3.0
意外にちゃんとホラー
「少女漫画だろ」となめていたら、意外にちゃんとホラーで驚いた。
申し訳ありませんでした。
オカルト的な部分と、人間の情念の怖さみたいな部分が適度にブレンドされていて、さらっと読むホラーとしては、なかなか読みごたえがあると思う。
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23位 ?
「少女漫画だろ」となめていたら、意外にちゃんとホラーで驚いた。
申し訳ありませんでした。
オカルト的な部分と、人間の情念の怖さみたいな部分が適度にブレンドされていて、さらっと読むホラーとしては、なかなか読みごたえがあると思う。
「犯罪を論じるときは、自らが被害者になる可能性だけではなく、加害者になる可能性も考えなければならない」と何かの本で読んだ。
私はその主張に完全に同意したわけではないが、その言葉は、ずっと私の中に引っかかっていた。
被害者サイドに立って復讐をする人物を描いた漫画は、いくつか読んだことがある。
しかし、本作のように加害者サイドの家族にスポットを当てた漫画は初めてで、新鮮さは感じた。
その上で、犯罪者を手軽な正義感で裁こうとする社会の狂気は、加害者以上にたちが悪いのではないか、という現代への警鐘を、さらっと鳴らしている。
その挑戦的な姿勢も、嫌いではなかった。
反面、被害者サイドの描写はおろそかで、この漫画のスタンスがフェアだとは言いがたい。
ただ、この立脚点の斬新さと一種の勇気は、評価したいと思った。
ストーリーはなかなか面白いのだが、漫画としての表現力(画力を含めて)が、それに追いついていない気がする。
そこは、残念。
ただ、朱鷺子というキャラクターは非常に独特で、今まで読んだどんな漫画の登場人物とも違っていた。
他者への共感が欠如した、ある種のサイコパス的な人間だが、実のところ、異常なほど一本筋が通っている。
読み進めれば読み進めるほど、彼女の哲学みたいなものが明確になる仕掛けになっていて、感心した。
身近にいたらどう考えても関わりたくないが、漫画のキャラクターとしては綿密に計算し尽くされており、完成度は高いと思う。
世界の終わり、というと大袈裟だけれど、子どもの頃の私たちの世界は、小規模なレベルで言えば、しょっちゅう「終わって」いたのではなかろうか。
大好きな友達と喧嘩をしたとき、親に強く否定されたとき、大切なゲームのセーブデータが消えたとき、それこそ世界が終わるほど傷ついたものだ。
そういう「あの頃」の感覚を、時代特有の終末感と重ね合わせて、上手に表現した漫画だと思った。
この漫画にあるように、私たちの「あの頃」には、小さな世界を傷つけようとする怪獣も(人によっては、たぶん恐怖の大王も)いた。
私たちはそれに対抗する術を持たず、かといって、タイミングよく現れるヒーローもいなかった。
そのやるせなさと、無力感。
それもまた、この作品ではとても明瞭に描かれていた。
胸が痛くなるくらいに。
私たちの小さな世界は何度も壊れ、壊され、それでも私たちは、粉々になった世界の欠片を何とか拾い集めて縫い合わせて、大人になってゆく。
それは目を背けたくなるくらい切なくて、あり得ないくらい尊いことだと私は思う。
それだけに、ラストは残念だ。
色んな解釈はあるのだろうが、私は、何か投げ出したような印象を受けてしまった。
これを読んで、同じ作者の「ミスミソウ」という作品について、何か納得がいった。
この作者は、恐怖や絶望を表現することに容赦がない。
「そこまでやるか」ということを、平気でやる。
その思いきりのよさが怖すぎる。
加えて、唐突なホラー描写の破壊力も、漫画として素晴らしい。
しかし、この作品の最大のアイデンティティーは、そういう正統なホラーの枠組みを根底からぶっ壊すほどのパワーで躍動する、○○の存在感だろう。
完全なバランスブレイカーなのに、あり得ないくらいに魅力的だった。
絶望的なホラーでありながら、あまりにもぶっ飛んでいる、日本版&漫画版「エクソシスト」とでも呼びたくなる傑作。
表紙とタイトルはよい。
しかし、中身は…申し訳ないが、小学生のときに読んだら怖かっただろうな、というくらいの感想しか持てなかった。
「現実」の問題を題材にした漫画は多くあるけれど、そのほとんどは、読みながらどこかで「結局、漫画だよな」という感想がつきまとう。
それは仕方のない話で、漫画としてエンターテイメントをやる以上、何かしらの脚色や誇張が入るのは、当然といえば当然だ。
しかしこの漫画は、そういう漫画としての演出を、ゼロとは言わないが、限りなくゼロに近づけているのではないか、と感じた。
それによって獲得された稀なリアリティーが、漫画としてどこまで魅力的かは難しい。
ただ、ある意味でエンターテイメントを拒絶したその勇気は、賞賛されるべきかもしれない。
「KY」が流行語になったのは2007年だった。
その頃からだ、世の中で「空気読めよ」とやたら言われ出したのは。
ただ、そんな流行語が出来るはるか昔から、「空気を読む」文化は日本では当たり前のものだった。
どんな文化にもいい面と悪い面があるが、「空気を読む」社会の無言の同調圧力みたいなものに、息苦しさを感じている人は多いだろうと思う。
だから、凪が共感を呼ぶ。
私もそうで、凪とはまるで違う人間なのに、非常に共感を持った。
これは漫画としてすごいことだと思う。
キャラクター個人の問題を超えて、時代とか社会とかを切り取るのに成功した、ということだから。
でも、難しい。
「空気を読むことより大事なことがある」という気づきは素晴らしいけれど、読まなくてはいけない空気の外の世界で、より大事な何かのために生きるのは、簡単じゃない。
そもそも、その「大事な何か」がよくわからなかったりして。
そんな、厳しい戦いの物語として私は読んだ。
本気で凪を応援したくなった。
中島みゆきの「ファイト」でも歌ってやりたくなった。
「戦う君の歌を、戦わない奴らが笑うだろう。ファイト!」って。
そして、我聞の位置づけが素晴らしい。
駄目な男と思いつつ、私は我聞も応援したくてしょうがない。
彼はある意味、空気を読む達人だ。
その才能が、彼を営業部のエースにした。
でも、一番大切な人の空気、読めてないやんけ、と。
だから、駄目男。
そうなんだけど、多分、我聞にとっては、唯一、凪だけが、空気を読まなくていい相手だったのではなかろうか。
その甘えは、駄目だけれど、もう一度、チャンスを与えてやれないか、と。
そういう意味では、空気を読むことをやめた女と、空気を読め過ぎるくせに一番大事な空気が読めなかった男の、すれ違いの恋物語でもある。
あー、二人とも、何か、すげー幸せになってほしい。
漫画を読んで本気でそんなふうに思ったことは、私にはあまりない。
世にも奇妙な物語」路線の作品だが、個々のエピソードの完成度が高い。
話の展開の「ひとひねり」が丁寧に作られていると感じた。
ちょっとしたことなのだが、特にこのような連作短編形式の漫画は、そのちょっとした差が、大きな違いを生むのだろう。
また、単に奇妙な世界を描くのではなく、「道具」を作品の真ん中に置くことで、「道具の価値や意義は結局、使う人間次第だ」という一貫したテーマが、綺麗に作品に乗っている。
「道具は使っても、道具に使われてはいけない」という教訓は、次から次へと便利すぎる道具が産み出される現代社会において、結果的にだが、辛口の警鐘にもなっている気がする。
作者の引き出しの豊富さに驚いた。
ミステリとしていわゆる「本格」の域ではないけれど、それを求めてこの漫画に手を伸ばす読者はほとんどいないだろう。
むしろ、意外にちゃんとミステリしている、という印象だった。
緊張感に溢れるゴリゴリのミステリではなく、一風変わった軽快なミステリである。
この作者は、漫画としての「ちょうどよさ」みたいなものをよくわかっている気がする。
このミステリの「軽さ」にしてもそうだし、絵柄にしてもそう。
疲れずに心地よく読める。
それこそ料理じゃないが、さじ加減が絶妙である。
ただ、欲を言えば、最初の「エピソードゼロ」的な話は、もっと後半に持ってきたほうが、構成としてはパリッとしたようには感じた。
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