この貴族のお父様、領主(かな?)としてはどうなんだろう?
と思ってしまうほどの人の心のわからなさ。
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この貴族のお父様、領主(かな?)としてはどうなんだろう?
と思ってしまうほどの人の心のわからなさ。
主語を「I、私」にしたところで、
「それはお前がそう思っているだけだ」などと
聞く耳をもってくれないんだわー。
…といったことがあったな。
本人が不摂生な生活続けるんなら、プロに任せていいと思うわ。
アルコール依存症じゃなくて他の病だけど
そのプロのおかげで多少良くなったら
「また悪くなったら病院に行けばいいんだから~」と
家に戻れば元通りどころか、ますます不摂生な生活をする病人に
散々苦労させられた者として書かせていただいた。
どこかに「肩代わりするのはだめ」とも書かれていたけど、これは本当にそう思う。
手助けはするけど、肩代わりはできない。
お医者さんだって同様。手助けをするしかできない。
治すのはあくまで本人。
現実には難しいんだろうけど
本来なら週一日くらいはこのくらいゆっくりできるといいんだろうね。
サラリーマンだって週末は休みなんだから
主婦だってお母さんだって、週一度くらいは休んでもいいと思う。
女は子どもを産む道具、娘は政略結婚の道具か。
それならせいぜい大切に扱わないとな。
道具だって手入れは必要よ?放っておいていざというときに使えると思うなよ?
イクメン。
皮肉なことに自分でいう奴ほど
たいした戦力になっていないことが多いような。
とりあえずその週末に奥さんを休ませてあげなされ。
この頃トマトは観賞用か。
食ってみな?美味いよ?
先は長そうだけど、いい方向に進めそう。
「おじさん」は事情もすべてご存じで、カタリーナの味方。
そしてカタリーナによさそうな家庭教師を
いざとなれば多少強引な手を使ってでも連れて来るだけの力もある。
アルテにしたってお父様は味方だった。
絵が好きとわかれば、いい先生をつけてやれるだけの力もある。
本人の努力もそうだけど、努力できる環境ってのもあるだろう。
と、フィクションとはいえこういった話には必ず味方がいる。
いないとしても美貌や頭脳に恵まれていたりといった武器を持っている。
実際にはそう上手くはいかないもんだよな…
と、イラッとするときは精神状態が悪いときw
「○○の分まで生きるのよ」
↑これ、普段は基本的に忘れていてもいいと思う。
私がそう思うようになったのは別の作品で
その子をかばった親御さんが亡くなって「お父さんの分まで~」といったのを読んだとき。
このさき生きていると、自信がなくなって
自分の存在すら許せないようなときが来るかもしれない。
そのときにちらっと思い出して
(この作品では)「お父さんが命を懸けてかばってくれたんだから、生きている価値があるんじゃないかな?」
と、そのあと少しだけでも生きてみようかと思えればいいと思うのよ。
こうして本人が頑張ろうとするなら支えるけど
飲んだくれては言い訳続けているだけなら
冷たいようだけど、見捨てるわね。
アルテ
103話
第29話 帰る場所(6)