ひゃくえむ。:岩井澤健治監督インタビュー ロトスコープでしかできない表現 モノローグをなくし没入感を
配信日:2025/10/02 19:01

テレビアニメ化もされた「チ。 -地球の運動について-」で知られる魚豊さんのマンガが原作の劇場版アニメ「ひゃくえむ。」が9月19日に公開された。長編アニメデビュー作「音楽」が“アニメ界のアカデミー賞”と言われる米アニー賞にノミネートされ、国内外の映画賞で高い評価を受ける岩井澤健治さんが監督を務め、「音楽」を手がけたロックンロール・マウンテンが制作する。岩井澤監督は、「音楽」と同じく、実写の映像を撮影し、その映像をトレースしながら手描きで作画するロトスコープという手法で「ひゃくえむ。」を制作し、「ロトスコープでないとできない特別な表現」を目指したという。岩井澤監督に制作の裏側を聞いた。
◇とがりまくった原作 映画の尺に落とし込むために
「ひゃくえむ。」は、魚豊さんの連載デビュー作で、講談社のウェブマンガアプリ「マガジンポケット(マガポケ)」で2018~19年に連載された。陸上100メートル競技を題材にした作品で、“100m”というたった10秒の一瞬の輝きに魅せられ、すべてを懸ける者たちの狂気と情熱が描かれる。
岩井澤監督は、「チ。 -地球の運動について-」を読んで魚豊さんの作品に興味を持ち、「ひゃくえむ。」にたどり着いたという。
「魚豊さんが『ひゃくえむ。』を描いたのは20代前半のすごく若い時だと思うのですが、若い人のデビュー作特有の初々しさやほほ笑ましさを感じるかと思ったら、すごくとがりまくっていて、ただ者じゃないなという印象を持ちました。また、短距離走をテーマにしている珍しさも感じて、どう描くのだろう?と思っていたのですが、汗、涙、青春といったスポ根のイメージがなく、どちらかと言うと、冷めているというか。普通のスポーツマンガとは違う視点があるなと思いました」
岩井澤監督が「ひゃくえむ。」を読んだ数週間後に、劇場版アニメの監督のオファーを受けたという。制作の上で岩井澤監督らスタッフがまずこだわったのは、ストーリー構成だった。
「コミックス5巻分あるストーリーを映画の尺に落とし込むには、どうしても削ったり、構成をし直さなければいけません。ダイジェストになるのは嫌だなと考えていたので、原作にたくさん魅力的なエピソードがある中で、自分が映画にするにはどういう方向性で構成するかをフラットに考えました。『どこが一番大事か?』『どこを変えちゃいけないのか』と自分なりにラインを作って構成を練りました。その上で、魚豊さんに最初の構成をお見せしたのですが、大きな修正が入ることがなかったのでそこまでズレていなかったのかなと。映画として面白くする、映画から『ひゃくえむ。』を知った人が原作に興味を持つ。映画がそういうものになるのが理想かなと自分では思っています」
シナリオに関しては、魚豊さんとディスカッションする中で、意外な提案もあったという。
「魚豊さんのほうからキャラクターのしゃべり方について『原作からこういうふうに変えてほしい』と提案してもらいました。言葉を大事にされている印象があったので、セリフをこちらで大きく変えないようにしていたのですが、魚豊さんから『しゃべり言葉だとこっちのほうが自然なんじゃないですか?』と。こちらが『そこは原作のすごく大事な部分なのでは?』とちょっと戸惑うくらいで。ただ、確かにしゃべった時と、マンガとして読む時は違うなと。映像にした時のイメージを魚豊さんからご提案いただいたのは意外でしたし、ありがたかったです」
◇観客を没入させるために モノローグを入れないこだわり
制作の上では、原作に多くあるキャラクターたちのモノローグをなくすことも大きな軸となった。モノローグに代わるものを映像で見せようとしたという。
「これは、自分のこだわりというか。映像にした時はマンガよりも情報量が多いので、言葉にしなくても伝わる部分があります。また、モノローグや回想シーンは、どうしても説明的になってしまうので、映像では、ほとんどの作品がテンポが落ちて、作品としての勢いが弱まってしまう。うまくやって、モノローグを説明的に感じさせないやり方もあるとは思うのですが、自分はそれをやれる自信がなかったので、最初からモノローグや回想を入れずに、どう映画として構成できるかにこだわりました」
モノローグや回想シーンで、観客の気持ちが離れてしまうことも多いという。
「見ていて集中力が切れてしまうのが、説明的だったり、テンポが落ちたりした時だと思います。映画館では特に没入感が大事だと思うので、そこは意識しています」
テンポの良さ、メリハリにもこだわり、「ロトスコープの方法だから動きにこだわるというより、動かない絵をどう見せるか?にこだわったかもしれない」と語る。
「同じような絵が続いたり、ずっと動き続けたり、同じテンポ感では見る人は飽きてしまうので、動かないところや、カットがすごく短いところ、長いところを入れて、作品全体のメリハリを意識しました。走っているキャラクターを見せずに大胆に空だけ見せるカットもあります。『高畑勲展』に行った時に、テンションチャートというのがあって、見ている人がこのシーンでこういう気持ちになると表にしていたんです。それは1960、70年代の作品で、高畑さんは昔から見る人の感覚になることを大切にしていた。自分も常に、自分が観客として見るのであればどういうものが面白いかなと考えています」
◇動きは実写、見た目はアニメ ロトスコープならではの特別な表現
「映画としての面白さ」を追求した今作だが、最も特徴的なのは、ロトスコープで制作されたことだ。岩井澤監督とロトスコープとの出会いは、20代前半の頃だったという。ロトスコープ自体は、新しい手法ではないが、元々実写映画の監督を目指していた岩井澤監督は、ロトスコープのことを知らずに「絵を描くのも好きだったので、実写をなぞる形であれば、アニメーションのようなものになるのではないか。アニメを作るというより、アニメっぽいものになるんじゃないか。動きは実写だけど、見た目は手描きのアニメは面白いんじゃないか」と試してみた。
そうして制作した作品は評価を受け、「このやり方だったら自分はできるかもしれない」と手応えを感じた。「やっていることは実写の時から変わらないのですが、視点を変えたというか。このやり方だからできることが増えた」と語る。
「ロススコープでないとできない表現がある」といい、「ひゃくえむ。」でも特別な表現を意識した。例えば、試合前から終了までの3分40秒をワンカットで描いた高校全国大会の決勝戦のシーンがそうだという。
「あのシーンは、本当にロトスコープじゃないとできないんです。3Dでそれっぽく作ることはできるかもしれませんが、あのシーンを手描きでやろうと思ったら、手だれのアニメーターをたくさん集めても相当時間とお金がかかる。それで予算をかけるならやらないという判断になる。それくらい特殊なシーンなんです」
「ひゃくえむ。」の制作において、ロトスコープはもちろん、「最後の最後までインディペンデントな作り方をしていた」と振り返る。岩井澤監督は、作品作りにおいて「常にエンタメを意識している」と語り、「映画を見てもらうからにはエンタメじゃないと。自分がやりたいものをやって、見たい人だけ見ればいいみたいな作り方は自分はしたくない。自分のやり方はちょっと変わった演出ですが、それもエンタメに昇華できる。ぜひとも面白いと思ってもらいたい」と思いを込める。
最後に見どころを聞いた。
「映画館でしか、音の迫力は感じられないので、ぜひ体感してもらいたいです。映像的にできるだけ頑張って豪華なものにしているので、本当に体感するのにふさわしい作品になっていると思います」
提供元:MANTANWEB