3.0
老兵はただフェード・アウェイ
それぞれ、恋人との関係を「面倒臭い」と感じて別れた男女がゲームのオフ会で出会い、何とも言えない微妙な関係を続けていくことになる、という漫画。
ひとつの表現として、新しいとは思った。
二人の造形は、その関係性を含めて、リアルというにはほど遠く、さすがにないだろう、とは思う。
ただ、論点はそこではなく、たとえ架空のものであれ、こういう関係性が一定の需要や支持を得る、というのは、何というか、時代だな、と思う。
この漫画の二人の会話や関係性を見て、現在進行形で若い年齢を生きる読者がどう感じるのか、私には想像するしかないのだが、例えば「和む」とか、「ほのぼのする」とか、「ゆるさに癒される」とか、そういう感じなのだろうか。
それこそ「こういうのがいい」という感じなのだろうか。
私個人は、はっきり言って、ひどく疲れた。
その疲れの正体というのは、単に若者の会話についてゆけない老人のそれである、と言えないこともないが、本当の原因は、別のところにあるとも思った。
上手く言えないが、あまりに行き過ぎた空元気や作り笑いは、見る者を疲れさせる。
私が本作から受けた印象というのは、それに似ている。
私には二人の生き方というのが、壮絶な空回りにしか見えなかったのだ。
人間関係にまつわる「面倒臭い」ことというのは、たくさんある。
私は「面倒臭がり」という指数で言えば、全人類の中でもかなり上位のパーセンテージに入る自覚があるから、「面倒臭いな」と逃げ出したくなる気持ちも、「面倒臭い」が存在しない関係に憧れる気持ちも、わからないでもない。
「面倒臭くない」が究極的に行き着く先は、何も求めない、何も求められない、そういう関係である。
それを理想とすることを、別に否定するわけでもない。
ただ、私なんかは、思うのだ。
求めず、求められず、そんな関係には、ひりつくような痛みはない代わりに、深い心の震えもないんじゃないの、と。
「面倒臭い」ことが存在しない関係、ではなくて、「この人とだったら面倒臭くてもいいかな」と思えるのが、愛なんじゃないの、と。
「いや、別に愛とか要らないんだけど」と言われたら、私のような老兵は、ただフェード・アウェイするしかないのだけれど。
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