rokaさんの投稿一覧

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1 - 10件目/全107件
  1. 評価:5.000 5.0

    才覚の極点

    はっきり言って主人公の男はイタい奴だし嫌な奴である。
    現実世界でこういう男に出会ったら、特に女性の皆様は40秒で支度して逃げ出すことを推奨する。
    そういう人間を単に「こういう奴いるよね、最低だよね」と描くことは多くの漫画家なり何なりがやる。
    しかし、この天才漫画家は違う。

    同じ作者の「今夜すきやきじゃないけど」という作品のレビューで、私は、現実世界では離れたくなるような類いの人間を、作品において可愛らしく魅力的に描けてしまうのがこの作者の才覚のひとつだ、という意味のことを書いた。
    本作はその才覚の極点を示す漫画だと思うし、それは漫画に限らず、フィクション全般においてとても大切なことなのではないかと思っている。

    その才覚を根本のところで支えているのは、人間に対する徹底した優しさ、寛容さである。
    駄目人間、とかよく言うが、おそらく全ての人間が、多かれ少なかれ駄目な要素を持っている。
    それをどこからどう見るか、というだけの話で。
    あるいは、それをどれだけ上手く隠して生きているか、というだけの話で。
    ただ、言えることは、どんなふうに生きてみたって、人生はそんなにイージーモードにはならない、ということだ。
    天才も駄目人間も、それぞれ地獄を抱えて生きているのだと思う。

    どれほどの功績を残した人間も、どれほど美しい人間も、何かひとつあれば徹底的に叩かれるような寒々しい時代にあって、私が本作から感じたのは、否定的なタイトルとは裏腹に、「叩ける理由より愛せる理由を探してやろうよ」という温かさであって、それが、私は好きであった。

    • 17
  2. 評価:5.000 5.0

    溢れる愛と狂気

    連載開始から、ずっと追ってきた。
    もうすぐ完結しそうなので、この機会に書くが、毎回が最終回なんじゃないかと錯覚させられるような、異様なテンションの作品だった。
    私は待つのが嫌だから、漫画は完結してから読みたい人間だが、週刊連載という形式で読んでいて本当によかった、と思える稀有な漫画だった。

    映画にちょっと詳しい読者なら「どこかで見たことある」アイテムをふんだんに用いながら、それでいて、全く新しいB級ホラーエンターテイメントとして完成されていると思う。

    これほど映画への愛情に溢れた漫画というのを、私は他に知らない。

    かつて私も、映画に対して愛情を持っていた時期があった。
    だから、私がこの漫画に見たのは、自分の失ってしまった愛情の影でもあったのかもしれない。

    • 4
  3. 評価:5.000 5.0

    清少納言 in 現代社会

    結婚願望は強いが家事の苦手なキャリアウーマンと、恋愛とか結婚とかピンとこない絵本作家、二人の主人公のシェアライフをユーモラスに描いた作品。

    私はどちらかというと「何気ない日常を描く」みたいな漫画が苦手で、そんなもの見せられて何が面白れえんだよ、とか感じてしまうタイプの人間なのだが、ここまでハイレベルな作品の前では、そんな些細な趣味は消し飛ぶ。
    楽しすぎてヤバい。
    作中の料理も美味しそうすぎてヤバい。

    別に命に関わるほどの悩みってわけでもないけど、何かモヤモヤするよね、という感じの曖昧な何か、それは、世間一般の価値観に対して覚える僅かなズレであったり、漠然とした人生の難しさ、生きづらさであったりするのだが、それをきちんと作品という形で、可愛く楽しく魅力的に、さらっと提示できてしまう技量と感性の鋭さには、本当に舌を巻く。

    私はこの作者を完全に天才だと思っていて、言語化しにくい人間の微妙な揺れみたいなものを感覚的にとらえて表現する、ということに関しては、別格だと感じる。
    平安時代に生まれていたら、清少納言みたいになってたんじゃないかな。
    ていうか多分、清少納言より凄いけどね。
    そんで、現代に生まれてくれてよかったけどね。

    • 9
  4. 評価:5.000 5.0

    あの頃の愛に報いを

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    ゲームが取り柄の主人公と、神がかったゲームスキルを持つお嬢様ヒロイン・大野の変則ラブコメ。

    「ストII」をはじめとする格ゲーが一世を風靡した90年代を少年として過ごした読者、特にかつてのゲーミングキッズであれば、刺さるとかいうレベルではなく、本作の時代描写だけでもう、懐かしさに卒倒しそうになるだろう。
    それは、押切蓮介が本作で描いた90年代という舞台が、単に正確であるからではなく、ゲームに対するほとんど病的なまでの愛情で塗り固められているからだ。

    何と言っても、主人公と大野の愛らしさが素晴らしい。
    特に大野は、作中ひとつも台詞らしい台詞がないにも関わらず、である。
    私は漫画を読んでいて、これほどヒロインを可愛いと思ったことが多分ない。
    このヒロインに出会うだけでも、本作を読む価値がある。

    あの頃。
    勉強もスポーツも出来ない、ルックスもパッとしない、トークスキルもない、そんな冴えない少年たちも、「ストⅡが強い」だけでヒーローになれた、あの頃。
    それは大袈裟ではなく、新たな時代の幕開けだったのだと思う。
    しかし、ゲームなんかをいくら愛しても、その愛に基本的に見返りはない。
    本来、見返りを求めないのが愛なのかもしれないが、まあ、それは置いといて、である。
    プロゲーマーもYouTubeでのゲーム配信も選択肢にある現代とは違って、あの頃はなおさらそうだった。
    ゲームなんか上手くなったって何にもならないのよ。
    その残酷な事実は、私たちが保護者から浴びせられた「ゲームばっかりやって」という批判の核心そのものだった。

    けれど、もしゲームに注いだ愛に、何かしら、報いがあるとすれば。
    本作は、ラブストーリーであり、ゲームの物語であり、そして、狂気じみた愛をゲームに注ぎ込んで少年時代を送った作者による、究極のファンタジーでもある。
    もしも、愛したゲームから愛されることが、あるとすれば。
    それを漫画だからこそ出来る形で提示して見せたラストに、私はもう、涙が止まらなかった。

    • 2
  5. 評価:5.000 5.0

    血塗れの自意識

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    読んでいて気分のいい漫画ではなかったし、人に薦めようとも思わない。
    しかし、これほど壮絶な作品には、ほとんど出会ったことがなかった。

    半自伝的な漫画なのだと思う。
    イメージとして(浅野いにおはこういう形容を気に入らないかもしれないが)、私は太宰治を想起した。
    ちなみに私は、太宰が嫌いである。

    書けない作家の苦悩、というモチーフだと、私は「バートン・フィンク」という映画が大好きなのだが、あれは、コーエン兄弟が作家としての自意識をかなりオブラートというか、創作の衣に包んで提示した作品なのだろうと思う。
    作家はそれで正しいのだと私は思うし、私のそういう趣味みたいなものは、太宰を嫌う理由と無関係ではないと思う。
    だが、本作で浅野いにおがやったことは、その百倍あからさまで、激烈である。
    それは、自意識を作家性の中で表現する、というレベルの行為ではなく、血だらけになりながら紙面に自意識を塗りたくるような営みであったように思う。

    浅野いにおは、この漫画を描きたくて描いたわけではない気がする。
    描くべきだと思ったわけでもない気がする。
    ただ、描くしかなくて、描いたのではないか、と。
    私は、そんなふうに思った。

    ラスト近く、サイン会のシーンで、主人公の漫画に救われたと涙ながらに語る熱心なファンに対して、「君は何にもわかってない」と主人公は言う。
    これほど絶望的で、これほど美しいシーンをほとんど知らない。

    私は何となく、浅野いにおはこういう描き方をしない(ないし出来ない)作家だと思っていた。
    きっと私も、「何にもわかってない」読者の一人なのだろう。
    ただ、浅野いにおが本作で試みたことが、勇気などという言葉では表現できない、命がけの行為であったということだけは、わかっているつもりだ。
    だから、もう、それだけで。
    浅野いにおの試みが、成功したのか、失敗したのか。
    それは作家としての飛翔だったのか、墜落だったのか。
    その是非も価値も、私はもう、問わない。

    • 1
  6. 評価:5.000 5.0

    闘う君の唄を

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    死_刑囚となった連続殺_人犯の両親のもとに生まれた三人の姉弟のストーリー。

    まず、主人公たちの造形が素晴らしい。
    両親に殺_人の片棒を担がされた過去を持ち、普通の人生を送ることを諦めている長女。
    彼女が秘める静かな悲しみと強さは、可愛らしいけれどどこか悲しげに見える作画と相まって、切々と胸に迫る。
    一方、長女に守られながら育った次女は、両親の呪縛から逃れ、恋人と新しい家族を築きたいと夢見る。
    次女の明るさは長女と好対照だが、彼女もまた苦しみながら、自らの人生を生きようと必死でもがいている。
    両親の記憶がない長男は、二人の姉との間に自分が立ち入れない領域があることに不満を抱えつつ、俺の人生どうなっちゃうのかな、的に浮遊しているような位置づけだが、この少年のリアリティーも見事だと思う。

    そして、この三人が三人とも、絶対的に互いを愛している。
    自分たちが背負った十字架を確定的なものとして生きる長女は、結果的に二人を縛ってしまってもいるのだが、妹も弟も、「自分の人生」を切望しながら、結局「三人の人生」を捨てずに生きることを決めている。
    それが余計に切ない。

    長女につきまとう記者、あまりに人が出来すぎていて逆に怪しい次女の恋人、SNSで身分を偽って長男に接触する謎の人物など、作品を不穏に盛り上げるアイテムも実によく練られていて、作品の根幹はヘビーだが、サスペンスとしても非常に楽しめるものに仕上がっている点も見逃せない。

    罪という問題に関して、国と文化によっては、宗教が祈りと赦しのシステムとして機能するのだろうが、よくも悪くも、この国にそれはない。
    神なき国における親の犯罪と子が背負う十字架、加害者家族を巡るメディアの報道など、社会派的な一面も作品にはあるのだが、そういう難しい問題は抜きにしても、私はただただ、三人に幸せになってほしい、と願った。
    呪わしい運命を背負って懸命に生きる彼らの人生を、心の底から応援したいと思った。
    中島みゆきの「ファイト!」でも歌ってやりたいと思った。
    ていうか読みながら歌っていた。
    闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう。
    冷たい水の中をふるえながらのぼってゆく三人を待つものが温かな祝福であることを、切に祈る。

    • 38
  7. 評価:5.000 5.0

    「これ系」の最高傑作

    ちょっと雑なカテゴリー化になるが、
    1.短編形式のオムニバスであり、
    2.登場人物が現実の枠を超えた奇妙な出来事を経験する、
    というタイプの漫画を、「世にも奇妙な物語系」と勝手に呼ぶことにする。

    古くは「笑うせえるすまん」とか「Y氏の隣人」、懐かしいジャンプのホラー枠で言えば「アウターゾーン」、個人的に好きな「走馬灯株式会社」なんかがこれに分類されるかと思う。
    何が言いたいって、掃いて捨てるほどあるそのような作品群の中で、過去に数々の名作も生まれてきたこのジャンルの中で、本作が最高傑作なのではないか、ということだ。

    この「世にも奇妙な物語系」には、話の「定型」が決まっているタイプが結構あって、例えば「笑うせえるすまん」であれば、喪黒福造に出会って「ドーン」とやられるのが「定型」だし、「走馬灯株式会社」であれば「自分の今までの人生を記録したDVDを見る」というのが「定型」になっている。
    本作の場合、「アンテン様」という神様に願い事をすることが「定型」なのだが、まずこの「定型」が、作品の装置として素晴らしい。
    設定自体はいたってシンプルで、「ひとつ得れば、ひとつ失う」という人生の鉄則みたいな感じなのだが、そこから生まれる制約や矛盾、得るものと失うもののバランスといったところから、哲学的な深みを感じさせつつ、しかもポップに物語を紡ぐ様は、芸術的ですらある。

    そして、明確な「定型」がありながらも、話のバリエーションの振れ幅は尋常ではなく、背筋が寒くなるようなホラーから、抒情的なハートフルストーリーまで、どこを切り取っても完成度が高く、隙がない。
    舞台設定も、現代から、戦後から、江戸時代あたりから、と多岐に渡るが、これは、アンテン様が「神」であればこそ可能な設定の自由度であり、また、アンテン様が長きに渡り、人間の本質を見つめ続けてきた、という重みも感じさせる。

    アンテン様、という「神様」のあり方は、何だかとても魅力的で、しっくりきた。
    私は基本的には無神論者だし、多くの日本人は本質的にそうだと思うが、こういう「神様」がすっと入ってくる読者は多いかと思われる。
    そういう意味では、実に日本的な作品でもある。

    私は、「私とワルツを」でボロボロ泣いてしまった。
    大人になってから、漫画でこれほど泣いたことは多分ない。

    • 17
  8. 評価:5.000 5.0

    みんなみんな可愛い

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    魔王に囚われた姫様が、秘密を吐かせるための様々な「拷_問」を受ける、というギャグ漫画。
    その「拷_問」がまあ実に緩くて、基本的には目の前で美味しそうな食べ物を見せられる、というものである。

    トーストとかたこ焼きとかカップラーメンとか、何でもないものがとても美味しそうに見える漫画である。
    ただ、読み始めたときは、このパターンの繰り返しだと早々に飽きが来そうだな、と思った。
    が、とんでもない、様々な工夫を凝らして、実に巧みにマンネリ化を回避している。
    食べ物以外の「拷_問」があったり、いわゆる「日常回」があったり(囚われの身なのに…)。
    基本線はワンパターンには違いないのだが、まるで飽きさせない。
    その点がまず、見事であった。

    ギャグ漫画としては、しょうもない設定がいちいち楽しくて癖になる。
    特に、子煩悩でモラルの高い「理想の上司」である魔王様の造形が素晴らしい。
    部下のミスを叱責するのではなく、どうフォローするかを考える。
    相手が敵であろうとも、人の善意を利用しない。
    娘の描いた絵を見て「くっくっく…上手」と言う。
    私は魔王様が大好きで、毎回毎回、「今回は魔王様出るかな」と楽しみでしょうがなかった。

    登場するキャラクターたちがみんな魅力的で、とにかく可愛い。
    姫様も魔王様も魔王様の娘も拷_問担当の「敵キャラ」たちも、あろうことか「聖剣」に至るまで、みんなみんな可愛い。

    絶対に誰も傷つかない甘くて優しいギャグ漫画であり、「かーわーいーいー」と私は知能指数の低いティーンエイジャーのような頭脳になって、この漫画を読み続けた。
    あー楽しかった。

    • 17
  9. 評価:5.000 5.0

    全霊で追う二兎

    評価の低さに半ば怒りを感じて力説したい。
    この漫画はもっと評価されなきゃおかしい。

    カルト宗教みたいなことをやっている殺_人一家に生まれた、漫画家志望のオタク少女。
    頭空っぽのハンサムな少年に恋をして、彼を事故から救ったことで、好意を持たれるのだが…という話。

    何が凄いって、ホラーとラブコメの両方に全霊で振り切っているところだ。

    別の漫画のレビューで、私は「オカルトをラブコメの道具にすんなや」という意味のことを書いた。
    ラブコメの「味つけ」にホラーを用いるなんて、邪道だ、破廉恥だ、と硬派なホラーファンの私は思ったのだ。

    また、基本線をホラーにする場合、原則、ラブコメの文脈は邪魔になる。
    ホラー映画だって、いちゃつく男女は真っ先に消されるでしょう?

    ところが本作は、そのどちらでもない。
    ホラー要素のあるラブコメでも、ラブコメ要素のあるホラーでもない。
    ホラーがラブコメを引き立て、ラブコメがホラーのインパクトを強化する。
    ガチガチのホラーであり、ベタベタのラブコメである。
    こんな作品、ないぞ。

    ラブコメ、ホラー、どちらの文脈に乗っかって読んでいても、不意に裏切られる。
    ディズニーランドの「イッツ・ア・スモール・ワールド」と富士急のお化け屋敷を行き来しているような異様な感覚、その独特のトリップ感は、他の作品では味わえない。

    まあ、評価されにくいのは、何となくわかる。
    要するに、ラブコメ、ホラー、どちらの読者層からもそっぽを向かれたのだろう。
    ラブコメファンがこんなものを支持するわけがないし、ホラーファンはホラーファンで「何か違う」と感じてしまうのだろう。

    二兎を追う者は、という。
    だが、そんなことは百も承知で、覚悟と愛情を持って二兎を全力で追う、私は本作をそういう作品だと思った。

    「死人の声をきくがよい」という漫画のレビューの中で、私はこの作者を、現代における犬木加奈子の後継者ではないか、と書いた。
    けど、はっきり言って、犬木加奈子ですら、こんな漫画は描けなかったと思う。

    • 13
  10. 評価:5.000 5.0

    パンドラの箱の底

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    (※レビュー訂正)

    大絶賛する気にはなれなかった。
    人に薦める気も起きなかった。
    ただ、心には、残った。

    私は本作を、基本的には「ドラえもん」へのアンチテーゼとして読んだ。
    タコピーのハッピー道具は主人公を何ひとつハッピーにせず、あろうことか「仲直りリボン」は首_吊りに使われ、「ハッピーカメラ」は撲殺の凶器になる。
    主人公の生活や、いじめっ子の家庭環境の描写も陰惨極まりなく、アンチテーゼを超えて「悪意あるパロディ」と言った方がしっくりくるほどだ。
    主人公の名前「しずか」だぞ、おいおい。

    ひとつは、時代かな、と思う。
    いささかネガティブな物言いになるが、「こんなこといいな、できたらいいな」の時代は、終わったのかもしれない。
    よくも悪くも、私たちは知ってしまった。
    人間が便利な道具でハッピーになれるわけではないことを。

    21世紀になってしばらく経って、人間は結構な「こんなこと」が出来るようになったのに、別に対して幸せになれてないじゃん、と。
    残酷ないじめも児童虐待も、戦争と疫病すら、なくなってないじゃん、と。

    主人公は、ハッピー道具に見向きもしない。
    単に「魔法」の存在を信じていないのではない。
    彼女がその身を浸しているのは、仮に魔法があるにせよ、それが自分を幸せにしてくれることはない、という諦観だ。
    彼女の姿は、テクノロジーがもたらすキラキラの未来からはとっくに拒絶された私たちの姿、そのものなのだと思う。

    そしていつの時代も、一番傷ついて生きるのは子どもたちだ。
    子どもには傷つく権利があり、その能力もあるからだ。

    それはそうなんだけど。

    わざわざ作品にする必要、あるのか?
    ずっとそう思いながら、読み続けた。

    でも、最後まで読んで、印象が変わった。
    これはもしかすると、現代を生きる子どもたちへの応援歌なんじゃないか、と。

    現実はこんなに上手くはいかない。
    その批判はわかる。
    「対話」なんてものに大した力はない。
    それもわかる。
    私もそう思う。

    しかし、かつてドラえもんが提示した希望を完全に否定しながらも、本作はきっと、希望を持つこと自体は、捨てられなかったのだろう。
    ドラえもんの否定というパンドラの箱の底に残っていたのが、「伝え合う以外にない」ということだったのだろう。
    その希望の是非はともかく、その希望の見出し方は、私は嫌いではなかった。

    • 30

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