう。
殺した後は何が残る?
崇高な行為をした?
世の見本になる?
自分の心はどうなる?
被害者遺族も加害者になる。
そしてまたその被害者遺族が加害者になる。
復讐は連鎖する。
永遠に生産性のない負の感情を生み続ける。
犯罪者を擁護するつもりはない。
しかし未然に防げるシステムから目が背けられてしまう。
いつまで経ってもその繰り返し。
逆に今現在、卑劣な犯罪を行なっている者に対する抑止力を期待するものなのか。
復讐作品が溢れている。
そもそも確実な証拠というものも、個人で確立させるのは無理な話。
人間というものは、隣の部屋で何が起きているのかさえも分からない存在。
集めた情報は、どれだけ精度を高めてもやはり偏っているもの。
目には目を、ではなく、その先に待つ現実を刻まれる事を、深く考察する世の中になってもらいたい。
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