もう、海老原勝男さんこと海老カツさん、大好き!
こんな健気で実直で誠実な男性がいるでしょうか。
おじいちゃま大好きだった身としては、こんな風に世相に流されずに、自分と大切などなたかの為に最善の事をお説教してくれる人の思いやりに、グッと惹かれてしまいます。
海老カツさんが白崎さんのルックスなら、完璧なのになあ。。
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もう、海老原勝男さんこと海老カツさん、大好き!
こんな健気で実直で誠実な男性がいるでしょうか。
おじいちゃま大好きだった身としては、こんな風に世相に流されずに、自分と大切などなたかの為に最善の事をお説教してくれる人の思いやりに、グッと惹かれてしまいます。
海老カツさんが白崎さんのルックスなら、完璧なのになあ。。
もちろん、極々少数派である自覚はあるのですが、私は海老原さんこと海老カツさんの様な、公私ともに延々とアドバイスをくれる、少し嫌味なくらいに自信過剰な男性は、とても好みのタイプです。
幼稚園児〜学生時代の成功体験しか価値基準が無いという乏し過ぎる指標も、そこからほぼ成長していない価値観の幼稚さも、おそらくは周囲も似た様な人しか居なかったから、これが当然で、これまでは学ぶ必要も無かったのでしょう。
しかし、友人達の言動や反応を敏感に察知し、自分の至らなさを探求するために夜な夜な慣れないお料理に取り組み、彼女さんとの別れの経緯を悔い、後悔の涙を流し、言動を改め、素直に詫び、先へ進もうともがきいざる彼。
痛々しくも勇気と誠実さに満ちた彼の真摯さに、心打たれました。
願わくは、私好みの小柄でややぽちゃで、機知に富んだお話が楽しい感じのルックスだったら最高なのに。
あっ それって白崎さん?
かび臭くなるほど封入したまま放置されていた、スペイン王家の本から察するに、彼の妄想はかなりの年月放置されたままで、解決策として会話や受診や投薬の代わりに、潤沢なお金と不自由ない暮らしだけを与え続けて事実上無視し続けていた。
グランマの英才教育の賜物か、素敵な人物を観る目に長けていらっしゃるお孫さん。愛らしいなあ。
一見、他人の余計なお節介の様ですが、どなたも嫌われる事を怖がって与えてくれないアドバイス。
自分の為ではなく、他者の為の言葉を真摯に放てるグランマ達の美しさに、今日も惚れ惚れしました。
この心温まる会話と笑顔を、まるですぐ隣でもらい笑顔をしつつ、ラウンジで良い香りの紅茶を頂きながら見守っている様な心地になる、臨場感豊かで心和むこの巻が好きです。
これは日本の風習ではなく、悪意と共に日本を下卑に描いている嘘の昔話です。
おそらく作者は外国人でしょう。帯や帯締めなど、実際の和服を見て着たことのある人が描いたものとは思えないほど、全てがめちゃくちゃです。
おじろくおばさについては、たくさんの研究結果が論文として残っています。彼らは大切にされていたので、こんな性暴力、ましてや同じ村民に身体を売るなど、決してありませんでした。
彼らは自身の家族を作れない超優秀な小作人の様なポジションで、虐待どころか、むしろ豊かさをもたらす彼らのことは村でも家でも大切にしていました。
極少数しか居ない人たちの中で、伴侶や資産の奪い合いから潰し合いにならない様に、長男以外は家族を持つことを禁止されていましたが、おじろくおばさは大変良く働くので、虐待よりもむしろ、家の守り神の様な存在でした。
必ずしも長男だけがリーダーになる訳ではなく、無能な長男が逆におじろくとして一生働き、次男以降の優秀な者が家長になる家もありました。
おじろくおばさの風習があったのは、数家族しか住んでいなかった(辺鄙過ぎて誰も住まなかった)極めて貧しい一つの村だけでした。しかも、明治時代の極限られた期間のみ。彼らはみな、道徳的にも守られて平穏無事に家族生活を送っていました。
その村は「なぜここで生活し始めたの?」と思うほど山奥の不便な所にありました。
元々耕せる平地も栄養のある土も資材もなく、かと言って産業を生み出せる様な努力家も才人も居ない閉鎖的な集団生活の中、秩序正しく家族を養う為の制度が「おじろくおばさ」です。
この村のおじろくおばさが外界に発見された時は「なぜ逃げないのか?脅されてたの?」と虐待が疑われ、様々な研究者による調査が行われましたが、実際は虐待は無く、おじろくおばさが逃げない理由は、幸せだから。
「衣食住に困らず、いじめられもせず、嫌なこともされず、逃げる必要がなかった。
奴〇ではない。自分の家族を作る事が出来ない(分家を許されない)以外は、差別や暴力は無かった。
一家で一人しか家を継げないのは仕方のないことと教えられていたし、自分も納得して働いた。」
と研究者へ答えていました。
旅人と一緒に村を出たおじろくおばさも居ましたが、外界の過酷さに逃げ帰り、
逃げ戻って来たおじろくおばさに罰を受ける事もなく、再び一緒に働いたそうです。
これは日本の風習ではなく、悪意と共に日本を下卑に描いている嘘の昔話です。
おそらく作者は外国人でしょう。帯や帯締めなど、実際の和服を見て着たことのある人が描いたものとは思えないほど、全てがめちゃくちゃです。
おじろくおばさについては、たくさんの研究結果が論文として残っています。彼らは大切にされていたので、こんな性暴力、ましてや同じ村民に身体を売るなど、決してありませんでした。
彼らは自身の家族を作れない超優秀な小作人の様なポジションで、虐待どころか、むしろ豊かさをもたらす彼らのことは村でも家でも大切にしていました。
極少数しか居ない人たちの中で、伴侶や資産の奪い合いから潰し合いにならない様に、長男以外は家族を持つことを禁止されていましたが、おじろくおばさは大変良く働くので、虐待よりもむしろ、家の守り神の様な存在でした。
必ずしも長男だけがリーダーになる訳ではなく、無能な長男が逆におじろくとして一生働き、次男以降の優秀な者が家長になる家もありました。
おじろくおばさの風習があったのは、数家族しか住んでいなかった(辺鄙過ぎて誰も住まなかった)極めて貧しい一つの村だけでした。しかも、明治時代の極限られた期間のみ。彼らはみな、道徳的にも守られて平穏無事に家族生活を送っていました。
その村は「なぜここで生活し始めたの?」と思うほど山奥の不便な所にありました。
元々耕せる平地も栄養のある土も資材もなく、かと言って産業を生み出せる様な努力家も才人も居ない閉鎖的な集団生活の中、秩序正しく家族を養う為の制度が「おじろくおばさ」です。
この村のおじろくおばさが外界に発見された時は「なぜ逃げないのか?脅されてたの?」と虐待が疑われ、様々な研究者による調査が行われましたが、実際は虐待は無く、おじろくおばさが逃げない理由は、幸せだから。
「衣食住に困らず、いじめられもせず、嫌なこともされず、逃げる必要がなかった。
奴0ではない。自分の家族を作る事が出来ない(分家を許されない)以外は、差別や暴力は無かった。
一家で一人しか家を継げないのは仕方のないことと教えられていたし、自分も納得して働いた。」
と研究者へ答えていました。
旅人と一緒に村を出たおじろくおばさも居ましたが、外界の過酷さに逃げ帰り、
逃げ戻って来たおじろくおばさに罰を受ける事もなく、再び一緒に働いたそうです。
大好きな誰かや何かのためなら、なんでも出来る!どこまでも頑張ることが出来るでしょ!
夢!気合い!根性!
その目標は、果たして誰のものなのか。
何よりも大切な自分自身のためのことなのか。
「まだ子供の内は、人生に大切なことが分からないから、親が導いてあげなくちゃ!」という親の愛情と言う名を借りた果たせなかった夢の身代わりにされている子は多いですよね。
この御母様の様に、素直に誠実に御嬢様の為を思って舵を切り直せる親は少ない。
ブッキー先生のファンです。
と言うよりも、私もこんな風に他者へ寄り添って、その方の本来の心と身体の健康を引き出す力になりたい。
「わたし、場違いだ・・・」その感覚が清川さん=源氏名いちごさんがまともな証拠です。いますぐに全力で逃げてー!
それにしても、一緒に働く同年代の女の子たちは彼が危ないお客様と知っていながら、初な清川さん=いちごさんを助けてあげないものなのだなあ・・・と、分かりきってはいるもののショックです。
じゃあ、あんたが作ってみろよ
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第3話(1)