5.0
憂鬱なるサバイバー
事故や災害だけではなく、虐待などの過酷な経験を生き延びた人のことも「サバイバー」と呼ぶそうだ。
本作の主人公である雪はそんなサバイバーであり、彼女代行のバイトで収入を得ている。
ときどき思うのだが、単純明快な正義や勇気や夢や希望に生きる主人公がヒーローやヒロインになるには、現代はいささか複雑になりすぎたような気がする。
そして、私たちはいささか「知りすぎた」ような気がする。
それは例えば、正義の名の下に行使される独善的な暴力や、叶えられた一握りの夢の輝きに隠れて散ってゆく者たちの末路や、希望という仮面を被った悪辣なビジネスや、そういう何やかやだ。
そういう有象無象の悪意や欺瞞に対して、私たちは賢くなりすぎたし、疑うことを覚えすぎた。
そんな時代にあって、いったいどんな人間が、フィクションのヒーロー/ヒロインになり得るのか。
その答えのひとつが、意志と哲学ではないかと私は思う。
世間の常識や道徳や慣習とは関係なく、自分の明確なルールがあり、何があろうとそれを守る。
「闇金ウシジマ君」はそういう種類の現代のヒーローだと思うし、全く別の漫画だけれど、私には、本作の雪とウシジマ君がだぶって見えた。
そういう意味で、彼女は、まさに現代漫画のヒロインだと思う。
特に最初のエピソードには、彼女の生き方が凝縮されていて、その強さと悲しさに、激しく胸を打たれた。
雪は、夢も希望も信じていない。
そして何より、愛を信じていない。
彼女が本当に信じているのは、金だけだ。
しかし、こういう言い方は本当に傲慢で嫌なのだけれど、それは、間違いだ、と私は思う。
私がそんなふうに思えるのは、きっと、雪のようなサバイバーになる必要がない、甘く幸運な人生を歩んでこられたからなのだろう。
まあ、それは認める。
認めるが、思うのだ。
全てを疑っても、愛だと信じたものが愛ではなかった、という経験を何度重ねても、愛が消える瞬間をこの目で見ても、それでも、愛だけは疑っちゃいけない、と。
それが、私の哲学だ。
生き延びることに、価値はある。
でも、生き延びた先にあったものが金だけだったなら、「生き延びてよかった」なんて、思えるだろうか。
だから、私はいつか、雪が愛を信じられる日が来ることを願って、この漫画を読み続ける。
強く、冷たい、この憂鬱なるサバイバーが、いつの日か、愛を知ることを夢見て。
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