3.0
よくわからない
さくらという女性はどう思って毎日生きているのか…義父のことも、一人の男性として好きなのか、仕方なくなのか…
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さくらという女性はどう思って毎日生きているのか…義父のことも、一人の男性として好きなのか、仕方なくなのか…
時代背景もあいまって、暗く沈んだどんよりした世界が描かれている。女は美しいが、逃げ場のない哀しみを抱きながら耐えている。まだ一つ目の話しか読んでいないが、ほかの話も読んでみたいとは思う。
この先生の作品は戦後の混乱期を舞台に
性描写がとっても多くて
女の子はとっても感じやすくて
サクッと読めます
この作者はどこか同じような話を書いている。
それが売りなのかもしれないが、少し読み飽きてきた。
もちろん面白い物語もあるが大半が同じな気がする。
しびれました。
それぞれの花の枯れる様を表す美しい日本語です。
それでも、そんなキャラクターに悲劇や悲恋を感じても、不幸にはならなかったと思わせられるストーリーこそ、魔木子ワールドの真骨頂だと、納得しました。
「散る桜」のさくらと義父は一番根っこにどんな人間より純粋な思いで繋がっていたように思います。それこそ、「愛」とか「絆」なんて言葉が薄っぺらく感じられるくらいに。しかし、お互いに対して歪んだ形でしか表現できなかった分、どうあがいても、幸せに成就させることはできなかったと思います。
史郎のような常識ある価値観を持つ普通の人間には、さくらの愛情は受け止められなかったんでしょう。
去っていくさくらを何もいわずに見送ったところに、史郎の精一杯の恋情があったのだと思いました。
「しぼむ朝顔」清涼剤の役割を果たした作品でした。
みどりの掴んだ幸せにほっとしました。
そしてなにより、特攻隊で生き残った復員兵のリアルを感じました。
特攻隊は「靖国で会おう」を表向きの合い言葉に爆弾抱えて散っていくことしかできなかった軍隊です。特攻兵に限らず、生き残った自分を後悔して戦後を生きた復員兵は、戦争のない現代日本では考えられないくらい多かったらしいと聞いたことがあります。
みどりのどんなことをしても、未来にある幸せを信じて生き抜く姿は、戦後の復興を支えた原動力のように思えてなりません。
「崩れる牡丹」は、本物の悲劇だと思いました。
身分がものをいう大正時代に、裏社会の汚れ仕事を引き受けることによってなりあがった関と、混血で八方塞がりの元華族の娘牡丹が出会った、ありとあらゆる人間の業を集めたような牡丹倶楽部。どこから切り取っても生きて育むことはできなかった恋だと思います。それでも、牡丹の望みを叶えるための道行きは、二人このうえもなく幸せだったと思います。
誰もがおもう幸せに背を向ける形になりますし、現代の価値観と照らし合わせても、さくらと牡丹の幸せを支持できる人は少ないと思います。それでも、このラストが幸せだと力強く感じられる、良作だと心から思います。
絵が綺麗で読みやすかったです。義理父との関係はこの先どうなるのか、母親は本当に逃げたのか先が気になります。
義理の父親に犯されるなんて、可哀想すぎて胸が苦しくなりました。
義理の父親から逃げてあの青年と幸せになってほしかった。
最後もハッピーエンドで終わってほしかったです。
しんどいから純愛が生まれるのかなあ、、、
勝手に予測して物語りを妄想していますが
この先、どんな物語りになるんだろう。
始まりのしんどさを超えて、幸せご訪れるんだろうか
この作者さんの作品は好きなものが多いのですがこの作品だけはどうも設定が苦手でした。義理とはいえ親なので、、ちょっと無理すぎます。絵は他の作品と同様美しいです。
逃げた母親の代わりにいたぶられるさくら。
可哀そうだけど狂った野獣みたいな義父から救う手立てはないのか。
むごすぎる。