れれれこしゃんしゃんさんの投稿一覧

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41 - 50件目/全148件
  1. 評価:4.000 4.0

    組織の膿って凄いね!

    会社の人事に関わる久我さんは、少しおせっかいだけど、懐が深く、我慢強く、仕事熱心な女性で、あらゆる困難を持ち前の知恵と行動力で解決していく。それは簡単なことではない。尊敬する上司を疑わなければならないこともあったし、ゆるい後輩を鍛えなければならないし、傲慢でやる気のない社員にカツを入れなければならない。そして一人では戦えない正直な弱者に自信を与え、自己肯定感を高めることに精力的に働きかける姿は頭が下がる。決してきれいごとでは済まされない人間の恥部も含めて、久我さんは、前向きに挑む。そして決して諦めない姿勢が素晴らしい。組織は大きくなればなるほど膿がたまるようで、それに流されないように果敢に戦う姿は清々しい。久我さんのエネルギーはいったいどこから来るのだろうか?

    • 1
  2. 評価:4.000 4.0

    順序が前後しても

    貴族社会は女性に相続権がないから、嫁に行かざるを得ないし、結婚するしか生きる道はない。ましてやレベッカのように結婚より錬金術の仕事を続けたいなんて問答無用。そんな彼女に差し伸べられた救いの手は、公爵から婚約の提案。王宮からの強い要請で結婚せざるを得ない状況での契約婚約は、錬金術を続けたいレベッカと、結婚しなければならない侯爵の利害の一致を可能にする。誠実で寛容な公爵はレベッカの仕事に理解を示し、十分な財力で彼女を支える。そして天真爛漫な彼女に惹かれていく。のびのびと仕事ができるレベッカも公爵の人柄に心を開く。出会いのきっかけは契約であっても、二人の心の変化が自然で微笑ましい。多少順序が違っても、二人が互いに求め合うなら、それもありではと思わせる展開がとても楽しい。

    • 0
  3. 評価:5.000 5.0

    彩芽の成長した姿が見たい!

    黒龍、朔と彩芽の出会いは、彼女が生贄として捧げられたものであったが、朔は不幸な生い立ちから声を失った彩芽の悲しみを知り、彼女を慈しみ大切にする。彩芽も彼の優しさや深い思いやりに触れ、二人は心を通わせ、寄り添い共に生きたいと願うようになる。話せない彩芽の筆談で気持ちを伝える健気な姿が朔の心を打つ。今は名ばかりの夫婦で、彩芽は朔のために何をしていいかわからないが、これから色々学んで、困難や試練を乗り越えて、ただ愛されるだけではなく、朔を心から愛し支える強い妻になれることを願い祈る。いつか名実ともに朔の妻と胸を張れる彩芽に会いたいと思う。

    • 11
  4. 評価:4.000 4.0

    日本のどこかで.....

    フィクションとわかっていても、今でも日本のどこかに存在している状況のような気がするのは私だけでしょうか? 村八分のような閉鎖的な慣習が躊躇いもなく行われて、誰もそれが当たり前だと受け入れ、違和感すら感じない人々の心模様が恐ろしい。それに歯向かおうとすれば、ことごとく潰される現実は凄まじい。嫁姑バトルを利用して、権力と財力にものを言わせて町全体を牛耳る、その行為の数々はもう犯罪レベルに達しているにもかかわらず、戦おうとする人が少なすぎて呆れるばかり。しかし、これも世間というものの、ある一面でもあるから無視することはできない。平等な世界がどんなものかは知らないが、少なくとも自分らしくあるがままに生きて暮らしていけたら、私はそれでいいと思っている。

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  5. 評価:5.000 5.0

    当たり前の中にある幸せの尊さ

    森に住む母猫は、幼い子供たちを懸命に育てている。それは猫だけでなく、母を亡くした竜の子や悪魔の子に至るまで、分け隔てなく慈しみ、愛情を注ぎ、育む姿は微笑ましい。そのように育って巣立った子供たちも自分が育てられたようにわが子を育てる。母猫に育てられた竜はその恩を忘れず、多くの猫たちの子供を立派な大人の猫に育て上げる。幼い弱い子供を育てることは当たり前の事だが、愛情と信念と忍耐が必要とされる。当たり前のことは棚から牡丹餅ではなく、並大抵の覚悟と努力が必要で容易いことではない。そのたゆまない努力の結晶が私たちが感じる幸せなのではないだろうか? この物語は私達にその大切さを静かに優しく諭してくれる、心温まるエピソードで溢れている。

    • 5
  6. 評価:5.000 5.0

    亜人は人と対等になれないの?

    人と獣の両方の特性をもつ亜人のヒロインが、弟を殺された復讐を誓う。疑う相手は、今仕えている主かもしれないし、王位継承権をもつ他の皇子かもしれない。女性であることを隠しながらの探索は困難を極める。ヒロインが魅力的である故、周りがざわめく。人の心と獣の体をもつ亜人は見下されながら仕えている。亜人の身体能力は人を超えてるし、人には無い異能もあるのに、まるで物のように扱われる。この理不尽さが、この世界では違和感なくまかり通っているから、弟は無残に殺されゴミのように捨てられた。いずれ真相解明はされるだろう。しかし本質は何も変わらない。人と亜人の間には高い壁がそびえ立ち、亜人を容赦なく痛めつける。人は同じ人の心をもっていても、体が獣だと見下すことしかできないのか?対等に接することはできないのか?欺瞞に満ちた人の世界で、亜人があるがままに生きることは不可能なのか?

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  7. 評価:5.000 5.0

    バネッサは、いったい何者?

    足長おじさん的要素を含んだ物語展開が微笑ましい。先生と呼ぶ支援者からの助けで、孤児のバネッサが何故、英才教育が受けられる学院に入学することができたのかが疑問だ!バネッサがいい子で賢いからかもしれないが、それだけではないだろう。夏休みも避暑地に滞在し楽しく過ごし、ギドウという魔法使いと親しくなり、時折バネッサに会いに来るが、彼が支援者の先生ということをバネッサは知らない。おそらく、バネッサ自身も気づいてない特殊な能力が彼女にはあり、それを育てる為に彼女の支援が必要なのではないだろうか?バネッサはそろそろ卒業後の将来の職業を悩み始めているが、在学中に彼女は能力を開花させて、おのずと道は開かれるだろう。彼女の希望する未来が広がることを願い、彼女の幸せを祈る。
    余談だが、私はㇹニルが欲しい!

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  8. 評価:4.000 4.0

    ノスタルジーの風に吹かれて

    高校が舞台であることを途中で気づいて、あら、中学生ではなかったのって思ってしまっつた。それくらい主人公の椿は素直で心根の優しい少女だし、椿の憧れの五十嵐君も誠実で率直で、清々しい少年だから。高校生なら、もっと現実的で、合理的かつ損得勘定に敏感で、ある種のあざとさがあるはずだから。教室で繰り広げられる人間関係の亀裂やいじめも、陰険ではあるけれど、陰惨で悲惨な犯罪レベルではないのが救いかもしれない。タイトルにある「隣の席の~」がいかにも中学生ぽさがあって可愛い。中学であれ高校であれ、椿と五十嵐君の交流は、物語の始まりを表し、二人の気持ちの変化が微笑ましい。通り過ぎた昔を懐かしむような優しさと安らぎがこの作品には溢れている。

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  9. 評価:5.000 5.0

    作者の意図するもの?

    読者が納得しても、納得しなくても、物語は終わりを告げる。終盤は皆が落ち着いて穏やかに暮らしているようだが、最初から中盤までは酷かった。これでもかというほど理不尽な行為が繰り返され、主人公はボロボロになった。今は落ち着いている父も罪深い事をたくさんしたし、義弟も実の父の血を引く強引さがあり、悪魔のような継母の根性は変わらないし、祖母の無念は晴らされていない。快くんも最初は冷酷で酷い男だった。主人公は彼らに苦しみ続けた末、それを乗り越えようとしているのは立派だが、彼らの罪は消えたわけではない。彼らはしたことの報いを受けることなく物語が終わるのは何故だろう?作者はそれを私たち読者に託したのかもしれない。あなたならどうすると?そういう意味で読者の心に深く残る作品であることは間違いない。

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  10. 評価:5.000 5.0

    人間は頂点捕食者でなければいけないのか?

    妖魔は人の臓器を食し生き永らえるから、人間は妖魔を退治しないと生きられない。その為に開発された半人半妖の主人公が登場する。人間は絶えず食物連鎖の頂点にいなければ我慢できないのか?加えて興味深いのは、半人半妖が女性しかなれないことだ。男はその実験段階で死んでしまうらしい。精神面では人間として生き、身体能力において妖魔以上の技術を有するから、そのバランスが壊れた時は妖魔と化す。妖魔の肉体が人の精神を滅ぼすこともあるようだ。だからクレイモアの戦士たちは自身を律しなければならない。食物連鎖の観点で言えば善悪は存在しないから弱肉強食は仕方ない。しかし、知恵を持った人間対妖魔となれば話は違うのかもしれない。妖魔に食べられたいとは思わないが、同時に自分を含めて人間とは実に厄介で、面倒で、不思議な生き物だと思う。

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