3.0
娘は愛そう
いくつになっても恋愛したいし、できればいいなと思う。
けどやっぱり同居している娘のお婿さんとそうなるのはどうかと思う…。
そこはね、母親になろうよ。
自分の女の部分もだいじだけど、目の前で死ぬほど苦悩している娘がいるんだからそっちをまず愛そう。
でもまぁ世の中こうゆうこともあるんだろうし、それでもどうにもできないのが人間臭さなのかなぁ。
どうにもならない人間くささは好きだけど、娘は愛そうよって思う。それにつきる。
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いくつになっても恋愛したいし、できればいいなと思う。
けどやっぱり同居している娘のお婿さんとそうなるのはどうかと思う…。
そこはね、母親になろうよ。
自分の女の部分もだいじだけど、目の前で死ぬほど苦悩している娘がいるんだからそっちをまず愛そう。
でもまぁ世の中こうゆうこともあるんだろうし、それでもどうにもできないのが人間臭さなのかなぁ。
どうにもならない人間くささは好きだけど、娘は愛そうよって思う。それにつきる。
恋愛するぐらいしか何も楽しみをみつけられないであろう厳しい狭い山奥の田舎で起きた事例だろうなあとは読んでいて感じました。大切にしていた娘の婿を寝とるのは好きになったといえ非常識というよりもう私には病気だとしか思えませんね。女の幸せをみつけたというより男が女性に飢えていただけでしょうね。婿も3年も経てばわれにかえりすぐ若い子に乗り換えるでしょう。その後(5年~10年後)もどうなったのかできれば知りたいお話ですね。
娘婿に亡くなった自分の息子を重ねて、それがだんだん愛情に変わったのかな…
それにしてもがむしゃらに働いて自分のことに気を使う暇なかったはずなのに、まつえさんおモテになりますね!
色んな意見ありますけど、私はなんとなく彼女には幸せになってほしい気がします。
実際こんな事があるかもしれないと思う作品でした。
避難されるかもしれませんが、娘がどうしようもなく、旦那も可哀想に感じました!妻らしい事一つもしてないから仕方ない結果かと。
ただ、娘がいる身からしたら、自分は絶対こんな親にはなりたくないと思いました。お腹を痛めた我が子が自分のせいで自殺したら、私は苦しくて関係を続ける事はできないです。この主人公は母親ではなく、ずーっと女だったんでしょう。
私の中ではあり得ないタイプです。子供を産んだら、女である前に母親でいたいので、理解に苦しむ所があります。こんな母親が自分の親だったら縁を切りたくなります。
タイトルにもなってるお話は、実は田舎とかならそう無い話でもないのかなあと思いました。
確かに人としてどうなんだという疑問もわきますが、お互いが幸せなら回りがどうこう言うことでもないのではないでしょうか?
常識的な人からの蔑みの目や、逆風の中生きていく覚悟があるなら、家を守ることに囚われず家族4人で新天地に引っ越しでもしたらいいのにとも思いましたが。
幸せの天秤の主人公は、終始一貫した自分の価値観にのっとって行動してて好感が持てます。旦那は頼りないけど、後味も良かった。
逆にパンドラの箱の主人公には全く共感も移入もできませんでした。
いくつになっても恋愛したいし、できればいいなと思う。
けどやっぱり同居している娘のお婿さんとそうなるのはどうかと思う…。
そこはね、母親になろうよ。
自分の女の部分もだいじだけど、目の前で死ぬほど苦悩している娘がいるんだからそっちをまず愛そう。
でもまぁ世の中こうゆうこともあるんだろうし、それでもどうにもできないのが人間臭さなのかなぁ。
どうにもならない人間くささは好きだけど、娘は愛そうよって思う。それにつきる。
私はこのお母さん、嫌いじゃないです。
確かに、娘婿とそういう関係になったのはいけないことだけど、それまでの人生がかわいそう過ぎる。
娘を愛する気持ちだってあったように思えるのに、ふとしたことから道を誤ってしまい、でも、誤った道を進んでゆくしかない。
これが実話かどうかは分からないけど、実際にこういう話はあるだろうし、こういう女性も世の中にいるんだろうな。
娘さんへの扱いが子供の頃から酷かったのも一因なのかなと思います。
愛されたい気持ちはわかるけど、相手が娘婿である必要はあったのかな。
村の人たちの反応は申し訳ないけど理解できる。
娘のためを思うなら早く病院なりなんなりつれていけば良かったのにと思います。
孫もそのうち愛想をつかすのでは…
姑と娘婿の道ならぬ恋…という表題作だけ読みました。
主人公の松江は男好きで、男がいないと生きていけないタイプ。
そして、家父長制や男女のジェンダーロールにかなり縛られている。
だから長男に対しては、「男だし・長男だし」と甘やかし可愛がり、娘に対しては、「女なのにできない」「女なら愛される努力をすべき」といつまでも可愛がらなかったが故に、自信を持てず鬱病になってしまったのでしょう。
松江が殺したようなものです。
でも、そんな松江もある意味被害者ですよね。
女性として…ではなく、彼女らしく輝ける生き方が他にもあったはず。
でも当時はそんな生き方は許されなかった。
しかし、松江はそんなジェンダーロールの押し付けに耐えられたが、娘は耐えられなかった。
本来であれば、娘も、自分らしさを見出されてしかるべきだったが、松江にはそれができなかった。なぜなら自分が誰にも彼女らしさを認めてもらえなかったから。
令和は、みんなが自分らしく生きられる世の中にしたいものですね。
いくつになっても女は女なんですね。いくつになってもその女性が自分の女性性を忘れないのは結構あります。それこそリハパン履いてても女を忘れられなかった老人も居ますし・・・極端な話ではありますが、痴呆になっても自分が女だと強く認識してその行為を求めるケースもなかにはありました(介護職に就いていたので)もちろん全ての方がとは言いませんがいくつになっても女を維持してる人はいますね