3.0
少年時代の終わりに
週刊少年ジャンプで本作の連載が始まったのは、私の大好きだったジャンプのギャグ漫画「王様はロバ」と「すごいよ!!マサルさん」の連載が相次いで終わり、「幕張」もピストルズのように消え失せて、少し経った頃だったように記憶している。
私は十代の終盤で、そろそろ「少年」ではなくなりかけていた。
週刊少年ジャンプの歴史的に見れば、上記の作品たちに続く「ギャグ枠」における重要作品が、「ボボボーボ・ボーボボ」になるのではないかと思う。
残念ながら、私は全く笑えなかった。
この頃から私がジャンプを離れたのも、おそらく本作に全く入ってゆけなかったことと無縁ではないように思われる。
申し訳ないが、若い心で思った。
天下のジャンプのギャグ枠が、これなのか、と。
「つまらねえから笑えねえんだよ」と本作を切り捨てたわけではない。
私が感じたのは、何か決定的なズレだった。
笑えなかったのは、理解できなかったからだ。
こういうことを書くと、誰かが言うのだろう、「わけがわからないけど面白いのがボーボボなんだよ」と。
違う。
そんなこと言ったら、「マサル」だって相当わけがわからなかった。
だから、ややこしい言い方になるけれど、「わけのわからなさが面白い、という作品であることは理解できるけれど、ボーボボのわけのわからなさの面白みが、私には理解できなかった」ということになる。
シュールだとかナンセンスだとか、言葉はどうでもいいのだが、「マサル」のそれは笑えたのに、「ボーボボ」のそれは笑えなかった。
その差がどこにあるのか、私にはわからない。
それは多分、言語化不可能な感覚的なものであり、つまり、致命的なものだったのだと思う。
私の好きな小説の中に、「若い世代の音楽を理解できないと感じたら、それは自分たちの世代が次の世代に時代の松明を譲り渡した最初の合図だ」みたいな言葉がある。
多分、そういうことなのだろう。
「ボボボーボ・ボーボボ」は、私の少年時代の終わりとして、ひとつのサインだったような気がする。
少年はいつか、少年ではいられなくなる。
別に悲しくはない。
ただ、終わってしまった少年時代について考えるとき、私はときどき、「ボボボーボ・ボーボボ」のことを思い出す。
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