rokaさんの投稿一覧

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61 - 70件目/全107件
  1. 評価:5.000 5.0

    原作への愛情

    今まで、「原作あり」の漫画には、ほとんど星五つをつけてこなかった。
    当たり前だが、漫画は、絵と、話だ。
    その「話」の部分がオリジナルでない作品に対して、最上級の評価をするというのは、正直どうなんだ、と思っていたからである。
    しかし、これは文句なしに例外だ。
    素晴らしい。

    京極堂シリーズの小説は、「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」「狂骨の夢」までは学生時代に読んだけれど、それ以降は、何しろ長すぎて、私の読むスタミナが落ちたこともあり、完全に脱落していた。
    未読の「鉄鼠」を漫画でクリアしてしまおう、という魂胆で読んだのだが、大当たりだった。
    小説版が喚起するイメージとあまりにぴったり合致したキャラクターたちがそこにいて、京極夏彦の小説を漫画化するならこれ以上は望めないだろう、という再現度の高い世界観がそこにはあった。

    それにしても、こんなの、よく漫画にしようと思ったな。
    「姑獲鳥」くらいならともかく、この「鉄鼠」は、難解な禅の世界、複雑極まりない仏教の宗派とその歴史がベースにあり、とても漫画として成立させられそうなストーリーではない。
    だいたい、次から次へ出てくる大量の坊主たちを、わかりやすく完璧に描き分けるだけでも大したものだ。

    正直、「原作あり」の漫画の中には、売れる題材を「利用」しているだけだわな、と感じられてしまうものもある。
    もちろん、商売だから、そういう面があって然るべきなのだけれど、原作のファンとしては、そんな思惑が透けて見えるような作品には、寂しさも感じる。
    だが、私が「鉄鼠」から感じたものは、全く違った。
    半端ではない原作への理解度の深さと、絶対にこの小説を再現してみせるのだという圧倒的な意志力が、紙面から立ち上っているようだった。

    この漫画を成立させたのは、当然、技術的な面もあるけれど、一番大きいのは、原作に対する漫画家の強烈な愛情、それ以外にはないと思う。
    その愛情の深さに、私は感動した。
    原作にとってこれほど幸福な漫画化の例を、私は他に知らない。

    • 20
  2. 評価:5.000 5.0

    「あるがまま」の、その先に

    「サイドA」と「サイドB」があるが、要するに「1巻」「2巻」なので、ご注意を。

    自分らしく、とか、飾らずに、とか、あるがままで、とか、ありのままに、とか、何でもいいのだけれど、全部同じで、本当に苦しみ抜いている人間には、そんな言葉、何の役にも立たないと私は思う。
    そして、自分として生きるということは、そんな二束三文のキャッチ・フレーズで何とかなるほど単純なものではないとも思う。

    でも、そういうメッセージはとにかくキャッチーでリーズナブルだから、いとも容易く社会に溢れかえる。
    そんな時代に、だ。
    この漫画が放ったメッセージは、真逆だ、と私は思った。
    さんざん「自分らしさ」を追い求めながら、この作品が辿り着いた境地というのは、「自分らしく生きるばかりが能じゃないぜ」という地点だったのではないか、と私は受け取った。

    そして、誰かのために微笑みながら自分らしさを捨てられるような場所に行き着いたとき、逆説的ではあるけれど、そこに、また別の「自分らしさ」みたいなものが紡がれるのではないか、と思った。

    そういう全て、この漫画を読まなければ、考えなかったことかもしれない。
    出会えて、本当によかった。

    • 11
  3. 評価:5.000 5.0

    生きづらさ、そして、カートのこと

    別サイトで読んだ、同じ作者の「センコウガール」が素晴らしくて、この漫画に飛んできた。

    女装癖とか同性愛とか、そういうことは多分、作品の本質ではなくて、核心にあるのは一種の生きづらさ、なのではないかと思う。
    なりたい自分、なれない自分、求めていたはずの「自分らしさ」すら、見出だしたはずの「本当の自分」すら、いつの間にやら見誤っていた気がする自分、ぐちゃぐちゃに絡まったまま、それでも生きてゆくしかない自分。
    そんな若い魂の痛みが、ひりひりするくらいに伝わってきて、胸が痛んだ。

    タイトルは明らかにニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」をもじっているけれど、カート・コバーンという人もまた、強烈な生きづらさを抱えていた。
    瞬く間にロック・スターに成り上がってしまったという現実と、「こんなものになりたかったわけじゃないのに」という無い物ねだりの相克の中で、カートは生き、死んでいった。
    そんなカートの姿が、この漫画の登場人物たちにだぶって見えた。

    もう少し、書きたいことはあるのだけれど、続きは、「サイドB」で。

    • 8
  4. 評価:5.000 5.0

    ミステリと呼ばないで

    今まで読んだどんな漫画とも明確に違う。
    面白すぎてびびった。

    基本路線はミステリでありながら、話はどんどん脱線していく。
    主人公の整(ととのう)君が、関係ないことをしゃべりまくるせいである。
    事件の取り調べを受けている最中だろうが、バスジャックの人質になろうが、唯我独尊で脱線しまくる。
    何だこいつは。

    しかし、この脱線が、たまらなく魅力的である。
    本線から遥かに逸脱した会話が楽しい、という意味では、タランティーノの映画のような漫画である。
    とにかく整君の呑気なしゃべりが、いちいち鋭く、深い。
    人間や社会に対して、独自の視点でもって、目からウロコの核心を提示するその洞察の見事さは、私の文章ではとても説明できない。
    これはもう、読んでもらうしかない。

    それでいて、「本線」のミステリ部分も、「脱線」を邪魔しない程度にサラッとしていながら、パリッと筋が通っている。
    このバランス感覚の素晴らしさ。

    ミステリのようで、ミステリではない。
    ミステリではないようで、ちゃんとミステリでもある。
    ミステリ、と呼ぶのは何かピンとこない、ミステリじゃない、と切り捨てるのも何かもったいない。
    ミステリが好きな人にも、苦手な人にも薦められる快作。
    誰にでも迷わず薦められる漫画なんて、私にはほとんどない。

    • 638
  5. 評価:5.000 5.0

    コーヒー・ライフ・ゴーズ・オン

    缶コーヒーを中心アイテムに据えた短編集。

    素晴らしいと思った。
    読み終えてしまうのがただただ惜しくて、最後の二話をしばらくとっておいた。
    漫画で、どんな短編集が読みたいか、と言われたら、私は、こんなの、と答えるだろう。

    私たちの日常を、人生の一場面を、まさしく「切り取った」漫画だと思った。
    全然「泣かせにきている」タイプの漫画ではないのだけれど、その切り取り方があまりに正確で、また誠実で、そのことに多分、ちょっと涙ぐんだりした。

    どのエピソードにも、明確な「オチ」と呼べるようなものがない。
    この漫画は、勇気を持って、オチらしいオチを拒絶しているように思った。
    全てのエピソードが、「終わり」ではなく、「続き」を感じさせる。
    そこにあるのは、漫画として綺麗に片づけられた「おしまい」の様式ではなく、これからも続いてゆくしかない、誰かの、そして私たちの、人生の形なのだと思う。

    ハッピーエンドもバッドエンドもなく、私たちの人生は続く。
    多分明日も、同じ缶コーヒーを飲んだりしながら。

    「まあ、缶コーヒーでも飲んで、今日も頑張れよ」
    そんな「メッセージ」を、この漫画は一言も発していない。
    そういう意味では、とても控えめで、寡黙な作品だ。
    それなのに、読者の側には、その感情が残るのだ。
    「まあ、缶コーヒーでも飲んで、今日も頑張るか」と。
    まあ、私は、コーヒーが飲めないんだけれども。

    • 16
  6. 評価:5.000 5.0

    胸が壊れそう

    どうしようもなく心を揺さぶられた。
    涙は出なかった。
    ただ、心が痛かった。

    こういう作品だと知っていて読んだ。
    だから、こんなことを言う資格はないのだけれど、「こういう漫画が本当に必要なのか」という考えがよぎってしまった。
    わかっていたくせに。
    作者に申し訳ない。

    もう二度と読まないかもしれない。
    もう一度読んでしまうかもしれない。
    ただ、いずれにせよ、これほど深く感情を切り裂かれた漫画は、私にはあまりない。

    • 18
  7. 評価:5.000 5.0

    切なさの純度

    めちゃくちゃ面白い。
    「凪」でも感じたけど、この作者は、人間のちょっとした、でも、すごくクリアで、大切で、絶対に無視できない感情みたいなものを、とんでもないくらいリアルに描く。
    その感情が溢れる瞬間を、びびるくらい正確に切り取る。
    凄い。
    どういう才能なんだ。
    いや、ちょっと、言葉に出来ないくらい、本当に凄い。

    それでも、読んでいて浮かぶ気持ちに言葉を与えるならば、平凡だけど、「切ない」ということになると思う。
    ただ、その切なさの純度が、半端じゃない。
    「悲しくて、切ない」とか、「甘く、切ない」とか、「切なくて、やりきれない」とかじゃなく、100%、切ない。
    だからその切なさは、突き抜けて、もう、ただ爽やかだ。

    読んでよかったなあ。
    何だか、足りないものも余計なものも何もなくて、全てが満たされたような気分になった。
    ちょうど、人生の特別な場面で、完璧なビールの一杯を飲み干したときみたいに。

    • 51
  8. 評価:5.000 5.0

    持つ者、持たざる者

    昔読んだ小説の中で、「何かを持ってる奴はいつ失うかと怯えているし、何も持っていない奴は一生持てないままなんじゃないかと怯えている」という意味のくだりがあった。
    それを、思い出した。

    「お前はいいよな、出来るから」
    「あなたはいいよね、美人だから」
    それは一面でしかなくて、結局、才能のある人もない人も、生きてゆくということは、それほどイージーモードにはなり得ないのだろう。
    みんな、それぞれ何かしらの地獄を抱えて生きているのだろう。
    でも、十代の「僕ら」には、それがわからなかった。
    他人の地獄など見えなくて、自分のことばかりだった。
    そんな時代のワンシーンを次から次へと切り取ってみせたような、なかなか巧みな漫画だと思った。

    • 38
  9. 評価:5.000 5.0

    暴走する妄想、生きるための笑い

    昔の恋人を引きずるのも、やたら妄想が暴走するのも、男性の性分、という勝手なイメージがあったので、まず設定が新鮮だった。

    ああ、「臨死!!江古田ちゃん」の人か、と納得。
    この作者は「明るい自虐」みたいなものの描き方がとても上手で、客観的にはすごく惨めな状況を、ちゃんと笑いに変える。

    でも、本当は笑えない何かを、心の底には、持っている。
    主人公が何気なく漏らした「私はそーゆーのもう終わっちゃってるんで」には、涙が出そうになった。
    私にも、全く同じことを思いながら生きていた頃があった。
    仕事は順調で、毎日がそれなりに楽しくて、周りは「まだ若いじゃん」と笑うけれど、何年も忘れられない恋人がいる、それだけの理由で、「いや、終わっちゃってるんで」と思いながら生きていた、そんな時代が。

    すごく笑えるんだけど、ちょっと切ない。
    この漫画の「笑い」は、どこかで何かを諦めながら、それでも生きてゆくための、必死のあがきみたいに感じるから。
    それって多分、笑い、というものの、ひとつの本質なんじゃないか、と。

    • 10
  10. 評価:5.000 5.0

    見事なスピンオフ

    学生時代、オリジナルの大ファンだった。

    明智警視や剣持警部を主人公にしたスピンオフなら誰でも思いつきそうなものだが、まさか「犯人」を主役にしたコメディとは、目からウロコである。
    その発想がまずよし。

    オリジナルの「金田一少年の事件簿」は、一部を除いて「復讐」という大義名分を掲げた犯人が大半だったこともあり、基本的には、堂々と、凛として、金田一と対峙した人物が多かった。
    それは、漫画のキャラクターとしては格好がつくが、どこか人間らしさを欠いてもいた。
    犯人だって、ビビるし、テンパるし、捕まって「後悔はないわ」なんて、そんなことないんだ、本当は。
    そういう意味では、このコメディの中で描かれた犯人の姿こそが、「リアル」な犯人像である、と言えるかもしれない。

    徹底的に「下らない」体裁をとりつつも、意外にも「犯人」という存在の本質に迫る、見事なスピンオフ。

    • 53

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