地獄先生ぬ~べ~:26年ぶり新作アニメも話題 令和も愛され続ける人気マンガ 誕生秘話 真倉翔、岡野剛インタビュー
配信日:2025/08/11 12:01

1993~99年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載された真倉翔さん原作、岡野剛さんマンガの「地獄先生ぬ~べ~」の新作アニメが、テレビ朝日系全国ネットで毎週水曜午後11時45分(※一部地域を除く)に放送されている。「地獄先生ぬ~べ~」の新作アニメが制作されるのは、約26年ぶり。原作は、連載終了後も続編が制作され、約4年ぶりの新連載がスタートしたことも話題になっている。令和の時代も愛され続ける「ぬ~べ~」はどのように誕生したのだろうか? 真倉さん、岡野さんに聞いた。
◇別の企画を合体させた
--「ぬ~べ~」の連載が始まった経緯は? 当時はオカルトや妖怪が流行していた?
真倉さん 人面犬とかは流行していましたね。ただ、そこはあんまり関係なくて、二人は「ジャンプ」で連載したけど、短期で終了してしまい、廃品利用のように二人で組まないか?という話になったんです。
岡野さん 担当編集が一緒だったんです。それで、二人共、打ち切りになったから、コンビとしてくっつけようとしたんです。
真倉さん 廃品利用と言ってしまいましたが、担当編集の優しさですね。
岡野さん 最初は妖怪の話ではなかったんです。子供を守る大人のヒーロー、ガキ大将のような主人公のマンガと編集に言われたんです。最初に立てた企画は、少年課の刑事のマンガでした。
真倉さん 少年犯罪を描くとなると、いろいろデリケートなんですよね。当時、織田無道さんも流行していて、そういう退魔マンガも……という話もあったので、くっつけたんです。
岡野さん 元々は別の企画を合体させたんです。
真倉さん 子供を守るって何だろう?となって、“先生”が主人公になりました。
--元々、妖怪は好きだった?
真倉さん 子供の頃は普通に興味があったけど、オカルトマニアとかそういうのではありませんでした。
岡野さん 水木しげる先生や楳図かずお先生のマンガは読んでいたけど、それくらいで、俺は恐怖マンガを描く!というわけではありませんでした。
真倉さん 当時はネットもなかったし、神保町で資料を買いあさりました。今とは違ってそんなにないから、見つけたら全部買って、研究しました。
◇熱血が古くさくダサいと言われていた時代に
--ホラー、バトル、お色気などさまざまな要素がある中で、ぬ~べ~が教師として熱く生徒と向き合うところも魅力になっています。道徳的なことを教えるシーンも印象的です。
真倉さん それは岡野先生の気質だと思います。僕はそれまでブラックなギャグも描いていたし、悪い大人を描くのが好きでした。最初、ぬ~べ~がパチンコをやって授業をサボるような感じで描いていたら、そういうのではないという話もありましたし。
岡野さん 僕は当時、25歳でぬ~べ~と同い年でした。ただ、自分と同い年の男性の気持ちが全く分かりませんでした。最初、ぬ~べ~の設定を見て、若い男の気持ちが分からなかった。若い男の心の動きは一切入れずに、自分が小学生の頃に憧れた先生のイメージを全部入れようとしました。当時としてはあの熱血ぶりは古かったと思います。熱血が古くさくダサいと言われていた時代ですしね。
真倉さん 僕はストレートに「俺が子供を守る!」と描くのは恥ずかしいところもあったんだけど。
--真倉さん、岡野さんの両方の要素が合わさって「ぬ~べ~」になった。
真倉さん そうなんです。僕一人だと恥ずかしくて描けなかった。新鮮でした。読後感がいいんですよね。ストレートなキャラクターを受け入れてもらえたし、僕としても進歩できました。
--新連載もスタートしましたが、その軸は変わらない?
真倉さん そこはブレていないです。大人として情けなくても、子供をいじめなきゃなんでもできる。ぬ~べ~はこれまでいろいろな面を見せていますし。
◇連載開始時は苦戦…
--連載開始時の反響は?
真倉さん 最初は苦戦しました。最初の1年は打ち切られないかハラハラしていました。
岡野さん 連載1周年の時、カラーページもらえなかったですからね。表紙になり始めたのは、アニメの企画が動き始めてからかな。
--1990年代は“ジャンプ黄金期”とも言われています。人気作ばかりでした。
真倉さん 1位は「ドラゴンボール」でしたし、圧倒的すぎて勝負にならない(笑)。(人気順位の)真ん中から後ろ辺りをうろうろしていました。
岡野さん 玉藻の(登場回)辺りが危なかったです。(ほかにもジャンプで)新連載がいっぱい始まったら打ち切りになっていたかもしれません。
真倉さん あそこを乗り切った、運もありました。
--1996年には平成版のテレビアニメがスタートしました。
岡野さん その辺りになると人気が安定して、表紙にもさせてもらえるようになりました。
真倉さん アニメになって変わりましたね。図に乗りました(笑)。そこからいろいろ挑戦できるようにもなりました。初期は順位が気になって慎重になっていたけど、やりたい放題にやった方が面白くなることもあるので、めちゃくちゃふざけたりして。
--アニメの反響も大きかった?
真倉さん 身内からサインを求められる量が増えたぐらいですね。
岡野さん 近所の小学生からサインを求められたりしましたね。子供の幼稚園の運動会で絵を描いたこともありました。幼稚園の先生がぬ~べ~とゆきめの仮装をしてくれたりしたんだけど、大人にはあまり知られてなかったみたいで、私の前にいたお父さんに「あのアニメ、知らないなあ?」と言われたり(笑)。ただ、子供には人気でした。
◇新作アニメのスタッフを信頼
--約26年ぶりの新作アニメにも関わっている?
真倉さん 絵コンテも脚本も全部見ています。ただ、僕はあまり口出ししていません。現場がすごく熱意を持ってくれていますし。自由に作ってもらった方がいいものができると思いますし。
岡野さん 真倉先生はほぼ毎回アフレコに行っていますよね。
真倉さん だってこんな機会ないじゃない!
岡野さん 個人的には、もうちょっとエッチでもいいかな?とも思います(笑)。でも、そういうのが難しい時代ですしね。子供たちを可愛く描いていただいていて、気に入っています。それに、すごく動くんですよね。絶対動かないだろうと思ったものが見事に動いていますしね。
真倉さん デジタルってすごいですよね。カット数も多いですし、新鮮です。新しいものを見ていると感じています。昔と同じものを作っても面白くないし。スタッフの方々の色が出ていますし、皆さんのぬ~べ~愛が強くて、信頼しています。
--「地獄先生ぬ~べ~怪(かい)」が「最強ジャンプ」、「地獄先生ぬ~べ~PLUS」がマンガ誌アプリ「少年ジャンプ+」で今年5月に連載を開始しました。今後も続けていく?
真倉さん 続けてほしいという声がある限りは、続けていきたいですね
岡野さん そうですね。海外に行きたいですね。
真倉さん 台湾に行ったことはあるんですけどね。アメリカに呼んでもらったことはないので。ハリウッド版とか見てみたいです。
--こうやってお話をうかがっていると、お二人のコンビネーションも抜群のようですが……。
真倉さん そんなに仲良くないですよ(笑)。
--そう言えるということは、仲がいいのでは?
真倉さん 安心しますよね。
岡野さん 別々にインタビューを受けていると静かだしね。
真倉さん 一人だとしゃべりにくい!
「地獄先生ぬ~べ~」は、童守小学校に赴任した青年教師の鵺野鳴介(ぬ~べ~)が、左腕に宿した“鬼の手”の力で、次々と起こる事件を解決していく……というストーリー。平成版テレビアニメが1996~97年に放送され、劇場版アニメ、OVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)なども制作されてきた。新作アニメが制作されるのは、1999年発売のOVA「地獄先生ぬ~べ~ 史上最大の激戦! 絶鬼来襲!!」以来、約26年ぶり。
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