3.0
余命○○アレルギー
最初に謝罪しておく。
以下に述べる内容は全て、私の性格が捻じ曲がっていることに由来するものであり、漫画に責任はない。
申し訳ない。
私は、「余命○○」という設定が、根本的に好きではない。
だったら読むなよ、という意見はごもっともなのだが、死神、というトリッキーな主人公に惹かれて、思わず読んでしまった。
結論としては、まずまず楽しめたのだけれど、「余命○○アレルギー」の私はやはり、イマイチ入り込めなかった。
やはり、「余命○○」という設定だけでもう、私は駄目だ。
繰り返し、素直な心をどこかに置き忘れて大人になってしまった私は、「そんなの感動するに決まってんじゃん」と思ってしまうからだ。
他の作品名を明示するのは避けるが、例えば「○日後に死ぬワニ」とか、タイトルを聞いただけで、「ハイ反則ー」と思う。
いや、感動はするよ。
私とて人の子であるから、余命○○の人やワニが死に向かいながら生きているのを見て、感動はする。
ただ、そういう感動が、私は嫌いだ。
ひとつは、感動の押し売りをされているような気分になるからだ。
二つ目は、そんな、どういったって感動するしかないような設定に頼って、恥ずかしくねえのかよ、と天邪鬼なことを思うからだ。
三つ目は、余命を知って日々を慈しむ、という構図自体が、そもそも嫌いだからだ。
これは、図式としては、恋人を失ってから「失って初めて気づいたよ」系のことを言う男に似ている。
私はそれが、大嫌いである。
そんなもん、先に気づいとけや、とほとんど憤怒すら感じる。
そういう人間にだけは絶対にならないと決めて長い間生きてきたから、これは、変えられない。
別に余命を宣告されようとされまいと、私たちは皆、緩やかに死に向かっている。
それを、いついつがリミットですよ、なんてわかりやすく示してもらえないとクリアに生きられないなんて、ちょっと残念すぎないか。
大切なのは、残り少ない命を知ってどう生きるか、ではなくて、どれだけ残りがあるかわからない命をどう生きるか、ということなんじゃないの、と、私なんかは思うのだけれど。
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