4.0
展開が、2時間ドラマ風。
小説の始まりのようなストーリー展開。絵のタッチのちょっと哀しげな雰囲気から「人間の感情の流れ」のようなものを感じる。
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小説の始まりのようなストーリー展開。絵のタッチのちょっと哀しげな雰囲気から「人間の感情の流れ」のようなものを感じる。
たまたま、外見的に目立った特徴があっただけなのに「こな私だから。」みたいに捉えていては悲しいだけ。「私は、どうして他人からの一つの視点で自分自身を否定しているのだろう?」と自分の内面に尋ねてみたら、きっとマインドは外れる。
業務連絡ぐらいなら会話で対応出来るかもしれないけれど、生活を共にする人とは対話が出来ないと難しい。意識を相手に向けても、問題は解決しない。起きた事柄に自分は、どう感じていてそれは、どういう自分のエゴから来た思考なのかを自覚する必要がある。
時間の感覚は人それぞれで、実際には不安定で不確かな定義。彼にとっての「あの時」と、彼女にとっての「遠いむかしの記憶」がお互いの間をどう近づけるのか楽しみ。
Barのマスターは、お店の一部でそこへ足を運ぶ人たちはその空間を味わいに来ている。寛ぎや癒しを求めて自分を取り戻すために。それに、サポート出来ることは無限にある。
猫は、人間が見ている世界(次元)よりパラレルワールドに存在しているので、時々人間にもその感覚を体験に導いてくれる。異次元から見た世界は楽しい。
戦後の混乱の世の中で、自分がどれだけ心に傷を持って、それの癒し方も分からないままに余りにも速く進む時代の流れに、「私」であろうとする人たち。それが、傷ついたままの「私」かも分からないまま。
クリエイティブな仕事だからこそ、その環境は大切。ストレスフルな状態でいい仕事は出来ないし、続けられない。個々のパッションも浪費、枯渇する。
「私」なんて境界線はない。各々が創造した意識エネルギーの一部部分を具現化して表現した様々な事柄に、他の人たちが影響を受ける。互いに影響を受け繋がっている。自分の発している「意識」を常に認識し、感じている事が「そのこと」を体験させてくれる。
人は、エゴの見たい世界を選んで体験している。幼い頃の「視点」を現実の「今」として、選んで世界を体験している。「今ここ!の視点」から幼い頃の「私」を見ることが出来れば、必ず変容する。
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消えた母は見知らぬ遺体になってここにいる