4.0
客観的に見ると、なかなか残酷な話ではある。
が、作品としては、とても救われている印象がある。
その理由は、単純だが、子どもの可能性、というものを、静かに、きちんと描いているからではないかと思う。
これほどの悲しみと、これほどの希望に満ちた「また会おうね」を、私は他に知らない。
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8
8位 ?
客観的に見ると、なかなか残酷な話ではある。
が、作品としては、とても救われている印象がある。
その理由は、単純だが、子どもの可能性、というものを、静かに、きちんと描いているからではないかと思う。
これほどの悲しみと、これほどの希望に満ちた「また会おうね」を、私は他に知らない。
コンパクトな尺の中に、ループすることの絶望感や孤独感が、上手く収められていると思った。
特に孤独感の表現は出色で、「自分だけが今日という日を知ってしまっている」というある種の特権が、実のところひどい重荷である、という描写には説得力があった。
そして、二つの孤独が出会うことで生まれ、育まれる感情。
そこから安直なラブストーリーに流れなかった点も買えるし、ラストの切ない切り返しも切れ味が鋭い。
本当の絆というのは、互いに孤独を知る者の間に生まれるのかもしれない、と、私はそんなことを考えていた。
最初に白状するが、私は、現代の日本の多くの宗教に対しては、かなりの嫌悪感を抱いている。
それは、多分に偏見に基づく。
だから、ちょっと申し訳ないとも思う。
けれどこの嫌悪感は、いくつかの決定的な経験と、それにまつわる私の強い怒りから、長い年月に渡って形成されたものであり、今ではほとんど生理的なレベルに達していて、もう一生変えられないと思う。
以前、妻がこんなことを言っていた。
「もし、宗教を強く信じる親のもとに自分が生まれていたら、と考えると、それがこの世で一番怖いことかもしれない」と。
妻は、二つの意味で言ったのだと思う。
ひとつは、自分の人生が、宗教によって制約・束縛される恐怖。
これは、要するに「やりたいことがやれない」というレベルの話だ。
もうひとつは、自分の人生の自由が、宗教によって制約されている異常(だと私は思う)さにすら気づけないかもしれない、という恐怖。
こっちの方が、より、怖い。
私は、妻に言った。
もし、そういう家庭に生まれても、あなたはきっと、気づけたと思うよ、逃げ出せたと思うよ、と。
俺もその自信あるよ、と。
嘘ではなかった。
でも、本当に、そうだろうか?
この漫画の作者のような家庭に育った人間が宗教から抜け出すには、文字どおり、かなりの年月に渡る自分の人生を「無駄にする」覚悟がなければ、無理だ。
どうであれ、それまでの人生が「間違っていた」のだ、と認めることは、決して易しくない。
人間は誰だって、積み上げたものを否定したくない。
だから、この漫画の作者の決断には、本当に胸が熱くなった。
こういう種類の人生から抜け出した人の証言に、初めて出会った。
そして、希望を抱いた。
この世には、自分が望んだわけでもない宗教の囲いの中に生まれ、そこから抜け出せずに一生を終える人が、いくらでもいる(それが不幸であるかは難しいけれど…)。
でも、自由の風を感じて、それに憧れて、信じて、勇気を持って踏み出す人も、きっと、いるのだ、と。
そのことについて、作者に、ありがとう、と言いたい。
その勇気を、意志を、そして、何よりも彼女がつかんだ自由を、私は、心の底から祝福したい。
一応のストーリーはあり、どこでどう繋がるのかという面白さもあるのだが、それは本質ではなく、この漫画には、もっと瞬間的に、感覚的に、ゾッとさせるものがある。
ストーリーで怖がらせるのではなく、わけがわからないままに、何か、怖い、と感じさせること。
それこそが、ホラー漫画らしさ、というものではないかと思う。
嗚呼、タイトルが素晴らしい。
それぞれの短編で舞台は全く違うが、どれも「ブルー」なのだろうと思う。
ブルーというのは不思議な色で、空と海の色、爽やかで雄大で、若さを表したりもするけれど、憂鬱な気分の象徴だったりもする。
晴れ晴れとしたブルー、切ないブルー、淡くて微妙なブルー、そんな様々なブルーを、どれも心温まるタッチで描いた作品集。
私は、表題作の「ブルー・サムシング」が一番好きだった。
「うしおととら」の作者による短編集。
躍動感のある描写は流石で、深みのある台詞も健在。
ただ、正直、短編集の中で当たり外れはあると思う。
個人的な趣向を含めて。
私は「夜に散歩しないかね」を推す。
どの話から読むか迷った方は、是非。
この人の作品は、化け物とか復讐とか殺_人とか、ダークなモチーフを描きながらも、不思議といつも少年漫画らしい爽やかさがあって、とてもバランスがいいと思う。
「今際の国のアリス」の作者が原作で、作画は別の人。
個人的な好みは別れるだろうが、この作画もよかった。
登場人物たちのバックグラウンドに何があったのか、という謎には吸引力があり、テンポのよさも相まって、ぐいぐい読ませる。
「今際の国」もそうだったが、異世界の描き込みは非常に丹念で、没入感は高かった。
「今際の国」が匿名の「架空の世界」であったのに対して、本作のそれは現実の日本各地を舞台にしており、その点もまた違った見所があった。
ただ、「今際の国」が凝ったゲームの完成度で魅せた漫画であったのに比べると、わりにシンプルなサバイバルであり、「今際の国」のファンとしては、一抹の物足りなさも感じた。
本家同様、個々のキャラの立て方は流石、と思ったけれど。
今の時代に読むと古風な絵柄だが、迫力があり、引き込まれた。
自殺を試みた少女の前に突如現れたヒーローとの逃避行、という「いかにも少女漫画」的な設定ではあるが、微妙なところでラブロマンスに走らなかった点に好感を持った。
そのおかげもあり、甘すぎず、それでいて希望を与え得る話にもなっていて、特に少年少女を対象とした漫画ということを考慮すると、私は好きであった。
……というレビューを表題作のみ読んで書いたのだが、「黒い天使」を読んで全く印象が変わった。
代理ミュンヒハウゼン症候群については一応知っていたので、「ふんふん」と読んでいたが、完全にやられた。
めちゃくちゃ怖い。
初めての方は、是非「黒い天使」を読んでほしい。
原作の利なのだろうが、現実的な枠をきちんと守った中でのサスペンスフルな語り口には安定感があり、ハラハラしながら読み進めた。
交錯する時系列の演出も、上手く決まっていたと思う。
夢や憧れといったポジティブな地点から始まったはずの日常が、いつの間にかほつれ、ほころび、崩れてゆく。
その様には、ゾクゾクした。
何が怖いって、本質的には、誰が「悪い」というわけでもない、ということだ。
登場人物の誰もが少しずつ悪を抱えているが、それは結局、私たちの誰もが大抵は内包しているレベルのものだ。
それでも、日々は転がり落ちてゆく。
高級住宅街の坂道を自転車で下ってゆくように。
私たちの日常が崩れゆくときというのは、そんなものなのかもしれない。
あー怖い。
ただ、ラストだけは、ちょっとパンチが弱い気もした。
しかし、日常の破綻、という本作の色合いを考えると、これでちょうどいいのかもしれない。
世界の終わり、というと大袈裟だけれど、子どもの頃の私たちの世界は、小規模なレベルで言えば、しょっちゅう「終わって」いたのではなかろうか。
大好きな友達と喧嘩をしたとき、親に強く否定されたとき、大切なゲームのセーブデータが消えたとき、それこそ世界が終わるほど傷ついたものだ。
そういう「あの頃」の感覚を、時代特有の終末感と重ね合わせて、上手に表現した漫画だと思った。
この漫画にあるように、私たちの「あの頃」には、小さな世界を傷つけようとする怪獣も(人によっては、たぶん恐怖の大王も)いた。
私たちはそれに対抗する術を持たず、かといって、タイミングよく現れるヒーローもいなかった。
そのやるせなさと、無力感。
それもまた、この作品ではとても明瞭に描かれていた。
胸が痛くなるくらいに。
私たちの小さな世界は何度も壊れ、壊され、それでも私たちは、粉々になった世界の欠片を何とか拾い集めて縫い合わせて、大人になってゆく。
それは目を背けたくなるくらい切なくて、あり得ないくらい尊いことだと私は思う。
それだけに、ラストは残念だ。
色んな解釈はあるのだろうが、私は、何か投げ出したような印象を受けてしまった。
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神様がうそをつく。