5.0
夢の後で
二十年前、オリジナルの金田一少年が大好きだった。
あらゆる意味で、私にとって特別な漫画だった。
漫画のキャラクターの中で、本当に友達のように感じられたのは、金田一君が最初で最後だったんじゃないかと思う。
本作の中で、金田一君は、私と同じように歳をとっていた。
かつての金田一ファンからの厳しい声は、もっともであるとも思う。
「わざわざ37歳にした意義を感じない」、
「金田一の歳のとり方に魅力がない」、
「17歳から進歩がない」、
「17歳ならいいけどこんな37歳は嫌だ」、
「美雪と結婚していないことに失望した」、
「金田一の人生に夢がない」、
そういう批判、全て、理解できる。
でも、どうだろう。
37歳になった私たちは、かつて自分が思い描いていたほど、立派な大人になれただろうか。
野球部のエースはメジャーリーガーとして海を渡っただろうか。
クラスのマドンナは大女優になっただろうか。
「いや、漫画なんだから、もっと夢があってもいいじゃん」。
そうかもしれない。
しかし、この金田一は、もう少年漫画ではない。
夢に向かってどう生きるか、という漫画である必要はないと私は思う。
夢の後をどう生きるか、という漫画であっても、いいのではないか。
だって、ほとんど全ての人々にとって、「夢の後」の人生の方が、ずっと長いのだから。
いつの間にか、周囲の期待からも漠然と描いていた夢からも遠く逸れて、私たちはそれでも、あの頃とは別の何かを懸命に守ったり、日々の中から小さな幸福を拾い上げたりしながら、生きているのではなかろうか。
私には、敏腕探偵にもエリート刑事にもならなかった金田一君が、ブラック企業の中間管理職を務めるクソ面白くもない日常の中で、埋もれたり流されたりしながら、それでも必死にもがいて、懸命に生きようとしているように見えた。
それは、いつの間にか37歳になった私の姿であり、私たちの姿であるような気がした。
「もう謎は解きたくない」、あの金田一君がそんなことを言うなんて、余程のことがあったのだろう。
だが、ある意味では、私たち皆がそうだ。
二十年の間に、皆、色々あったのだ。
でも、ともかく、生きている。
私も、金田一君も、かつて持っていたものの多くを失い、残されているのは、欠片くらいのものかもしれない。
でも、欠片はまだ、残っている。
ならば、その欠片が、全てではないか。
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