途中「あら ティータイム中でしたか」からのふたコマがダブっていますね。
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途中「あら ティータイム中でしたか」からのふたコマがダブっていますね。
「だからどうってこたぁねェ 俺の七年なんざ。そんなことより…」
後に明かされる寅次の凄絶な七年を知ってこの言葉を聞くと胸が詰まります。
密通相手との逃避行、の場面なのだけれど一幅の錦絵のように美しい。
この頃子どもの帯はこんな風に結んでいたのね、と新鮮でした。
後の方を見ると小女(下働きや長屋住居の)もこんな風に簡単に結んでいるようなので興味深かったです。
最後の二人の晴れやかな笑顔をみることができて至福
「俺と同じ夢を見てくれるなら… その執着心置きなく道連れにしてやろう」
八重辰も寅次の想いに負けないくらい寅次のことを大事に想っていたことがわかつて嬉しかったです。
これまで身を削るように育てて来た大店の主人であり愛して止まない娘もいる、そんな大切な存在を全て失う覚悟で店の皆に寅次の存在を認めて受け入れて欲しいと話したのですね。
もとより店の皆は寅次の人となりを知っていてむしろ応援してくれましたが。
この巻は本当に文章の美しさが際立ちます。
「俺ばかりが恋に八つ裂きにされたわけではなかった」「恋とはこうも身を焼くものか」「こうして生きて行くことの仕合わせを…」など詞だけでも堪能できます。
何はともあれ二人がそしてお天ちゃんが幸せになりそうでこちらも報われた気持ちになりました。
水も滴る色男二人の道行、言葉に尽せぬ艶やかさ。
「寅次の手は人をぶつより多くのことができるはずだ」という言葉ひとつを寄す処にして足を擦り切らし生霊のようになって七年もの間ひたすら探し続けた寅次。
好いたまま傍に居させてもらうことを至上の幸せと思う、思おうとしているのが何とも健気でいじらしいです。
「すーちゃん帰りましょう」という言葉に誘われてすみれさんは恋人のもとに旅立って行くのね。
フェデリカは少しずつ自信と自己肯定感が強くなっていますね。
「私なんか」という自身を卑下するクセがもはや習い性となっているフェデリカにとって、一つ間違えればお手打ちになる恐れもある高位の身分相手に立ち向かうということがどれだけ勇気の要ることか…。
でもアルマンドに見出されてから自分を取り巻く人々の好意や温かさに気付き、次第にそれを素直に信じられて行くようになっています。
何よりアルマンドの愛情を信じ、受け入れられるようになって来ているのは大きな進歩だと思います。
根深い自己否定を払拭できるようになるまであともう少し。お腹の中の赤ちゃんが生まれる頃までにはお母さんとしての覚悟と自信が備わっているといいなあ。
三食昼寝付き生活を約束してください、公爵様
165話
三食昼寝付き生活を約束してください、公爵様(165)