1.0
恥を知れ
一話目(五話の怪談が語られる)だけ読んだが、うち三話は知っている話だった。
ネットの怪談サイトからそのまま拾った話だったのだ(残る二話も怪しい)。
何だそりゃ。
いくら元手がかからないといっても、ネット上の書き込みをそのまま漫画に転用するなんて、商売としてあまりに卑しいと思う。
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24位 ?
一話目(五話の怪談が語られる)だけ読んだが、うち三話は知っている話だった。
ネットの怪談サイトからそのまま拾った話だったのだ(残る二話も怪しい)。
何だそりゃ。
いくら元手がかからないといっても、ネット上の書き込みをそのまま漫画に転用するなんて、商売としてあまりに卑しいと思う。
ひょんなことから殺_人者になってしまった父親のストーリー。
漫画の中では「ヒーロー」だが、やっていることは結構エグい。
ただ、「普通の父親がそこまで出来るか?」という突っ込みどころを、「推理小説マニア」という設定で上手くかわしたところが巧妙である。
マンションの風呂場で死体を解体して…なんていう事件は、実際、数年前にあった。
そのニュースを見たときの苛立ちと嫌悪感を、私は覚えている。
行為としては、この父親がやっていることも、同じだ。
しかしおそらく、私を含めた多くの読者が、この父親サイドについて、応援したはずである。
そういう「ぶれ」を、私たちの善悪の意識は含んでいる。
「許せない」とか感じたはずの行為を、「娘のため」というちっぽけな(と言っていいかは難しいが)「理由」や「事情」や「大義」さえあれば、あっさり許して応援すらしてしまう、というような、ぶれ。
それを、計算ずくで提示しているような漫画だと思った。
そういう意味では何とも底意地の悪い、怖い漫画である。
私は、善悪のぶれを、全否定するつもりはない。
それが、人間らしさというものかもしれない。
ただ、思うのは、自分たちの善悪の基準なんて非常に曖昧なものだ、という事実に対して無自覚なのは、とても危険なことだ。
私たちはいつの間にか、適当に誰かの「行為」を取り上げて、むやみに断罪してはいないだろうか。
そこにあったかもしれない、「理由」や「事情」や「大義」を無視して。
日馬富士の引退会見を見ながら、私はこの漫画を思い出して、そんなことを考えていた。
ちょっと映画「ディパーテッド」を彷彿とさせるような設定で、面白かった。
私は、この漫画の「ひとつひとつの事件のエピソード」を、毎回とても楽しく読んだ。
逆に言うと、この漫画の「大きなストーリー展開」には、あまり興味が持てなかった。
だから、残念ながら、結末にもそれほど胸を打たれず、「終わってしまったか」という感情だけが残った。
ただ、それだけ個々のエピソードの完成度が高い、ということは、間違いない。
「欲を出した人間が地獄に落ちる」的な漫画なのかと思っていたが、全く違った。
何の非もない一般ピーポーが、喪黒の悪意によって次々に地獄に落ちる話だった。
何だそりゃ、と思う反面、不条理を描くとはこういうことなんだな、とも思った。
私たちが慣れ親しんだ「昔話」的な勧善懲悪に対する辛辣なアンチテーゼであり、この時代にそれを平気でやっていたことが恐ろしい。
悪く言うと「同じこと」の繰り返し。
だが、それでも退屈させないのは、よくあるサバイバル系のホラーを基軸にしながら、上手に推理モノの要素を取り入れているからだと思う。
ただ、話の性質上、「生き残れるか」という本来最大の焦点になるはずの部分に緊迫感が欠けるのは、ちょっと気になった。
何しろ、基本は何度でも「繰り返す」わけで。
ただ、「助かるとわかっていても怖い」描写には成功しているとは思う。
ドラゴンボールも、「生き返れる」ようになってから、急に緊張感がなくなった。
まあ、関係ないけど。
前作のレビューにも書いたが、主人公に何の哲学も感じない。
「表の社会では冴えなかった主人公が、裏社会では…」みたいな話だが、違う。
主人公は何も変わっていない。
ただ、表の社会で振り回されていたのが、裏の社会で振り回されるようになっただけだ。
それを意図した皮肉なリアリティー作品ならば見事だが、明らかにそうではない。
振り回されているだけの人間の物語など、私は読みたいとは思えない。
申し訳ないが、「クラスみんなで復讐」という設定で、もう冷めてしまった。
「復讐モノ」はわりに好きである。
しかし、復讐心というのは、当たり前かもしれないが、本来、極めて個人的な感情である。
だからこそ、残酷にも苛烈にもなれるのだと思う。
みんなで痛みや傷を共有することは、復讐心を抑える方向に作用するだろう。
「いいんだよ、フィクションなんだから」。
それはそうなのだけれど、人間の感情の核の部分には、フィクションの都合を持ち込んではいけない領域もあると私は思う。
今のところ、だが。
幽霊も吸血鬼も出てこない。
狂った、というほど異常な人間も見当たらない。
何より、まだ、何も起きていない。
なのに、怖い。
平坦にすら見える日常が、怖い。
そこに、どうにも破綻の予感がして仕方がない。
何かとんでもなく不幸なことが、いずれ起こるに違いない、という予感的な怖さ。
不穏、という言葉が一番近いのか。
でも、それでも足りない。
これは、漫画でしか描けない種類の怖さである気がする。
この作者は、「漂流ネットカフェ」や「ハピネス」のような、現実の枠を超えたストーリーよりも、日常を舞台にする方が、本領発揮となるのではないかと感じた。
余談だが、群馬県出身の私にとっては、登場人物たちの群馬弁はすっと入ってくるし、郷愁を誘われるものであった。
ちょっと得をした気分である。
だが、その郷愁すら、うすら寒い恐怖を連れてくる。
何てことだ。
この怖さは、素晴らしい。
これからきっと、何かが起こるのだろう。
そうなったときにも、どうか素晴らしい漫画であってほしい。
「祭りは準備をしているときが一番楽しい」などというが、それを超える祭りがこの先にあることを願ってやまない。
昨今流行りの有象無象のサバイバル漫画とは、一線を画すレベルの高さを感じる。
「ルール」はあるものの、よくある「ゲーム」的なタッチではないところに、新鮮さがある。
村に「地獄」が出現する、という設定の大胆さ、「ゾンビ」などではない、和風の異形のもののおぞましさ。
「蜜の島」でも感じたが、この作者は世界観を整えるための描き込みがとても丁寧で好感が持てる。
今後に期待の良質スリラー。
「ギャンブル」を描いた漫画、と言われると違和感がある。
ギャンブル狂の造形が、いわば孫悟空の「オラ、ワクワクしてくっぞ!」的なノリであり、それは、ギャンブルにおける本当の狂気の表現とはかけ離れていると思う。
また、基本的には「勧善懲悪」的な展開になるのも考えもので、悪に勝たせろとは言わないが、善も悪も「ない」というのが、ギャンブルの核心なのではなかろうか。
まあ、ギャンブルを題材にした少年漫画、という位置ならば、これくらいでいいのかもしれない。
ただしギャンブルは本質的に、「少年」のためのものではない。
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死ぬほど怖い話~日常に潜む恐怖体験編~