5.0
原作への愛情
今まで、「原作あり」の漫画には、ほとんど星五つをつけてこなかった。
当たり前だが、漫画は、絵と、話だ。
その「話」の部分がオリジナルでない作品に対して、最上級の評価をするというのは、正直どうなんだ、と思っていたからである。
しかし、これは文句なしに例外だ。
素晴らしい。
京極堂シリーズの小説は、「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」「狂骨の夢」までは学生時代に読んだけれど、それ以降は、何しろ長すぎて、私の読むスタミナが落ちたこともあり、完全に脱落していた。
未読の「鉄鼠」を漫画でクリアしてしまおう、という魂胆で読んだのだが、大当たりだった。
小説版が喚起するイメージとあまりにぴったり合致したキャラクターたちがそこにいて、京極夏彦の小説を漫画化するならこれ以上は望めないだろう、という再現度の高い世界観がそこにはあった。
それにしても、こんなの、よく漫画にしようと思ったな。
「姑獲鳥」くらいならともかく、この「鉄鼠」は、難解な禅の世界、複雑極まりない仏教の宗派とその歴史がベースにあり、とても漫画として成立させられそうなストーリーではない。
だいたい、次から次へ出てくる大量の坊主たちを、わかりやすく完璧に描き分けるだけでも大したものだ。
正直、「原作あり」の漫画の中には、売れる題材を「利用」しているだけだわな、と感じられてしまうものもある。
もちろん、商売だから、そういう面があって然るべきなのだけれど、原作のファンとしては、そんな思惑が透けて見えるような作品には、寂しさも感じる。
だが、私が「鉄鼠」から感じたものは、全く違った。
半端ではない原作への理解度の深さと、絶対にこの小説を再現してみせるのだという圧倒的な意志力が、紙面から立ち上っているようだった。
この漫画を成立させたのは、当然、技術的な面もあるけれど、一番大きいのは、原作に対する漫画家の強烈な愛情、それ以外にはないと思う。
その愛情の深さに、私は感動した。
原作にとってこれほど幸福な漫画化の例を、私は他に知らない。
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鉄鼠の檻