2.0
中身は…
表紙とタイトルはよい。
しかし、中身は…申し訳ないが、小学生のときに読んだら怖かっただろうな、というくらいの感想しか持てなかった。
- 5
2位 ?
表紙とタイトルはよい。
しかし、中身は…申し訳ないが、小学生のときに読んだら怖かっただろうな、というくらいの感想しか持てなかった。
「現実」の問題を題材にした漫画は多くあるけれど、そのほとんどは、読みながらどこかで「結局、漫画だよな」という感想がつきまとう。
それは仕方のない話で、漫画としてエンターテイメントをやる以上、何かしらの脚色や誇張が入るのは、当然といえば当然だ。
しかしこの漫画は、そういう漫画としての演出を、ゼロとは言わないが、限りなくゼロに近づけているのではないか、と感じた。
それによって獲得された稀なリアリティーが、漫画としてどこまで魅力的かは難しい。
ただ、ある意味でエンターテイメントを拒絶したその勇気は、賞賛されるべきかもしれない。
「KY」が流行語になったのは2007年だった。
その頃からだ、世の中で「空気読めよ」とやたら言われ出したのは。
ただ、そんな流行語が出来るはるか昔から、「空気を読む」文化は日本では当たり前のものだった。
どんな文化にもいい面と悪い面があるが、「空気を読む」社会の無言の同調圧力みたいなものに、息苦しさを感じている人は多いだろうと思う。
だから、凪が共感を呼ぶ。
私もそうで、凪とはまるで違う人間なのに、非常に共感を持った。
これは漫画としてすごいことだと思う。
キャラクター個人の問題を超えて、時代とか社会とかを切り取るのに成功した、ということだから。
でも、難しい。
「空気を読むことより大事なことがある」という気づきは素晴らしいけれど、読まなくてはいけない空気の外の世界で、より大事な何かのために生きるのは、簡単じゃない。
そもそも、その「大事な何か」がよくわからなかったりして。
そんな、厳しい戦いの物語として私は読んだ。
本気で凪を応援したくなった。
中島みゆきの「ファイト」でも歌ってやりたくなった。
「戦う君の歌を、戦わない奴らが笑うだろう。ファイト!」って。
そして、我聞の位置づけが素晴らしい。
駄目な男と思いつつ、私は我聞も応援したくてしょうがない。
彼はある意味、空気を読む達人だ。
その才能が、彼を営業部のエースにした。
でも、一番大切な人の空気、読めてないやんけ、と。
だから、駄目男。
そうなんだけど、多分、我聞にとっては、唯一、凪だけが、空気を読まなくていい相手だったのではなかろうか。
その甘えは、駄目だけれど、もう一度、チャンスを与えてやれないか、と。
そういう意味では、空気を読むことをやめた女と、空気を読め過ぎるくせに一番大事な空気が読めなかった男の、すれ違いの恋物語でもある。
あー、二人とも、何か、すげー幸せになってほしい。
漫画を読んで本気でそんなふうに思ったことは、私にはあまりない。
世にも奇妙な物語」路線の作品だが、個々のエピソードの完成度が高い。
話の展開の「ひとひねり」が丁寧に作られていると感じた。
ちょっとしたことなのだが、特にこのような連作短編形式の漫画は、そのちょっとした差が、大きな違いを生むのだろう。
また、単に奇妙な世界を描くのではなく、「道具」を作品の真ん中に置くことで、「道具の価値や意義は結局、使う人間次第だ」という一貫したテーマが、綺麗に作品に乗っている。
「道具は使っても、道具に使われてはいけない」という教訓は、次から次へと便利すぎる道具が産み出される現代社会において、結果的にだが、辛口の警鐘にもなっている気がする。
作者の引き出しの豊富さに驚いた。
ミステリとしていわゆる「本格」の域ではないけれど、それを求めてこの漫画に手を伸ばす読者はほとんどいないだろう。
むしろ、意外にちゃんとミステリしている、という印象だった。
緊張感に溢れるゴリゴリのミステリではなく、一風変わった軽快なミステリである。
この作者は、漫画としての「ちょうどよさ」みたいなものをよくわかっている気がする。
このミステリの「軽さ」にしてもそうだし、絵柄にしてもそう。
疲れずに心地よく読める。
それこそ料理じゃないが、さじ加減が絶妙である。
ただ、欲を言えば、最初の「エピソードゼロ」的な話は、もっと後半に持ってきたほうが、構成としてはパリッとしたようには感じた。
承認欲求は、私にもある。
例えば、仕事で認められたい。
例えば、妻にカッコいいと思ってほしい。
それは「リアル」での話じゃん、というならば、ネット上の話でもいい。
例えば、このサイトで自分のレビューに「参考になった」が入れば、嬉しい。
それは、SNS(私はやらないが)での承認欲求と、本質的にはさして変わらないと思う。
ネット上での承認欲求は、無自覚に生まれやすいし、手軽に自分を偽れるぶんだけ、歪んだり、現実と乖離していく怖さがあるし、程度によっては現代の病の一種だろうから、上手く描けば面白いテーマだと思う。
ところが、この漫画はびっくりするほど面白くない。
理由は色々あるけれど、ひとつには、あまりに表現が稚拙すぎる。
絵の上手い・下手については触れないが、要するに、登場人物の感情をモロに文字で書く以上の表現が、この漫画には何もない。
小学生の作文じゃあるまいし、例えば漫画の主人公が「俺は今、嬉しいぞ!」とか「うおー!悲しいぜ!」とかしか言わなかったら、そんなもの、もはや表現とは呼べない。
昔読んだ小説の中で、語り手が「今までの人生で得たものと失ったもののリスト」を作ろうとするくだりがあった。
まだまだ長い人生だ(と思う)が、私はこれから、何を得て、何を失って、生きてゆくのだろう。
そして、死んでゆくのだろう。
この漫画を読んで、そんなことに思いを馳せた。
「うせもの」は「失せ物」である。
「探し物」ではないのだ、本来は。
だから、私たちはその多くを、見つけられない。
取り戻せない。
でも、永久に失ってしまった何かと、誰かと、もう一度、向き合うことが出来たなら。
せめて、この世の別れの際に。
そんな感傷を、ぐらんぐらんに揺さぶられる作品。
駄目だ、涙なしには読めなかった。
設定勝負の一発ものかと思いきや、なかなかどうして、ひとつひとつのエピソードはドラマチックである。
奇抜な設定だけで引きつけて、中身は空っぽ、という作品ではなく、あくまで描きたいドラマがあり、それを引っ張り出すために設定がある、という印象を受けた。
トリガーの制度は、設定自体は非現実的だが、おそらく多くの人が一度は抱いたことのあるであろう「こいつ、誰か殺してくれねえかな」という感情に基づいており、それが一種のカタルシスに繋がっているのだろう。
私たちの中にある、感情的に歪んだ「正義」を利用した漫画であり、その計算は、実に巧妙である。
つかみはなかなか面白かった。
ただ、「クライムサスペンス」というスタート地点から、途中で「バトルアクション」にジャンルが変わっている。
バトルアクションとしても悪くはないのだが、勝手に期待していたものとのズレが大きく、私はそのジャンル変更に上手く乗れなかった。
この人の漫画は、「キング・オブ・B級」という感じで、何とも独特の楽しさがある。
こういう言い方はとても失礼だけれど、本格のホラーも一級品のアクションも切れ味のあるコメディも描けなくて、それでも漫画が大好きで、必死で生きる道を探して辿り着いたような、素晴らしいB級であると思う。
映画でも漫画でも、作品に対する愛情を感じるB級は、どれほど血が飛び散るホラーであっても、どこか、温かい。
設定により、一部のジャンルや作品が非表示になっています
ワリバシ女