5.0
玉に傷
少年漫画として、ほとんど完璧だと思う。
異様な休載の多さを考慮しなければ、私には非の打ち所が見つけられない。
それを「玉に傷だよね」と笑って許せるかどうか。
私は、余裕で許してしまう。
作者がどんなに不誠実でも怠惰でも傲慢でも(本当にそうかは別だけどね)、生まれてくる漫画が、あまりにも素晴らしいから。
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少年漫画として、ほとんど完璧だと思う。
異様な休載の多さを考慮しなければ、私には非の打ち所が見つけられない。
それを「玉に傷だよね」と笑って許せるかどうか。
私は、余裕で許してしまう。
作者がどんなに不誠実でも怠惰でも傲慢でも(本当にそうかは別だけどね)、生まれてくる漫画が、あまりにも素晴らしいから。
先に言っておくが、私は本作にムカついているので現在いささか機嫌が悪く、かなり性格の悪いことを書く。
登場人物をわざわざプリンだとかババロアだとかで表現しているのがアイデンティティーなわけでしょう。
離婚というシリアスな物事をゆるい絵で描いてみたよ、と言いたいわけでしょう。
だったらコメディとして機能していなければしょうがないと思うのだが、はっきり言って絶望的につまらない。
こういう系の漫画に対して私が感じることは大体いつも同じだ。
大人はもう少し自分の人生に責任を持て。
夫がクズのような人間だった。
はいはい、気の毒ですよ。
しかしだ、何かを自分の意思で選んで失敗した責任を、全部誰かのせいにして生きてゆけるほど、私たちの人生はイージーモードではない。
例えば、ギャンブルに大金をつぎ込むことを選んで失敗した。
それって、そこまで同情されるか?
「自業自得だ」ってならないか?
結婚なんて、自分の人生を賭けた一種のギャンブルだろう。
誰に強いられたわけでもない、義務でも何でもない、ただ、一人の相手に、自分の人生というチップを賭けて、そして、負けたんだろ。
それが相手だけのせいなのか。
競馬で負けて、責められるべきは馬なのか。
私は何も、全てお前の責任だ、と言いたいわけではない。
人生には不運もある。
だが、運・不運に左右される物事を引き受ける覚悟がなければ結婚なんてすべきではないし、それに敗れたなら、百歩譲って、責任は二人のものであるべきだ。
一方だけを悪者にするのはフェアじゃない。
相手がどんなに酷い人間であってもだ。
繰り返す、そのクズに賭けたのはお前だぞ。
離婚直前、イケメンの医者になっていた初恋の人、じゃなかった、ケーキに出会って…という終盤の展開は冗談抜きで吐き気がした。
ご都合主義だから、ではない。
可哀そうな私にはこれくらいいいことあってもいいわよね、という腐った被害者意識が透けて見えるからだ。
いい加減にしろ。
お前なんか焼きプリンにしてやる。
何も知らずに読みたかった。
が、私は頭から「娘、または娘と夫の両方が死んでいるのでは」と疑いながら読み進めた。
夫死亡説は離婚届のくだりでどうやらなさそうだったので、そうなると、娘一択。
そういう目線で読んでいれば、必然的に、消費されない朝食とか、溶けていくだけのクリームソーダとか、主人公を奇異の目で見る周囲の様子とか、伏線は目につく。
結果、よく出来ているな、という一定の感心はしたけれど、サプライズは得られなかった。
娘の死に気づいたのは、私が鋭いからではなく、他のレビューによってである。
さすがに、ネタバレありのレビューの中身は読まなかったが、レビューのタイトルなどで皆が「6話が」「6話が」と書いていれば、どうしても目に入るし、「嗚呼、これは6話でどんでん返しがある漫画なのね」という先入観は、どうしても出来てしまう。
漫画、というか、作品におけるサプライズには、大きく二種類ある。
ひとつは、作品に「どんでん返しがある」という前提で見ても、成立するサプライズだ。
推理小説もサスペンス映画も、基本のサプライズというのは、こっちだ。
読者や観客は、作品が自分たちを騙そうとしているな、という前提で見るし、あとは読者・観客の想定をどう裏切れるか、という勝負になるわけだ。
もうひとつは、「そもそもどんでん返しがある作品だと思っていなかった」という種類のサプライズだ。
推理モノやサスペンスとは違って、「えっ、そういう話だと思っていなかった」というサプライズである。
本作は完全に、後者だ。
そして重要なのは、後者の場合、「どんでん返しがある」ということ自体がネタバレなのだ、ということだ。
問題はそのどんでん返しの内容ではない。
どんでん返しがあると知ってしまった瞬間、サプライズのかなりの部分が失われるのである。
今まで結構な数のレビューを書いてきて、他のレビューに恨み言を言うようなことはほとんどなかったのだけれど、今回はちょっと、残念だった。
まあ、本作の場合、そのどんでん返しは「オチ」ではなく、言わばスタートのようなものなので、今後が楽しみなことに変わりはないのだが。
まず、元受刑者の造形がいい。
この漫画は、不運にも犯罪者になってしまった善人と、その社会復帰を支える保護司の人情物語、ではない。
元受刑者は、極悪人ではないにせよ、読者が全面的に同情できるような悲劇のヒーローでもない。
微妙だ。
気の毒ではあるが、正直、「そんなザマやから犯罪者になんねん」と言いたくなる面もあり、その微妙さが、罪と、それを許すことの難しさや複雑さを、私たちに問いかける。
また、この漫画で、保護司は無償なのだと知り、愕然とした。
はっきり言って、私なんか、百万回生まれ変わっても、そんな仕事を無償ではやらない。
そんな大切な仕事がボランティアに依存しているとは、知識もない中での感情論で申し訳ないが、国家のシステムとしてトチ狂っているとしか思えない。
ただ、主人公の「無償なのにやる、ではなく、無償だからやる」のだ、という主張には、ハッとした。
読んだところまで(13話)ではまだ明らかになっていないが、この主人公自身もおそらく、何かの罪を抱えているのではなかろうか。
それが、社会的に裁かれる罪かどうかは別にして。
「無償なのに」ではなく、「無償だから」。
そういう生き方も、あるいは、償い方も、あるのだろう。
繰り返し、私は百万回生まれ変わっても、そんな生き方は出来そうにないのだけれど。
いじめが原因で命を落とした兄、それをきっかけに崩壊した家族。
その復讐を果たすため、優等生だった兄になりすまして高校に入った不良の弟の壮絶なリベンジが…などと書くともっともらしいが、いや、兄が死んだのばれてないんかーい。
とか、全国模試で上位にいるような優等生の兄が、不良の巣窟みたいな高校に通ってたんかーい。
とか、もう、設定段階からゆるゆるである。
復讐の舞台となる高校も、フリーザみたいな不良のボス(こいつがなぜか敬語でしゃべるものだから、余計にフリーザを彷彿とさせる)がいて、やれ親衛隊だの、やれナンバーズだのと、今どきRPGでもやらないんじゃないかという設定具合で、シリアスな復讐物語、という作品の方向性は完全に死んでいる。
これをギャグでやっているならハイセンスだが、大真面目だから、寒い。
個人的な加点ポイントは、絵だ。
賛否あるだろうが、「雑なデッサンをカラーにした」という感じのザラッとした絵柄は、なかなか魅力的に映った。
逆に言えば、この絵を受けつけない読者にとっては、本作を読む価値は皆無に近いと思う。
ただ、主人公の復讐劇が、基本的に暴力を行使するものである以上、殴るシーンに全く迫力がないのは、いささか致命的に思われた。
この世で最も嫌いなもののひとつがカルト宗教である。
だからもう、主人公がそれに立ち向かうという設定だけで、私は全力で応援してしまう。
妻をカルト教団から取り戻すなんてもう、感情移入の度合いが激しくなりすぎてヤバい。
本作の主人公は、一見すると何かイマイチやる気のない感じが、逆にリアリティーがあってよかった。
たぎるほどの正義感とか、燃え盛る妻への愛とか、そういうものをストレートには描いておらず、かなり抑制した描き方をしながら、その根っこには譲れないものがちゃんとあるのだ、ということが伝わる。
私はそういう表現というのが好きだし、特に「大人」に向けての作品は、そうであるべきだとつくづく思う。
カルト教団の造形も、まあ、いくぶん漫画的な誇張というか、「いくら何でもそりゃないだろ」というところはあるにせよ、その薄気味悪さ、躍動的な嫌悪感を撒き散らす様は、なかなか面白かった。
余談だが、最近「カルト・オブ・ザ・ラム」という「カルト教団の教祖になる」というゲームをやって、これがたいそう面白かった。
カルト宗教大嫌い、なのに、カルト教団の教祖になるゲームは嬉々として遊べる。
人間の(私の)こういう柔軟性というかいい加減さというか、実に興味深いし、恐ろしい。
「自分だけは大丈夫」なんて思わずに、肝に銘じて生きていかないとね。
いや、マジな話。
家庭で妻と娘から虐げられている夫の話。
夫はその理由がわからず、悩みながら生きている。
まあ、好きに悩んでくれたらいいけど、いくら何でも都合がよすぎる展開に、正直うんざりした。
駅のホームから落ちかけた主人公をナイスバディーの美女が助けてくれて、待ち合い室で話を聞いてくれて、「それってDVじゃないですか」などと差し出がましいことを言い、翌日にはSNSの投稿から主人公の居場所を突き止めて、自分を傷つけるような家族は捨てちゃったらどうですか、などとほざく。
何なんだお前は。
主人公の娘は不登校だが、久しぶりに登校したら転校生のイケメン(ちなみにこいつは主人公を助けたナイスバディーの息子)が突然、友達になろう、と手を差しのべる。
その日の夜には、深夜のファミレスで話し合っている両親の会話を盗み聞きしたい娘のために、繰り返し、深夜のファミレスまでノコノコ来てくれる。
何なんだお前ら親子の即効性の高いバイタリティーは。
登場人物たちの苦しみも悲しみも怒りも、全てがご都合主義の作り物で、まるで血が通っていない。
何の共感も同情も感情移入も出来ない。
なぜならここに描かれているのは、人間の感情ではないからだ。
「ヒル」という存在の設定は面白かった。
ただ、「ヒル」がゴロゴロいたり、仲間を形成していたり、という設定には、ちょっと冷めた。
「なさそうだけど、あるかも」という際どいラインを完全にオーバーして、「いや、ないだろ」に行ってしまった。
もっとも、他にも「ヒル」がいることにしないと、どう話を展開させるかは難しいけれど。
「ヒル」という存在は、深読みしようとすれば、居場所のない若者とか、社会的なマイノリティーとか、色んなメタファーがよぎるけれど、この漫画は、シンプルに、一人の女の子が「普通に生きる」覚悟を決める話でもある。
「僕たちがやりました」もそうだけれど、「普通に生きる」ことの難しさというのは、現代のひとつのテーマなのかもしれない。
特殊な方法で生き抜く、客観的にはかなり不気味な存在を扱いながら、主人公の成長物語としては非常に爽やかであり、その微妙なバランスは悪くなかった。
酷評されているラストだが、物語は断ち切られ、それでも日々は続いてゆく、というような印象で、個人的には好きであった。
めちゃくちゃ面白い。
「凪」でも感じたけど、この作者は、人間のちょっとした、でも、すごくクリアで、大切で、絶対に無視できない感情みたいなものを、とんでもないくらいリアルに描く。
その感情が溢れる瞬間を、びびるくらい正確に切り取る。
凄い。
どういう才能なんだ。
いや、ちょっと、言葉に出来ないくらい、本当に凄い。
それでも、読んでいて浮かぶ気持ちに言葉を与えるならば、平凡だけど、「切ない」ということになると思う。
ただ、その切なさの純度が、半端じゃない。
「悲しくて、切ない」とか、「甘く、切ない」とか、「切なくて、やりきれない」とかじゃなく、100%、切ない。
だからその切なさは、突き抜けて、もう、ただ爽やかだ。
読んでよかったなあ。
何だか、足りないものも余計なものも何もなくて、全てが満たされたような気分になった。
ちょうど、人生の特別な場面で、完璧なビールの一杯を飲み干したときみたいに。
学生時代、オリジナルの大ファンだった。
明智警視や剣持警部を主人公にしたスピンオフなら誰でも思いつきそうなものだが、まさか「犯人」を主役にしたコメディとは、目からウロコである。
その発想がまずよし。
オリジナルの「金田一少年の事件簿」は、一部を除いて「復讐」という大義名分を掲げた犯人が大半だったこともあり、基本的には、堂々と、凛として、金田一と対峙した人物が多かった。
それは、漫画のキャラクターとしては格好がつくが、どこか人間らしさを欠いてもいた。
犯人だって、ビビるし、テンパるし、捕まって「後悔はないわ」なんて、そんなことないんだ、本当は。
そういう意味では、このコメディの中で描かれた犯人の姿こそが、「リアル」な犯人像である、と言えるかもしれない。
徹底的に「下らない」体裁をとりつつも、意外にも「犯人」という存在の本質に迫る、見事なスピンオフ。
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