3.0
読み物として
都市伝説や心霊現象などの怪異を、編集部が調査する、という設定の漫画。
レポート形式で、実際の怪異の題材となった(真偽はともかく)写真が作中に添付されていたりする。
漫画として面白かったかと言われれば、正直、そうではないのだが、読み物の表現の形としては、アリかな、とは思った。
まあ、眉唾ものの話が多く、胡散臭いことこの上ないけれど。
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24位 ?
都市伝説や心霊現象などの怪異を、編集部が調査する、という設定の漫画。
レポート形式で、実際の怪異の題材となった(真偽はともかく)写真が作中に添付されていたりする。
漫画として面白かったかと言われれば、正直、そうではないのだが、読み物の表現の形としては、アリかな、とは思った。
まあ、眉唾ものの話が多く、胡散臭いことこの上ないけれど。
説明不能の「心がざわつく」思春期コミック、というのが売り文句だが、このコピーは完璧だと思う。
漫画の表現として、圧倒的に斬新だ。
この唯一無二ぶりは、突出している。
本作と似ている漫画を読んだことがない。
というか、きっと、無理なのだ。
例えば、「ドラゴンボール」や「スラムダンク」や「ジョジョの奇妙な冒険」を真似することは出来ても(そのクオリティーは別にして)、この漫画を真似することは、多分、出来ない。
それほどまでに、突き抜けたオリジナリティーである。
そして本作は、おそらく私が読んだ全ての漫画の中で、最も説明が困難な作品でもある。
「どんな漫画なのか」と問われても、私は、答えられない。
また、「読んでどんな気持ちになったか」と問われても、答えられない。
悲しみとも、苛立ちとも、怒りとも、切なさとも、歯がゆさとも、違う気がする。
それでいて、その全てがあるような気もする。
敢えて言うなら、まさに「心がざわつく」ということになるかと思う。
もしかしたらそのざわつきは、決して言葉に出来ない想いに囚われながら我々が過ごした、思春期という時代そのものの影なのかもしれない。
私たちがこの作品の中に見るのは、かつて自らが抱いていた、名前も行き場もない、若い想いの欠片なのかもしれない。
そういう意味では、これほど克明に「あの時代」を描いた漫画というのは、他にないのではないかと思う。
そういえば、「あの頃」に私たちが眺めていた心の空は、白にも黒にも染まらないまま、何となく、灰色だったような気がする。
私は、松原タニシという芸人が全く好きではないし、申し訳ないが、面白いと思ったこともない。
怪談の語り手としても、例えば同じ芸人の中山功太なんかと比べると、というか、比べる気にもならない。
しかし、「事故物件住みます芸人」というポジションは、すごいと思う。
そんなこと、なかなか出来るものではない。
繰り返し、こういう言い方は申し訳ないけれど、自分が芸人として、大して面白くもなく、売りもないことを自覚して、それでも、「売れない芸人」から何とか抜け出すための必死の試みとして今のポジションを築いたのかと思うと、ちょっと胸が熱くなる。
だから私は、松原タニシが語る怪談が本当だろうが嘘だろうが、どうでもいい。
事故物件に住み続けている時点で、どんなほら話だって吹いていいくらいの権利はあると思うのだ。
ただまあ、これが漫画として面白いかとなると、それはまた、別の話である。
私が一番好きな料理漫画は「鉄鍋のジャン」という作品で、その影響からか、料理漫画、というのは、現実ではなかなか食べられなかったり、ちょっとあり得なかったりする料理を、魅力的に、しかも現実に十分ありそうに描いて、読者を唸らせるものなんだ、と思っていた。
古い話だと、「ミスター味っ子」だってそうだった。
だから、蕎麦屋のカツ丼とか回転寿司とか、我々庶民が日常の中で普通に食べられる食事を、まあ、言ってみれば「普通に」野原ひろしが食べるのを眺める、という漫画の何が面白いのか、私にはイマイチわからなかった。
輪廻転生モノの異世界ファンタジー。
決して魅力のない漫画だとは思わなかったけれど、絵も、ストーリーも、信じられないくらい頭に入ってこなかった。
ちょっと申し訳なくなるくらいに。
例えば三島由紀夫を読んで脱落する中学生のような感じで、私は早々にリタイアしてしまった。
二十年前なら、違っていたかもしれない。
残念ながら、この漫画を楽しむには、私は歳をとりすぎたのかもしれない。
最近の個人的な「ぬ~べ~」ブームにより、オリジナル、「いずな」、「NEO」、そして本作、と読んできたけれど、この「S」は、ちょっときつかった。
オリジナルへの思い入れがあるせいか、「NEO」まではともかく、本作は正直、「これってぬ~べ~である必要あるのか?」と感じてしまった。
そろそろネタ切れの感もある。
まあ、私が「ぬ~べ~」を連続して読みすぎたせいかもしれない。
オリジナルの十年後、という設定。
郷子が童守小学校の教師になっていたり、広がセリエAの看板選手になっていたり、あの「A」の再来もあったりと、オリジナルを読んでいた世代には、懐かしい。
その中で、ぬ~べ~だけは何ひとつ変わっていない、というのも、またいい。
ただ、ちょっと物足りなさを感じたのも事実だ。
ひとつは、私が「いずな」を読んだせいである。
あちらは青年誌なので、「大人向け」の恐怖がなかなか大胆に描かれており、ぬ~べ~とは違ってすっかり歳をとった私としては、「いずな」の後でこの少年向けのホラーに戻るのは、ちょっとしんどかった。
もうひとつは、設定の懐かしさの割には、あまりノスタルジックな手触りがなかったことだ。
まあ、これは私のないものねだりもいいところで、あくまで少年誌の連載である以上、オリジナルを知らない読者をターゲットにするわけだから、ノスタルジーなんて場違いなものになる。
それはよくわかっているが、うーん、もう一歩かなあ。
社会的に裁かれない悪人に、残忍な方法で私刑を加えるサイコ警察官を主人公にしたサスペンス。
グロテスクな表現が多いが、作画は綺麗で、安定感がある。
ただ、悪人を始末するサイコキラーという設定は、どうにも都合がよすぎる気がして、イマイチ入り込めなかった。
あとは、スピンオフと知らずに、元の作品を読む前に読んでしまったので、主人公のキャラクターが余計にわかりにくかったことはあるかもしれない。
漫画を単独で見れば、なかなかスリリングなサスペンスだとは思った。
しかし、どうにも乗り切れなかったのは、やはり、本作が実際の都市伝説「This Man」をモチーフにしている、ということに尽きる。
もともとの都市伝説「This Man」は、ざっくり言うと、ニューヨークの精神科医のところに「知らない男が何度も夢に出る」ということを相談した患者がいて、その人相を絵に描いたのだが、精神科医が同業者などから情報を得て調査すると、何と世界中にその男を夢に見ている人がいた、という話だ。
それだけの話だ。
この「それだけ」というのが、「This Man」という都市伝説の肝だったんじゃないかと思う。
見ず知らずのはずの同じ男を世界中の人が夢に見ている、「それだけ」だからこそ、微妙に可能性がありそうというか、まさしく「信じるか信じないかはあなた次第」的なポジションとなって、都市伝説たり得たのだと思う。
それが、この漫画のように「見た者に死を」とかなってくると、いやいや、そんなもんあるかいな、という話になってきてしまう。
つまりこの漫画は、実際の都市伝説を題材にしながら、そこから話を広げたことによって、都市伝説が本来持っていた魅力を台無しにしてしまった、というふうにしか、私には思えなかった。
おまけに、都市伝説「This Man」は、実はイタリアのマーケティングの専門家による一種のゲリラ・マーケティングだった、という「種明かし」がされており、正直、ネタとしても賞味期限切れである、という感は否めない。
悪霊に憑かれた人間を葬る「はぶり」という家業を受け継いだ少年の物語。
一応、青年漫画というくくりだが、私は、いたって普通の少年漫画として本作を読んだ。
いい意味で、だ。
序盤から九歳の少年が家族を殺_すとか、毎回首を斬り落とすとか、過激な描写と悲劇的な設定によって少年漫画の枠から外れているのだろうが、主人公の少年が苦難に立ち向かい、逆境や自分の弱さを乗り越えることで成長してゆく、という展開や主題は完全に少年漫画のそれである。
青年漫画の皮をかぶった少年漫画、と言えるかもしれない。
何かもうひとつ欲しい、という気もしたが、少年時代に少年漫画を読んでいたような気持ちで、テンポよく、それなりにワクワクできた。
特に、不満はない。
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【閲覧注異】