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アフリカ象の規格外vs.人間の規格外
刃牙のお相手のバケモンばかり見てたせいか、鮎川ルミナ君には心洗われました。彼は目が良いんですね。刃牙の、ハチミツの部分、かっこよくて好きだな。にしても、やっぱり刃牙の笑顔にはほのかな狂気があるんだよなあ…あの人の息子だなあ…
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698位 ?
刃牙のお相手のバケモンばかり見てたせいか、鮎川ルミナ君には心洗われました。彼は目が良いんですね。刃牙の、ハチミツの部分、かっこよくて好きだな。にしても、やっぱり刃牙の笑顔にはほのかな狂気があるんだよなあ…あの人の息子だなあ…
正直、刃牙より好きかもしれない。お洋服のセンスが信じられないくらい悪趣味で好き。特に靴、もう、どこで売ってるのこんなの。「花火」の回、気持ちはわかります、わかりますが、やっちゃダメだろコレは。はあ。花山薫、大好き❤️
人間のサイズが10メートル、何なら顔の大きさだけで1メートル位あるやつがいる。北斗の拳でもサイズ感が完全に狂ってて楽しかったが、バキも相当やばい。男の子ってホント、ケンカ大好きなんだなあと思う。絵がめっちゃグロテスクだけど、刃牙って漫画はそこがいいんだよね。それと、刃牙の顔って優しそうであどけないんだけどある種の狂気がありますね。怖そうな顔の男たちの100倍くらい、刃牙の顔のまともさとほのかな狂気が、怖いのよ。
端正な線の絵なのに、見事なまでにドロッドロ。視点の違いで読者のミスリードを誘う見事な展開。登場人物たちが自分に都合よく世界を見ているだけなのだが、さもそれが真実であるかのような語り口が素晴らしい。一気にそれがオセロのようにひっくり返される瞬間がクライマックスなのだが、そこに至るまでの居心地悪さが、アガサクリスティの小説みたいだ。ただ、視点持ち回り制の中で父親の視点だけが無いから、それが残念。どうしようもない父親を創り出した古い家の構図は、そのまま主人公の弟と母親の関係に当てはめられる。弟は男の子だからという理由だけで甘やかして育てた結果、どうしようもないクズ息子に育っている。そして父親も全く同じように育てたられたと容易に想像がつく。しかし、家で自分のことを何一つやらない、妻を労わることもしない、実の母親に罵倒される娘を庇いもしない、弟ばかり贔屓して叱ることもしない、そんな男が、学校で子どもを導く教師?ちょっとリアリティに欠けるかな。普通ならとっくに離婚されてるだろうし、学校でも嫌われてると思う。そこらへん、掘り下げて欲しかった。あと、クズの弟の内面も。口先だけの自己愛男だということはわかったのだが、女の話だけにしないで、コイツの断罪もして欲しかった。将来、クソ親父と全く同じになるのか、そこまで見せて欲しいな。コイツのクズ加減は、「姉ちゃんの性格はよくわかってる。承認欲求が強いから、自分こそが母さんの世話をしたいはずだ」と全部自分に都合よく確信して押し付けようとしたところにある。いや、こいつホント、母親も姉のことも微塵も心配してないよね。金にもだらしないようだし、弟の嫁はすぐに逃げ出した方がいいぞ。
第二話以降はあまり興味を惹かれなかったので読むのをやめた。既婚男に騙されて付き合ってた女が法に訴えようとしてる導入部…なんか萎えました。
ジャンプ漫画では私はハマるものとハマらないものがキッパリ別れる。何百万部売れていても、世界中にファンがいても、麦わら帽子の海賊や、ラーメンの上に乗ってるアレの名前の忍者には全くハマらずに数話で読むのをやめた。この漫画も3話くらいで読むのをやめた。何故なのかは実はいまだに自分でもよくわからない。ただ、読みたくはならないのだ。
ヤマザキマリさんの「リスボン日記」で、お姑さんのヤバさの片鱗はうっすら感じていたが、これもなかなか。そう、全く意図しないのに、マンガのネタになっちゃう家に嫁いだのって、マリさんご引き寄せだとしか思えない運命を感じる。マリさんの今の夫さんに出会うまでの人生も波瀾万丈というか激しすぎるから、なまじ耐性があるから我慢できちゃうんだね。「結婚だけでいいの?他には?」がありえないくらい切羽詰まった感じで良かった。
テレ東でやってた粘土アニメ「別冊」を先に見ました。パンデミックのせいで日本のオリンピック需要が全部ポシャってしまったのがまた、あのアニメのトホホなテイストに合ってて良かった。ほとんど狂気を感じさせる熱唱の「ウィリアム・テル序曲」のオープニングから、吟遊詩人ホニェーロスの古代ギリシャトリビアつきのエンディングまで、5分間とは思えない、最高に濃くてバカな内容。(謎のお菓子トリヨンの歌は私のヘビロテ)片桐さんの演じるドケチでせこい村長のイメージがあったので、原作を読んだ時に「あれ?原作、村長まともな人だ」と驚きを隠せませんでした。
アニメの話ばかりしてしまいましたが、この作品も本当に凄い漫画です。「テルマエ」はローマという大文化都市、タイムトリップ先は現代、西暦2000年代の日本。ローマ帝国至上主義の真面目で仕事熱心な堅物男の技師ルシウスが主人公。風呂がテーマなのでタイムトリップは水、またはお湯の中でした。今回の舞台は古代ギリシャ。タイムトリップ先は東京オリンピックで盛り上がっている1960年代の、おそらく東京の住宅街。ギリシャ文化を研究する大学教授かなんかの家にお邪魔します。気が弱くて内気で争い事が嫌いなオタクの職人デメトリオスが、雷や花火といった眩しい光(ゼウスの武器は電撃)がキーとなってタイムトリップします。テルマエファンにとってもたまらないです、こーゆーの。テーマがスポーツだからなのか、オープニングからギリシャの太陽と大自然の中でのびのびと躍動する身体、そしてデメトリオスの笑顔がとても開放的でこの作品を象徴しています。東京オリンピックで沸いていた当時の東京の人々の、明るく楽観的な様子も和やかで、デメトリオスの心を癒します。老学者先生の解説もいいですね。特に盆踊りの回。そういう意味があったのか、とこの漫画でしみじみ理解しました。今生きている人の楽しい様子を見せることが、死者への何よりの捧げ物であると。東京2020の閉会式も盆踊りやってましたけど、悪いけれどアレ見てもなんか何ひとつ刺さりませんでした。どんなに大掛かりなことをやっても、伝える力が上っ面では決して伝わりません。この作品では、気弱なオタク青年の心情を通して、楽しそうにスポーツに興じる人々の笑顔を通して、世界平和を一途に願う強い思いがきちんと伝わります。あと、デメトリオスの萌え絵の壺、欲しい!
大正モガファッションや、当時のアールデコ調家屋といった細部が丁寧で良かった。女性は下ぶくれ気味のややぽちゃで、大きな目とぷっくり唇、うーん、どうかな?と思ったけどリアルでこういうタイプの可愛い子ちゃんいるな、とだんだん慣れてきた。男性の顔がまだ今ひとつ馴染めない。でもストーリーはしっかりしてる。時代考証も無理がない。(最近やたら目につく転生だ溺愛だ略奪だ令嬢だ貴族だのを試しに読むと、騎士とお姫様が令和のサラリーマン上司とOLのやりとりみたいな庶民的な会話をしてたり、メチャクチャな時代のドレスを着てたりする。漫画だから描きたいから好きなモノ描きたいだけだから「何でもいい」ってわけじゃないんだよ。漫画だからこそ、王子様や騎士や伯爵や領主が出てくるのなら、そういうのが好きなら、少なくとも歴史ちゃんと勉強してから描いて他人に読ませてみてって思う。絵が下手なのは我慢して読み続けるけど、浅い世界観はその場で即閉じる。どうしようもなく萎えるのだ)主人公の才気がこの後、夫の右腕になって商売へと発揮されるのかな?主人公は慧眼の持ち主で、たとえ肉親といえど他人の声やウワサは信じない。自分自身の目で見た感性と信念のままに、言葉を発する。夫が初対面で彼女のそこに惚れたのがいい。あと、憧れの人の自分への一言で、その本性を喝破した時も良いなと思った。普通の女の子なら恋をしてるとき、なんか引っかかってもまあいいか、と許しちゃうし、好きな人の言うことだからとポジティブに捉えようとしてしまう。それが無いのがいい。
いじめの漫画って本当に色んなバリエーションがあるね。それだけ深刻化してるってことね。知識は確かに必要。中学生、高校生は自分にとって都合の良い屁理屈こねる年代なんだけど、いじめられた側にとっては知性こそが力になる。
レビュータイトルは中国の故事。皇帝から「何を描くのが一番難しいか」と問われた宮廷絵師曰く
「犬や馬といった、誰もが見慣れているありふれたものはごまかしがきかないので描くのが難しい。ゆえに、鬼のような化け物などは描くのが容易です」。
猫もまた、どこにでもいる見慣れた生き物ゆえに絵描きの画力が問われる対象物であろう。デフォルメしてかわゆく描かれたり写実的なリアルタッチで描かれたり擬人化されて二本足で立ったり、漫画の中に無数に登場するさまざまな猫を見てきたが、漫画の中の猫はなぜか、必ずどこか違和感を感じることが多い。私の中の、「猫」という生き物へのイメージが強すぎてそうなってしまうのかもしれない。
ヤマザキマリさんも、猫と作家をテーマにした対談集の中で、猫を描く難しさについて語っておられた。それを読んで、強すぎる愛が絵の邪魔をすることもあるのかも、と思った。
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範馬刃牙