3.0
普通のホラー
よくも悪くも、普通。
普通の怪談話。
それ以上の何かを求めて読んだのか、と問われれば答えはノーなのだが、それにしても、普通。
そんな本作に捧げる星は、三つ。
いわゆる「実話怪談」テイストで、こんなものと言えばこんなものなのかもしれないが、私はやはり、「普通ではない何か」を求めてホラーを読む、という夢を捨てられない。
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1位 ?
よくも悪くも、普通。
普通の怪談話。
それ以上の何かを求めて読んだのか、と問われれば答えはノーなのだが、それにしても、普通。
そんな本作に捧げる星は、三つ。
いわゆる「実話怪談」テイストで、こんなものと言えばこんなものなのかもしれないが、私はやはり、「普通ではない何か」を求めてホラーを読む、という夢を捨てられない。
人生の土壇場で、遺品整理の仕事に拾われた主人公の話。
基本線は「遺魂断ち」を生業とする特殊な人間たちの活躍を描くオカルト路線なのだが、私はあまり特筆すべき点を見出だせなかった。
ホラーの側に振れたり、ハートウォーミングな側に振れたり、おそらくその両方をやりたかったのだと思うが、どっちつかずというか、その振れ幅が小さい。
かといって、キャラクターに突出した魅力があるかというと、そうでもない。
結果、大して冷えもしないし温まりもしない、という微妙なところに落ち着いてしまった気がしてならなかった。
同性愛の問題はいったん置くにしても、ある種の時代においては、誰かを失うということが、文字どおり、世界の終わりになり得る。
それはしばしば、大人になってから振り返れば「何であんなことで傷ついていたんだろう」と首を傾げるような類の傷であったりするのだが、これはもう、完全に大人が間違っている。
痛みや不幸なんて、その瞬間には絶対的なものだ。
「何であんなことで」というその些細な傷こそが、その時代には、全てだったのだ。
本作は、その部分をなかなかリアルに、またクリアに描いていて、そういう意味では、普遍的なものを表現し得ている作品だとは思った。
ただ、ここは本当に難しいところなのだけれど、私は、ちょっと「悲劇の顕示」みたいなものを感じてしまって、それが鼻についたというか、イマイチ入り込めなかった。
わかりやすく言えば、「ほら、こういうのって悲惨だよね、汚れた大人になってしまう前ならではの時代の悲劇だよね」というようなうるささを、どこかに感じてしまったのだ。
この点は、正直どうにも作品に非があるようには感じられず、ただただ、申し訳なかった。
作品と読者の相性というのは、とても微妙で、難しい。
申し訳ないが、はっきり言って、面白くはなかった。
登場人物たちの行動が不自然に過ぎて、「嗚呼、これは恋愛に疎い人が描いてるな」という性格の悪い感想が浮かんだ。
だいたい、浮気の模様をSNSの裏アカウントに綴る既婚の男なんているか?
まあ、そういう人間がこの世にいてはならないとは言わないが、私はこの時点でいっきに冷めた。
星をひとつ足したのは、作者の意図とは全く別のところで、妙に笑えたからである。
ところどころに、何か「ジョジョ」とか「HUNTER×HUNTER」とかの心理戦のシーンみたいな演出が入る。
読んだ人は、ちょっと読み返してみてほしい。
例えば、主人公が夫の浮気相手を突然に悟る場面。
「私の女の勘が言っている」
このシーンは、「HUNTER×HUNTER」でスクワラというキャラが散るシーンを彷彿とさせる。
実際、この気づきは唐突極まりなく、主人公が念能力でも使っているとしか思えない。
あるいは例えば、主人公が急に誘惑されるシーン。
主人公の夫の浮気相手の夫が、
「あなたを抱くというメリットがね」などと言っていきなり駆け引きを始めるわけだが、このあたり、背景に「ゴゴゴゴゴ…」という文字を入れたくならないだろうか。
私はこれが面白くて、「この男ッ!妻の不倫相手の妻に関係を迫るタイプのスタンド使いッ!」とか妄想して遊んだ。
それくらいしかすることがなかった。
うーん、恋愛漫画のふりをした、バトル漫画のパロディ風ギャグ漫画にすればよかったんじゃあないか?
以前、この作者の「灰色の乙女」という漫画を読んだとき、登場人物の豹変によって恐怖を演出することに成功している、という印象を持った。
本作でもその「豹変」は健在で、人間のいわゆる「裏の顔」みたいなものは、この作者が入れ込んでいるモチーフなのかもしれない。
ただ、本作の場合、「灰色の乙女」で見られたほど、その「豹変芸」は上手く機能していないように思えた。
それはおそらく、登場人物を支えるバックボーン的なものに、イマイチ説得力を感じなかったからではないかと思う。
「灰色の乙女」の場合、それは端的に言えば「愛」だった。
歪んだ愛かもしれないし、あれを愛とは呼ばない人が多くいることも受け入れるが、少なくとも主人公にとっては、愛だった。
が、本作、それが何なのかイマイチ伝わらない。
ナチュラルな豹変は狂気だが、作り物の豹変は途端に「演技」に成り下がる。
私は「灰色の乙女」の狂気的な部分に惹かれただけに、本作の演技的な豹変には、いささか残念な気持ちになった。
実によく出来た漫画だと思った。
漫画としての表現力の豊かさ、という意味では、確かな技量のある作者なのだろうとも思った。
コマの使い方に自由さがあって、派手で、スタイリッシュである。
しかし、私はこれを「ホラー漫画」であるという前提で読んだ。
そうすると、この「スタイリッシュ」は、いささか問題なのだ。
例えば映画で、「スタイリッシュなアクション」という宣伝をよく目にする。
アクションでスタイリッシュならば、それは「売り文句」になるということだ。
あるいは、「スタイリッシュなラブストーリー」というのも洒落た印象を与える。
「スタイリッシュなサスペンス」なんていうのも、新進気鋭の感が出て悪くない。
だが、「スタイリッシュなホラー」、これは、聞いたことがない。
私が気づくまでもなく、それは「売り文句」にはならないのだと、ホラー業界の人間たちは知っているのだろう。
要するに、「ホラー」と「スタイリッシュ」は、相性が悪いのだ。
上手く説明できないから、私が今までレビューで高評価をつけてきたホラー漫画をいくつか挙げる。
「裏バイト:逃亡禁止」
「ミスミソウ」
「不気田くん」
「座敷女」
「死人の声をきくがよい」
「サユリ」
「ユーレイ窓」
「おろち」
「不安の種」
「マガマガヤマ」
ほらね、「スタイリッシュ」なんて形容できそうな作品はひとつもない。
ある意味では、スタイリッシュの対極にあることが、ホラーである、ということなのではなかろうか。
ただ、言い方を変えれば、ホラー漫画として読まなければ、楽しい作品だ、ということになるのかもしれない。
しかしまあ、この筋立てでホラーとして読むな、というのは、ちょっと無理がある。
ある日突然、飼っているヒョウモントカゲモドキが半擬人化した男の話。
はっきり言って面白かった。
ぐいぐい読まされたし、ラストはちょっと感動すらしてしまった。
でも、ふと我に返って、思った。
これって、爬虫類である必要、あったんだろうか、と。
500近いレビューを書いてきて初めてこのことに触れるが、私は爬虫類を2匹飼っている。
そして、彼らを溺愛している。
爬虫類飼育者の読者の立場からものを言うと、本作における爬虫類に対する考察や洞察というのは、はっきり言って全然物足りない、というか、ないに等しい。
かといって、爬虫類をまるで知らない人にとっては、わかりにくい、という感想になるだろう。
そうすると結局、どっちつかずの中途半端なところに落ち着いてしまっている、という印象を持った。
また、ヒョウモントカゲモドキやニシアフリカトカゲモドキやニホンヤモリといった、それぞれの爬虫類の特徴が、キャラクターメイキングにはそれほど生かされていないことも気になった。
それゆえ、先に述べた「爬虫類である必要あるか?」という感想になる。
別にこれが、犬や猫、ウサギやハムスター、あるいは昆虫であっても、ほとんど変わらない作品になったのではないか、という気がしてしまう。
爬虫類という、ある程度マニアックな(時代的に、これからはそうでもなくなっていく気はするのだが)生物を扱いながら、作品自体はそれほどマニアックな方向に振り切れていない、という思い切りの悪さみたいなものは、終始、違和感として付きまとった。
他作品と比較するのはフェアではないかもしれないが、私に多大な影響を与えた「秘密のレプタイルズ」と比べると、爬虫類に対する造詣の深さも、偏執的と言っていいほどの愛着も、まるで勝負にならない。
爬虫類に対して愛情のない作者ではないと思う。
しかし、作品からその発露をあまり感じられなかったのは、残念と言う他にない。
この漫画を読み終えた後で、私は飼っている爬虫類に向かって「君たちもそう思うかい?」と尋ねてみたが、彼らは私のことをちらりと見ることさえしなかった。
何しろ、爬虫類は、なつかないので。
ある日突然、ゾンビ化的なサムシングによって日常が崩壊する、という話で、当然、そんな話は全世界で掃いて捨てられるほど作られているので、作品としてどこで勝負するのか、という問題になってくる。
本作のアイデンティティーは、主人公の女子高生が筋金入りのサバイバルオタクで、反則級のサバイバルスキルを持っている、という点と、終末観を敢えて漂わせない微妙に緩い雰囲気かと思ったが、いかんせんそれだけでは、あまりに手垢にまみれたこのジャンルの作品としては、弱い、という印象は拭えなかった。
死者の声が聞こえる主人公が、「死んだ人助け」をする話。
「死者の無念を晴らす」とよく言うが、現実世界において、基本的にそれは「生者のため」のものであり、死者はただ死んでいるだけである。
しかし、本作はあくまで「死者のために死者を救う」物語である。
このあたりは正直、もう少し踏み込んでほしかったけれど、「多重人格探偵サイコ」の大塚英志が絡んでいるだけあって、「死を徹底して描く」ことにはしっかりエネルギーを使っている。
主人公の仲間たちも、死体限定ダウジングの天才、アメリカ帰りのエンバーミング(死後処置)の資格保持者、宇宙人と交信できるチャネリング青年、とバラエティー豊かで、なかなか楽しい。
個人的には、もう少し現実に寄せてほしかった気もするが。
あとは、これだけ死を描きまくる漫画でありながら、絵柄の問題か画力の問題か、死体の描写がちょっと迫力に欠けるのは気になった。
最初に謝罪しておく。
以下に述べる内容は全て、私の性格が捻じ曲がっていることに由来するものであり、漫画に責任はない。
申し訳ない。
私は、「余命○○」という設定が、根本的に好きではない。
だったら読むなよ、という意見はごもっともなのだが、死神、というトリッキーな主人公に惹かれて、思わず読んでしまった。
結論としては、まずまず楽しめたのだけれど、「余命○○アレルギー」の私はやはり、イマイチ入り込めなかった。
やはり、「余命○○」という設定だけでもう、私は駄目だ。
繰り返し、素直な心をどこかに置き忘れて大人になってしまった私は、「そんなの感動するに決まってんじゃん」と思ってしまうからだ。
他の作品名を明示するのは避けるが、例えば「○日後に死ぬワニ」とか、タイトルを聞いただけで、「ハイ反則ー」と思う。
いや、感動はするよ。
私とて人の子であるから、余命○○の人やワニが死に向かいながら生きているのを見て、感動はする。
ただ、そういう感動が、私は嫌いだ。
ひとつは、感動の押し売りをされているような気分になるからだ。
二つ目は、そんな、どういったって感動するしかないような設定に頼って、恥ずかしくねえのかよ、と天邪鬼なことを思うからだ。
三つ目は、余命を知って日々を慈しむ、という構図自体が、そもそも嫌いだからだ。
これは、図式としては、恋人を失ってから「失って初めて気づいたよ」系のことを言う男に似ている。
私はそれが、大嫌いである。
そんなもん、先に気づいとけや、とほとんど憤怒すら感じる。
そういう人間にだけは絶対にならないと決めて長い間生きてきたから、これは、変えられない。
別に余命を宣告されようとされまいと、私たちは皆、緩やかに死に向かっている。
それを、いついつがリミットですよ、なんてわかりやすく示してもらえないとクリアに生きられないなんて、ちょっと残念すぎないか。
大切なのは、残り少ない命を知ってどう生きるか、ではなくて、どれだけ残りがあるかわからない命をどう生きるか、ということなんじゃないの、と、私なんかは思うのだけれど。
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