5.0
空気を読む私たち
「KY」が流行語になったのは2007年だった。
その頃からだ、世の中で「空気読めよ」とやたら言われ出したのは。
ただ、そんな流行語が出来るはるか昔から、「空気を読む」文化は日本では当たり前のものだった。
どんな文化にもいい面と悪い面があるが、「空気を読む」社会の無言の同調圧力みたいなものに、息苦しさを感じている人は多いだろうと思う。
だから、凪が共感を呼ぶ。
私もそうで、凪とはまるで違う人間なのに、非常に共感を持った。
これは漫画としてすごいことだと思う。
キャラクター個人の問題を超えて、時代とか社会とかを切り取るのに成功した、ということだから。
でも、難しい。
「空気を読むことより大事なことがある」という気づきは素晴らしいけれど、読まなくてはいけない空気の外の世界で、より大事な何かのために生きるのは、簡単じゃない。
そもそも、その「大事な何か」がよくわからなかったりして。
そんな、厳しい戦いの物語として私は読んだ。
本気で凪を応援したくなった。
中島みゆきの「ファイト」でも歌ってやりたくなった。
「戦う君の歌を、戦わない奴らが笑うだろう。ファイト!」って。
そして、我聞の位置づけが素晴らしい。
駄目な男と思いつつ、私は我聞も応援したくてしょうがない。
彼はある意味、空気を読む達人だ。
その才能が、彼を営業部のエースにした。
でも、一番大切な人の空気、読めてないやんけ、と。
だから、駄目男。
そうなんだけど、多分、我聞にとっては、唯一、凪だけが、空気を読まなくていい相手だったのではなかろうか。
その甘えは、駄目だけれど、もう一度、チャンスを与えてやれないか、と。
そういう意味では、空気を読むことをやめた女と、空気を読め過ぎるくせに一番大事な空気が読めなかった男の、すれ違いの恋物語でもある。
あー、二人とも、何か、すげー幸せになってほしい。
漫画を読んで本気でそんなふうに思ったことは、私にはあまりない。
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凪のお暇