2.0
根性は買う
今はどうだか知らないが、この頃の「ナックルズ」にはわけのわからない取材魂みたいなものがあって、富士の樹海の宗教施設とか、ヒグマの出没する山中とかに、それこそ命がけの馬鹿げた体当たり取材をやっていた。
その根性は買うけれども、漫画作品として評価するとなると、難しい。
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85位 ?
今はどうだか知らないが、この頃の「ナックルズ」にはわけのわからない取材魂みたいなものがあって、富士の樹海の宗教施設とか、ヒグマの出没する山中とかに、それこそ命がけの馬鹿げた体当たり取材をやっていた。
その根性は買うけれども、漫画作品として評価するとなると、難しい。
ある日、幼馴染みに「殺された」主人公が、幽霊となって幼馴染みの凶行を止めようとするのだが…というストーリー。
「犯人」は第一話からわかってしまっている(ように見える)わけで、読者の側としては、ミステリ部分の焦点を「なぜ」に合わせて読むわけだが、それを終盤に一気に覆す返し技は、なかなか上手に決まっていたと思う。
面白かったのは、それぞれのキャラクターが、登場したときとはずいぶん違う印象に変わっていく点だ。
それ自体は別に作品において普通のことだが、「登場人物全員」がそうである、という漫画は、なかなかないように思う。
そう決めて描かなければ、こうはならない。
登場人物全員に、裏がある。
しかし、その「裏」というのは、自分のダークサイドみたいなものを隠している、というよりは、誰しもが表に出せない弱さや強さを抱いて生きている、という提示であって、露悪的ではなく、むしろ優しさを感じるものであった。
主要な登場人物たちは皆、誰かを傷つけた過去を悔い、再び誰かを傷つけてしまうことを恐れて生きている。
正直、このあたりの描き方は、ちょっとナイーブに過ぎるような気もした。
また、「佐原も実知も生きていた」「親の意向で死んだということにされていた」という展開には、さすがに「おいおい」と思ったし、いくら何でもハッピーエンドありきに過ぎるんじゃないか、という気もした。
最初に書いた終盤の展開も、サスペンスとしてスパッと切れ味のあるどんでん返しというよりは、甘くて優しいどんでん返しである。
ただ、そういう全て、登場人物に対する作者の愛情のように感じて、私は、好意的に受け止めたいと思った。
以前、この作者の別の漫画を読んで、それはもう滅茶苦茶に非難するレビューを書いた。
が、本作は素晴らしかった。
ストーリーは、「消えたママ友」の周囲の人々(主にママ友三人)の視点で展開する。
私はママ友の世界からは縁遠い場所にいるが、一人一人の登場人物やその関係性、日常のリアリティーが半端ではなく、一気に引き込まれた。
また、三人の語りの視点の切り替えのタイミングとテンポのよさは絶妙で、一息に読まされてしまった。
これはもう、群像劇として一級品だと思う。
作品の雰囲気としては、日常の中にあるサスペンス、といった風情で、消えたママ友の謎を追う中で、ママ友、夫婦、嫁姑、それぞれの関係性における、秘密や暗部が少しずつ明らかになっていく。
その描き方も、やたらスキャンダラスに暴き立てるのではなく、人間の繋がりのもろさや、表面的な付き合いの虚しさを静かに綴るタッチで、好感が持てる。
誰もが「普通に」嘘や闇を抱えて、「普通に」生きている、その淡々とした提示が素晴らしい。
正直、こういう「雑な絵」の漫画は好みではないのだが、悲しく不穏でうすら寒い作品のトーンと、シンプルで呑気な絵柄は、いい意味でのミスマッチになっているような気もした。
特筆すべきはツバサ君の描き方で、大人の抱える悪意や歪みが「伝染」したかのようなその造形は、実に悪趣味で、怖い。
子どもについて、何かがおかしいのに誰もその破綻をつかめていないし止められない、それは、目を背けたくなるような冷たい現実だ。
特に、最終話でツバサ君が祖母と父親に放つ台詞は、いくぶん漫画的な寓意はあるにせよ、恐ろしく、素晴らしい。
主人公は交通事故で顔に怪我を負い、それを治そうと無茶な整形に手を染めて妖怪のような外見になり、夫に捨てられるのだが、夫の新しい職場に次々と現れては、彼の新生活を破綻させる。
怖すぎ。
ただまあ、このへんの描き方は完全にギャグで、主人公の女は、夫の職場に置かれた新装開店祝いの花の中から現れたり、夫が新たに恋に落ちた女を夫の好みでないように整形させたり、発想力とバイタリティーが半端ではなく、私はゲラゲラ笑いながら楽しく読んだ。
そして、変わり果てた妻を見る度に吐く夫。
どんだけ胃腸が弱いんだお前は。
だいたい、いくら整形手術に失敗したからといって、そうはならないだろ。
骨格変わってるもん。
そんな中で、この漫画の着地点は、どこになるのかな、と思いながら読み続けた。
私は、生まれも育ちも外見も、全て「才能」の一種だと思っている。
突出した頭脳や運動神経の持ち主がもてはやされるのだから、美しい外見の人がもてはやされるのも、当たり前だと思う。
それを「容姿差別」だとか何とか騒ぐ風潮というのは、本当に下らないと思うし、「見た目で人を判断するのはよくない」みたいな論調はクソ喰らえと思っている。
どうせお前らジャイ子よりスカーレット・ヨハンソンを選ぶくせに。
スカーレット・ヨハンソンの内面知ってんのかよ。
私は知らない。
まあ、それはいい。
それはいいのだが、美醜のせめぎ合いの果てに本作が行き着いたのは、「外見より中身よね」とか、「やっぱり見た目よね」とか、そういう次元ではなかった。
これは、見た目も中身もひっくるめて、人間の醜さを許すというか、醜さを愛する、という漫画ではないかと思った。
もっと言えば、愛するっていうのは、その人の醜さを含めて受け入れるってことなんじゃないかしら、という漫画ではないかと思った。
「美しさは皮一枚、醜さは骨の髄まで」という言葉がある。
この漫画は、その「皮一枚」に縛られて生きる愚かな私たちの、愛の物語なのだと思う。
あれ?
祝いの花から妖怪が現れるコメディ路線に流れたのに、いつの間にそんな、崇高さすら漂う愛の物語に辿り着いたのだろう。
何だが狐につままれたような気分だが、こういうのを、漫画の力業と言うのだと思う。
星5つはあげすぎな気もしたが、半ば強引に感動させられてしまったので、これはもう、私の負けである。
安普請のアパートに引っ越してきた夫婦。
ある日、妻がごみ捨て場で生首を発見するのだが…というストーリー。
シンプルな少女漫画風の絵柄と、唐突な生首の描写の奇異なバランスはなかなかショッキングで、いったいどういう話になるのだろうと、前半はかなり面白く読んだ。
しかし、後半、いくら何でもとっちらかりすぎである。
多分、この漫画、連載で、後半の展開をしっかり決めないまま、前半が描かれてしまったのではなかろうか。
そう疑いたくなるくらい、前半と後半の整合性のなさが凄まじい。
伏線も回収されないままだし(そもそも伏線だったのかも怪しいのだが)、入り口ではかなり引き込まれただけに、「ちゃんとしてくれよ」という思いが拭えなかった。
原作は、新書。
少年院に収監される少年たちの中に軽度の知的障害を持つ者が多いことに着目して、認知能力を改善するためのプログラムの必要性を論じた本であるらしい。
(申し訳ないが、未読。)
作品の性質上、当然と言えば当然だが、少年院の少年(女性も含む)たちの記録が、淡々と綴られる。
だが、退屈という印象はなく、不思議と読ませる。
このあたりは、この漫画家の特質かもしれない。
決して「上手い」絵ではないが、なかなか豊かな表現をする。
また、この漫画の作者は、他の作品も含めて、エンターテイメントのための過剰な演出はしない、と心に決めているような印象を受ける。
賛否あるだろうが、私は、その姿勢を支持している。
「現場」をリアルに描こう、という志は、この人のどの作品でも徹底されており、大したものだと思う。
気になった点は、二つ。
ただし、どちらも原作段階の問題であり、漫画の問題ではないのだが。
ひとつは、タイトル。
個人的には、好きになれない。
新書を売るためにインパクトのあるタイトルを、というのはわかるし、事実、それが成功して本は売れたわけだ。
しかし、穿った見方かもしれないが、「ケーキを3等分することも出来ないんでっせ、ヤバくない?」というような、少年たちの知能の異常性を見世物的に扱ったような印象を受けて、ちょっと、首を捻った。
作品の中身を見れば、全くそんなことはないのだけれど。
もうひとつは、「軽度知的障害」という設定だって、所詮は誰かが決めた恣意的なボーダーなんじゃねえの、ということだ。
少年犯罪と認知能力の間には相関性があり、認知能力の改善が非行の抑止になり得る、という原作の主張に基づいて、この漫画は描かれている。
しかし、その根本のところを、私はイマイチ信用できなかった。
それは事実であるかもしれないが、事実の一部でしかないと思うからだ。
例えば、少年犯罪と、残酷な描写のあるホラー映画の影響が結びつけられる、というのとそう変わらないレベルの、眉唾物の話だと言ったら、さすがに失礼だろうか。
こんな考えは希望がなさすぎるかもしれないが、ホラー映画を見て凶悪犯罪に走るような人間は、別にジブリを見たって同じだろ、と私は思う。
ちなみに私は、残酷な描写のあるホラー映画、大好きですけどね。
いわゆる「ループもの」で、妻から離婚を突きつけられた夫が、離婚までの一か月を繰り返す、というストーリー。
(そもそも一か月でどうにかなる種類の問題なのか、ということは、不問とする。)
ラジオで人生相談をやっている方が、「女性が離婚を言い渡すとき、多くの場合、決意するまでにはたくさんの不満があって、何度もサインを送り続けて、それを無視され続けて、もう限界、と決断に至るのに、男性の側からすると『突然離婚を言い渡された』となるのが、不思議で仕方ない」という意味のことを言っていた。
まあ、我々男性は阿呆なので、往々にして、そうなのだろう。
そういう、男性の愚かさみたいなものは、なかなか上手く描かれていたと思う。
ただ、私はこの漫画が嫌いである。
男が愚かな存在として描かれているから、ではない。
その描き方に、愛情を感じないからだ。
私は、ダメ人間を愛情を持って描いたような作品が好きだ。
「ただダメなだけの人間」なんて、そうはいやしないのだ。
「ただのダメ人間」と切って捨てられるような人物を輝かせるのは、フィクションの素晴らしい魔法のひとつだと思う。
そう感じるのは単に、私自身がダメ人間だからなのかもしれないが。
いずれにせよ、この漫画からは、この「ダメな夫」に対する愛情を、まるで感じない。
結果、どうなるか。
主人公が応援するに値するキャラクターではなくなる。
それが、全ての作品において「ナシ」だとは思わない。
しかし、「ループもの」の主人公を応援できない、というのは、作品として致命的ではなかろうか。
だって、何度も何度も苦しむ主人公に対して、「次こそ頑張って抜け出せ」と、思えないんだぞ。
ただ主人公が苦しむのを眺めてカタルシスを得るような、そんなサディスティックな性癖は、私にはない。
あと、多分、作者は女性で(違っていたら申し訳ない)、男性のことをあまりわかっていない。
わかっていてこんな描き方をしているならば、いくら何でもサボりすぎである。
男は、馬鹿な生き物だと私も思う。
だが、言わせてもらえば、その愚かさというのは、この漫画で描かれているほど単純ではない。
男性の、というか、人間の愚かさをこんなふうに薄っぺらい紋切り型で表現することが、私は嫌いなのだ。
男の愚かさを、あまりナメてもらっては困る。
私は愚かな男性の一人として、そう思うのだが。
まず、復讐、というほどの復讐は、できていないです。
むしろ、復讐は失敗した、という方が適切かと思われる。
まあ、タイトルも「復讐することにした」であって「復讐した」ではないから、偽りとは言わないけど…普通、復讐したんだ、と思うだろうよ。
実体験に基づく、だからなのかもしれないが、スカッとするような復讐劇を期待すると肩透かしを喰らうので、ご注意を。
妻の不倫の現場に踏み込んだはいいが、相手の男に金がないから慰謝料は取れない、離婚しても親権は妻に取られる。
まあ、現実はこんなもんだろうな。
特に解せないのはラストで、子ども二人をろくでもない妻に取られつつ、「あの子たちなら大丈夫」って…何の根拠があるのか知らないが、無理に自分を納得させるような綺麗事には閉口した。
大丈夫じゃねえよ。
夫婦の別れに、勝ちも負けもないかもしれない。
でも、主人公である夫に対して、私は思った。
お前は、負けたのだ、と。
妻に、というわけではない。
強いて言うなら、二人とも負けたのだ、ということになるのかもしれない。
しかし、いずれにせよ、お前は、負けたのだ。
それを認めないでいるのは、何か、潔くないと思う。
その妻を選んだという選択も含めて、自分が失敗したのだ、と認めないことには、本当に終わることも、始まることも、難しい気がするのだが。
いずれにしても、わざわざ漫画という作品で読む価値を、私は全く感じなかった。
これなら、ネットの掲示板に転がっている妻や夫の不倫の顛末の方が、不謹慎だが、よほど面白いものが多い。
新鮮なのは、「元極道のコンビニ店員」という設定そのものではなく、むしろその設定の「殺し方」みたいなところにあるのではないかと思った。
本作は、いい意味で、とても慎重に設定を殺している。
もう少し誤解を避けて言えば、設定から想起されるありがちな展開を、実に巧妙に回避している。
私が何となく予想していたのは、次のようなストーリーだった。
元極道のコンビニ店員である島さんは、普段はおとなしく仕事をしている。
そこに何らかのトラブルが起きる。
例えば、悪質なクレーマーが来るとか。
そこに温厚そうな島さんが出ていって、クレーマーは「何だてめえは?」とかすごむけど、何かの拍子に刺青が見えてしまうとか、島さんが尋常でない殺気を放つとかして、クレーマーは「すみませんでしたー!」となる。
みたいな。
そういう漫画かと思っていた。
違う。
島さんは、元極道的なパワーを全く使わずに、あくまで温厚なままであって、その実直さや誠実さ、気配りや思いやり、洞察力、といったありふれた(?)人間的スキルでもって、コンビニの日常の諸問題を解決に導いてゆく。
それを、一種の人情話として描いた漫画である。
「ありがちな展開には絶対にしないぜ」という作者の気概が伝わるようで、その心意気や、よし。
ただ、こう書くと、「あれ?元極道って設定、要らなくね?」と思われるかもしれないが、そうでもない。
作中に流れるのは、すねに傷を持つ者が放つ独特の説得力と、「この設定がこの先で活きてくるんだろうな」という期待感だからだ。
そういう意味では、かなり緻密に組み立てられた漫画だと思うし、それはこの先の話で、実証されるのではないかと思う。
あとは、枝葉の部分になるが、作中、背中の刺青のワンカットで、島さんが元極道なのだ、ということをさりげなく提示するところなんかは、何ともセンスがあって、好感を持った。
雑な言い方で申し訳ないが、「こういう系」の漫画はだいたい嫌いだ。
誤解を恐れずに言えば、最近よくある、妻が夫を「エッセイ漫画」という体裁の中で非難するやり方は、本当に汚いと思う(もちろん、「夫が妻を」でも同じだが、そういう漫画は読んだことがない)。
はっきり言って、生き方として腐っているとさえ思う。
私がそういう漫画に対して感じる思いというのは、芸能人と寝た後でスキャンダルを週刊誌に売ったりする人間に対して覚える嫌悪感に似ている。
そこには何の愛もない。
もちろん、永遠の愛というのはスーパーレアだから、大抵の愛は消えることもある。
まあ、それはいい。
それはいいのだが、愛が消えたからといって(あるいは、はじめから愛なんかなかったからといって)、もう好きじゃないから何でもありだよね、というやり方は、あまりに品性を欠いている、と思うわけだ。
しかし、この漫画は、違った。
そこに、ちゃんと愛があった。
夫婦も、親子も、人間だから、生きていれば、色々あるのだ。
誰の人生だって結構ハードモードで、愛があろうが金があろうが、上手くいくとは限らないのだ。
だが、愛があれば、出発点になり得る。
それもおそらく、他の全てに比べて、かなりマシな出発点に。
私はそう思うから、この漫画の提示した現実的な夫婦の顛末が、なかなか好きであった。
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