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絵の可愛さとは裏腹に…
すごい人間観察が隅々まで行き届いた作品と思います。デッサン力半端ない。日本はいい国ですよね、漫画という教育ツールがある。つとむさん、前職の係長によく似ている。ただタフで無神経で、時にナイスガイ、時にファミリーガイ、時にパワハラだったI係長も、以前に精神を病んで長く休職していたと聞きました。つとむさんにそっくりでした。驚くべきは、こんな複雑で陰影のある一人の人間の典型的な姿が、3本の線で描かれた顔に実現していることです。本当、すごいです。
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すごい人間観察が隅々まで行き届いた作品と思います。デッサン力半端ない。日本はいい国ですよね、漫画という教育ツールがある。つとむさん、前職の係長によく似ている。ただタフで無神経で、時にナイスガイ、時にファミリーガイ、時にパワハラだったI係長も、以前に精神を病んで長く休職していたと聞きました。つとむさんにそっくりでした。驚くべきは、こんな複雑で陰影のある一人の人間の典型的な姿が、3本の線で描かれた顔に実現していることです。本当、すごいです。
教養主義の時代のフランス(今はそうではない)が背景にあるから、ここまで非社会的な生き方、許されるけれど(男性社会に入るのに家柄とか個人的教養が必要、言い換えればそれがあれば、別に自分で事業をやって成功した、とかでなくてもいい)、21世紀のグローバル社会でこのような女の人はどこで生きるのだろう、何を生きる糧とするのだろう。政治あるいは芸能界以外か。その辺まで考えさせる。ちなみに、Claudineという名前はフランス人はほとんどつけません。
知らないことばかり、宝石のような介護のエピソードです。おそらくこうした業種を身近に経験した作者の方が、見た通り、肌を通して知り合った人たちに想像した人生の幻影をそのまま描かれたのだと思いますが、信じられない作品になっています。与えても与えても無為に失われる介護の現実。戦後から高度経済成長の日本をひたすら支え続けた、今はなくなりつつある、純粋に地域的な「日本人」である高齢者の尊厳を、最後の息まで信じる、という崇高なミッションを持ちながら、またそれゆえに、日本社会全ての良心を表していながらも、社会に経済的に益することは決してない職種。この矛盾を描いて、介護と老人の価値を取り戻している。
「面白い」「やめられない」というより、「魅力的」な作品だと思います。凪は萎縮したキャラクターとして造型されているけれど、その役割はまっさらな器であること、そして透明な眼差しであること。これを成し遂げる作家のバランス感覚はすごい、そこから来る物語としての達成はすごい。普通は、書いている人の価値観とか自意識がしっかりバイアスをかけるもの。そして主人公が世界を映し出す目を曇らせるもの。凪という読む人誰もの視線を一度リセットする装置によって、日常の光景が冒険に見えてくるのです。
超最先端の職業ですね。毎日孤独死が報じられて、誰もが心の底でいつかは自分と震えている。まだ10年、まだ20年ある、その間に愛してくれる誰かが見つかるだろうとか、近所付き合いが密で、誰もが誰もの家に入り込むような昔の共同体のような社会が見つかるだろうとか、独り言を言っているけれど。10年後も20年後も孤独なままだという確信がどこかにある。そういう私たちに警鐘を鳴らす職業。日本人すべての看取り人、それが特殊清掃人。
梶原一騎のような作者はおそらく、昭和50年代生まれで最後です。ちばてつやのような画家も、おそらくもう出ない。両方ともスケールが桁違いの日本の文化人。ちばてつやは絵画界で巨匠になれたと思います。梶原一騎は極端なまでの反抗と夢想の能力によって現実を塗り替えることに成功した人。この二人が戦後日本の底力を体現していたとすれば、おそらく漫画もそうだったのです。そう思わせる作品です。日本民衆のドラマは、ドストエフスキーでもない、ヴィクトル・ユーゴーでもない、ドクトル・ジバゴでもない、風と共に去りぬでもない、あしたのじょーでした。
画力が素晴らしいので、30年前の前編も読んでみました。元々イラストレーターとか画家の修行をした人なんでしょうかね。デザイナーかな。絵の才能はすごいですね。少女漫画にはあまりいないタイプだけれど、ちばてつやとか大友克洋とか、画家としての能力がストーリーテラーとしての能力を凌駕するような人は少年漫画に多いように思う。しかもこのユーモア!ギャグは完全に少年ジャンプですよね。もしかして男性ですか?
天才作家、大島弓子さんの初々しい、大島果汁が生のまま迸ったような最初の歌の数々。もちろん、後の大島弓子を知っているから読める本でもあります。これを最初に世に出した編集者に感謝です。簡単な決断ではなかったと思います。もしかしたら、1970年代って、実験的にあらゆる種類の漫画をまず刊行するという傾向があったのかもしれない。ハリウッドにもそういう時期があったそうです。
最近まで、都内富裕層の高校生のお子さんの海外大学受験用家庭教師をしていました。
子供と一心同体になったお母さん。お母さんの鏡となった子供。同じでした。ある意味、お母さんにとっては幸せなことですよね。社会がそんな責任を預けてくれることなんて、普通の女性にはないことだから。一方、子供があの自他撞着を愛情と思い込んだら。。。これが怖いんですよね。
画力があるとかどうか、素人には分かりませんが、漫画でしか実現できない伝え方があると痛感しました。漫画でしかありえないのか、まずはっきりとした表現のイメージがあって、漫画は必然として生み出されたのか。そこまで考えてしまう。漫画家を模倣している漫画家が多い中で、漫画という表現方法を自ら生み出したみたいにすら思われる作家。
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