rokaさんの投稿一覧

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21 - 30件目/全109件
  1. 評価:5.000 5.0

    芸としての短編

    高校生探偵マーニーが、「コナン君」とか「金田一少年」みたいな大袈裟な事件ではなく、もっと小規模な日常の事件を解決してゆく連作短編。

    いやーもう滅法面白かった。
    「フランケン・ふらん」にしても、一話完結の短編ということに関して言えば、この人はもう達人の域なんじゃないかと思う。

    まず、作品の雰囲気がいい。
    この作者の漫画は何ともセンスが欧米的で、日本の漫画とはちょっと違う文脈、古きよきハリウッド映画のそれに近い文脈で作品世界を作っているようなところがあり、独特の味わいがある。
    こういう漫画を描く人って、なかなかいない気がする。

    そして、何が凄いって、その尺の短さである。
    正直、最初は、短い一話の中で性急に話が進みすぎる気もしたが、そのリズムに慣れてくると、非常に心地よいものに感じた。

    この制約のなかできっちり起承転結を編み上げる技術というのは、ひとつの芸と言って差し支えないかと思う。

    削ぎ落とせるものは全て削ぎ落とし、それでいて、本質は確かにそこにあり、可笑しさや哀愁が薫っている。
    そんなのもう、ほとんど短歌とか俳句の世界であって、そういう意味では、欧米的なセンスによって描かれながら、何とも日本的な芸でもって成立しているような、奇異なバランスの光る作品。

    素晴らしい。
    本物の芸に触れるというのは、とてもいいものだ。

    • 5
  2. 評価:5.000 5.0

    「見える」ってこんな感じ?

    基本路線はホラー・コメディなのだが、主人公はただただ「見えるだけ」であり、ただただ「見えないふり」をするだけである。
    この「全力で見えないふりをするだけ」という設定が新しく、ホラー・コメディという作品のテイストに上手くマッチしている。

    漫画としては、霊の造形が素晴らしい。
    冷静に見れば「いや、そんな霊はいないだろ」というバイオハザードのクリーチャーレベルのものばかりなのだが、そのインパクトは絶大だ。
    バイオハザードファンの私としては、この作者にクリーチャーのデザイン担当をしてほしいと思ったくらいである。

    そして、極めて非現実な造形の霊とはうって変わって、霊の「見え方」と、「見える人」の描き方に関しては、「本当に見える人ってこんな感じじゃないのかな」というリアリティーがある。
    漫画を読んでいてそんなふうに思ったのは初めてで、もしかして作者は「見える人」なんじゃなかろうか、という邪推をした。

    基本的には短いエピソードの集積なのだが、「続きもの」としての魅力もちゃんとあり、一度登場したキャラクターの再登場によって展開していくストーリー運びも、なかなか巧みである。
    特に、サイコ野郎っぽい教師のエピソードでの「返し技」はシンプルながらも絶妙で、思わず唸った。

    本物の「見える人」の共感を呼ぶ漫画ランキングをやったら優勝しそうな妙なリアリティーと、過剰なまでのクリーチャー造形が楽しい、新しいホラー漫画の傑作。

    • 20
  3. 評価:5.000 5.0

    ホラーって楽しい

    マッド・メディカル・ホラー・ブラック・コメディ、とでも言うか、とても楽しい漫画である。

    「ブラック・ジャック」のホラー・コメディ版、というと少しは伝わるだろうか。
    あるいは、「ブラック・ジャック」と「笑ゥせぇるすまん」を足してグロテスクな味つけをした、というか。

    とにかく、主人公である人造人間・ふらんのキャラクターがいい。
    人間離れした(まあ人造人間だけど)圧倒的な医療技術、常識と倫理観の完全な欠如、それでいて、彼女は決してサイコ系のキャラクターではなく、基本的には「善意」で動いている。
    世のため人のため、である。
    そうして善を為そうとして、結果的に酷いことばかりやっている。
    が、考えてみれば、人間とはそもそもそういうものではなかろうか。
    ヒトラーだって、善と信じてやったのだ。
    その意味では、まことに人間らしい人造人間である。

    このあたりのバランス感というか、アンバランス感が絶妙で、出来事としては結構残酷な筋立てのエピソードが多いにもかかわらず、不快感も悲壮感もまるでない。
    これだけバッドエンドを積み重ねながら、後味はむしろ爽やか、というのは、凄いことだと思う。
    その奇異な読後感に私はすっかりやられてしまい、先を読むのが止まらなかった。

    嗚呼、ホラーって楽しいなあ、という感慨を抜群の疾走感で届けてくれる、悪意の皮を被った善意に満ちた、良質な作品。

    序盤でいうと、「CHRYSALIS」のエピソードは必見である。

    • 8
  4. 評価:5.000 5.0

    本当に素敵

    この十年で読んだギャグ漫画(という分類でいいと思う)の中では、個人的には「セトウツミ」が一番のフェイバリットだが、それに迫るくらい本作も面白かった。

    両作の楽しさの共通点は、「日常」、「会話」、そして「間」であると思う。

    昔、好きな小説の中に、「面白い話を書く人というのは、面白い体験をする人ではなく、普通の体験を、人とは違った捉え方が出来る人なのだ」という意味のくだりがあったが、こういう漫画を読むと、それを痛感する。

    何気ない日々の中から、何を拾い上げ、それをどう受け止めて生きるのか。
    「センス」とか言ってしまえばそれまでなのだけれど、あまりに卓越した感覚神経に舌を巻いた。

    私たちが普通に生きる普通の毎日と、そこですれ違う普通の人々に対して、ユーモアだけではなく、優しさと愛しさを持たなければ、こういう漫画は描けない気がする。
    読んだ後で、何気ない日常を少しだけ慈しんで生きてみたくなるような、本当に素敵なギャグ漫画である。

    万人にすすめられる作品なんて、原理的にあり得ないけれど、ギャグ漫画で何かひとつ推せと言われたら、私は男性には「セトウツミ」を、女性には本作を推す。

    • 33
  5. 評価:5.000 5.0

    極上の会話で送る、全く新しい寓話

    日本昔話は異常犯罪の記録であり、昔話に出てくる鬼などの怪物が現代社会でも犯罪を行っている、という設定のもとに、子どもの頃に父親を殺された新米刑事と、怪しい民俗学者が事件を捜査する、というストーリー。

    奇抜な設定だが、単なる「思いつき」とは全く異なり、相当に練られていて、面白かった。
    「瓜子姫」や「鶴の恩返し」など、著名な昔話を題材に、斬新な発想とアプローチで作品として再構築する手腕には舌を巻く。
    作品の屋台骨は、民俗学のリサーチの深さというよりは、解釈の発想力の豊かさに支えられていて、絶対に真似できない。
    「犯人」を捜したり追いつめたりするにも、原典にある「人ならざる存在」の特徴を上手く活かすあたり(例えば天邪鬼は命令に従えない、という性質を利用するとか)、思わず唸った。

    そして、この漫画の何がいいって、会話である。
    作中、主要な登場人物たちはひっきりなしに喋っているが、この会話の軽妙なテンポと、言葉の選択のセンスが絶妙で、素晴らしい。
    殺_人だとか誘_拐だとか、話の筋自体は緊迫したものが主だが、そこを流れる会話はあくまでリズミカルでユーモラスで、本筋を食ってしまうほどの勢いで躍動しながら、しかも全く作品の邪魔をしていない。
    これはちょっと、すごいと思う。

    そうしてさんざんふざけておいて、不意にグッとくる会話がくる。
    「おれにはもう一度会いたい人間も帰りたい場所も時も何一つない。幸せだなおまえは」
    「おまえにもいつかかかならず失いたくないものができる。だから今は誰かの大切な人を救うために全力で力を貸せ」
    何だよこれ。
    ずるいだろこんなの。

    本筋もばっちり面白い上に、極上の会話がそれを彩る、何とも贅沢な漫画。
    これほど会話の魅力を感じさせてくれた漫画というのは、他に「セトウツミ」くらいしか思いつけない。

    • 23
  6. 評価:5.000 5.0

    死者と踊るダンスポップ

    人の死が一日前に「見えて」しまう少女のストーリー。

    以前、この作者の「死にあるき」という漫画のレビューで、私は「主人公の朱鷺子は他のどの漫画のキャラクターとも明確に違う、そのキャラクターの完成度は突出しているが、漫画としての表現が追いついていないように思う」という意味のことを偉そうに書いた。
    本作で、作者は、飛んだ。
    それは、ほとんど驚愕を覚えるほどの飛翔だった。

    まず、画力の著しい向上。
    何と言っても、これに尽きる。
    最初、私は同じ作者の漫画だとわからなかった。
    読んでいくうちに、死を巡る表現に既視感を覚えて、もしや、と思って確認して、「死にあるき」の人だ、とやっとわかった。

    主人公の造形も、全く違う。
    皐月は、朱鷺子ほど強くなれないし、冷たくもなれない。
    朱鷺子のように圧倒的にぶれない軸もないし、達観もしていない。
    私たちの多くと同じように、傷つき、迷い、それでも目の前の誰かを死なせまいと、死の影にまみれながら、懸命に生きようとしている、その健気さと、可愛らしさ。
    朱鷺子は、絶対的に孤独だった。
    しかし本作は、本来誰にも理解されないはずの皐月を、決して独りにはしなかった。
    その選択は、正解だったのではないかと私は思う。

    「死にあるき」が、ただ死を見つめ、死者の中を闊歩する少女の物語だったとすれば、本作は、死者のど真ん中で、ただ死を見つめることなんか出来ないと心に決めている少女の物語である。

    「死にあるき」は、絵としても、作品のトーンとしても、どちらかと言えば陰鬱で、そこはかとなくカルト作品の雰囲気を漂わせていた。
    だが、本作は、考えられないくらいポップな地平で展開される。
    徹底的に死を扱いながら、これほどまでにポップな作品なんて、他にコナン君くらいのものではなかろうか。
    それでいて、死を巡る切れ味鋭い作品の展開は、バリバリに健在である。

    そこには、賛否あるだろうと思う。
    よくも悪くも、「死にあるき」の朱鷺子、あの「寄らば斬る」とでもいうような尖った魅力があるかと言えば、ノーである。
    ゴリゴリのパンクロッカーが、ダンスポップをやり出したような違和感も、ちょっとある。
    だが、そのダンスポップの中には、パンクロックの精神が、確かに生きている。
    私はそう思うから、この素晴らしいポップソングを、心の底から称賛する。

    • 7
  7. 評価:5.000 5.0

    こんなホラーにはきっと二度と逢えない

    金が必要な二人の女子が様々な裏バイトに手を出すのだが、毎回そのバイトがホラーである、という漫画。

    あまりに凄い作品で、脳が何かしらのダメージを受けたような気さえした。
    これ以上のホラー漫画というのを、ちょっと思いつけない。

    恐怖の題材とその語り口も、また、恐怖描写そのものも、オリジナリティーとバリエーションが突出している。
    ホラー漫画は結構読んできたが、どこでも見たことがない、というホラー表現をこれだけ連発された記憶がない。

    それでいて、グロ描写には全く依存していない。
    本作はホラーを「気持ち悪い」にも「痛い」にもすり替えない。
    ただただ、愚直なまでに、あるいは崇高なまでに、「怖い」で勝負しようとし、そして、圧勝している。

    恐怖に殉ずる。
    その気高さと、圧倒的な自信と、技術。

    主人公二人のゆるい雰囲気と、硬質なホラー描写の絶妙なバランスといい、はっきり言ってセンスの塊のような漫画だし、あまりに完成されすぎていて、ホラーとは別の意味で、何だか怖い。
    読む者すら拒絶するような完璧さを感じてしまう。

    この世に、まだ私の知らなかったホラー表現がこれほど豊富にあったことに、そして、それがたった一人の人間によって生み出されているという事実に、私はホラーファンとして、心の底から感動した。

    ホラー漫画が本当に怖かったのなんて、子どもの頃だけだ。
    もうあの気持ちは永遠に戻らない。
    それは、ずっとわかっていた。
    わかっていて、それでも私は、惰性のような愛着だか愛情だかを捨てきれずに、ホラー漫画を読み続けてきた。

    この漫画に感動できたのは、数多のホラーを読み漁ってきたからこそだ。
    これが初めて読んだホラー漫画だったなら、私はここまで深く何かを感じることは出来なかった。

    幼い頃のような恐怖は味わえなくても、何度飽きても失望しても、ホラーを読むのをやめなくて、本当によかったと思った。

    ホラー漫画を読んでそんなことを感じたのは初めてだし、二度とないだろう。

    • 118
  8. 評価:5.000 5.0

    抜群の構成力

    同窓会、という名目で廃校に集められた高校生たち。
    そこで始まるデスゲーム。
    というあらすじを読んだだけで、サスペンス漫画にある程度通じた読者なら、「ああ、またそういう系ね」と思うだろう。
    私もそうだった。

    事実、本作は、「そういう系」の漫画のお約束というか、突っ込みどころというか、「もう飽きたよそういうの」という要素をことごとく備えている。

    硫酸を自動で噴射する装置や携帯の電波を妨害する装置が都合よく閉鎖空間を作り出し、圧倒的な頭脳と人心掌握力とトチ狂った価値観を持つサイコ高校生が登場し、追い詰められた高校生たちがいともたやすく過剰なまでに狂い出す。

    もういいよ、そういうのは。

    それは確かにそうなのだ。
    そうなのだが、この漫画には、掃いて捨てるほど量産されている「そういう系」の作品の中で、圧倒的に優れた点がひとつある。
    それは、構成力である。
    この構成力は、素晴らしい。

    本作は、現在進行形ではなく、既に終わった事件を、生存者たちが語る、という形式で描かれている。
    サスペンス映画では珍しくない手法で、「ユージュアル・サスペクツ」なんかはその最高傑作だと思うが、漫画でこの手の構成をこれほど巧妙に利用した作品を、私は他に知らない。

    事件を生存者たちが語る中で、「おいおい、それをここでばらしちゃっていいんかいな」という、一種のネタバレが、ちょくちょくある。
    しかしもちろん、それは本当のネタバレにはなっていなくて、真のネタバレのサプライズを増すのに一役買っている。
    あるいは、その途中のネタバレ自体が、巧みなミスリードになっている。
    読者としては、「この先はわかっていたはずなのに、わかっていなかった」というような体験を連続して味わうことになり、これが実に魅力的である。

    トータルとしては「どこかで見たような」材料ばかりなのに、私はどうしても読むのをやめられなかった。

    「そういう系」とか言ってなめていた私が間違っていた。
    その反省と自戒を込めて、星をひとつ、足した。

    • 19
  9. 評価:5.000 5.0

    最後に愛が勝つために

    私は、この作者の「親愛なるA嬢へのミステリー」が大好きで、正直、本作はそれには及ばないかと思った。
    それにしても、素晴らしかった。

    幼い頃に別れた兄への強烈な思慕を抱きながら生きる主人公。
    いつしかバイト先の同僚と惹かれ合うが、彼は兄を殺した男で…というストーリー。

    まず、物語の展開力と吸引力が素晴らしく、そのリズム、テンポ、緩急、起伏、濃淡、もう完璧という他にない。
    一気に読む以外に選択肢がないくらい、圧倒的な筆力に魅せられる。

    そして、描かれる愛の形、が素晴らしい。

    「親愛なるA嬢へのミステリー」でも同じことを感じたが、この作者が綴る愛の形は、一筋縄ではいかない。
    よく漫画の中にあるような、クリーンで、キュートで、煌めくだけの愛は、この作品にはない。
    「愛に生きるのはそんなに甘くないぜ」と語るような作品だと思った。

    愛は、とても強くて美しくて、でも、怖いものだ。
    その強さと美しさゆえに、ときには排他的にも狂暴にもなれるからだ。

    ちょっと差別的な言い方をするけれど、人生は少女漫画ではないから、ある日突然キラキラで永遠の愛が空から降ってくるわけじゃない。
    「必ず最後に愛は勝つ」ほどイージーモードでもない。
    それは約束された結末ではなくて、最後に愛が勝つためには、何かを捨てたり損なったりしながら、ときには醜悪にも残酷にもなれなくちゃいけない。
    それをきちんと引き受ける作品の勇気と気高さに、私は泣いた。

    この漫画の二人は、嘘も、秘密も、欺瞞も、障害となる者たちを容赦なく切り捨てる冷酷さも、過去を、下手したら現在すらも改竄してしまう罪深さも、そういう全てを背負いながら、全てを受け止めながら、そして何より、そういう全てを必死で許し合いながら、互いのことだけは失うまいと、懸命に生きようとしていた。
    それがつまり、愛し合う、ということなんじゃないか。

    私はそう思うから、この漫画の二人を、永遠に祝福する。

    • 8
  10. 評価:5.000 5.0

    静かで怖い「普通の」群像劇

    以前、この作者の別の漫画を読んで、それはもう滅茶苦茶に非難するレビューを書いた。
    が、本作は素晴らしかった。

    ストーリーは、「消えたママ友」の周囲の人々(主にママ友三人)の視点で展開する。
    私はママ友の世界からは縁遠い場所にいるが、一人一人の登場人物やその関係性、日常のリアリティーが半端ではなく、一気に引き込まれた。
    また、三人の語りの視点の切り替えのタイミングとテンポのよさは絶妙で、一息に読まされてしまった。
    これはもう、群像劇として一級品だと思う。

    作品の雰囲気としては、日常の中にあるサスペンス、といった風情で、消えたママ友の謎を追う中で、ママ友、夫婦、嫁姑、それぞれの関係性における、秘密や暗部が少しずつ明らかになっていく。
    その描き方も、やたらスキャンダラスに暴き立てるのではなく、人間の繋がりのもろさや、表面的な付き合いの虚しさを静かに綴るタッチで、好感が持てる。
    誰もが「普通に」嘘や闇を抱えて、「普通に」生きている、その淡々とした提示が素晴らしい。

    正直、こういう「雑な絵」の漫画は好みではないのだが、悲しく不穏でうすら寒い作品のトーンと、シンプルで呑気な絵柄は、いい意味でのミスマッチになっているような気もした。

    特筆すべきはツバサ君の描き方で、大人の抱える悪意や歪みが「伝染」したかのようなその造形は、実に悪趣味で、怖い。
    子どもについて、何かがおかしいのに誰もその破綻をつかめていないし止められない、それは、目を背けたくなるような冷たい現実だ。
    特に、最終話でツバサ君が祖母と父親に放つ台詞は、いくぶん漫画的な寓意はあるにせよ、恐ろしく、素晴らしい。

    • 20

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