5.0
狂気ですか
最近まで、都内富裕層の高校生のお子さんの海外大学受験用家庭教師をしていました。
子供と一心同体になったお母さん。お母さんの鏡となった子供。同じでした。ある意味、お母さんにとっては幸せなことですよね。社会がそんな責任を預けてくれることなんて、普通の女性にはないことだから。一方、子供があの自他撞着を愛情と思い込んだら。。。これが怖いんですよね。
-
0
32633位 ?
最近まで、都内富裕層の高校生のお子さんの海外大学受験用家庭教師をしていました。
子供と一心同体になったお母さん。お母さんの鏡となった子供。同じでした。ある意味、お母さんにとっては幸せなことですよね。社会がそんな責任を預けてくれることなんて、普通の女性にはないことだから。一方、子供があの自他撞着を愛情と思い込んだら。。。これが怖いんですよね。
漫画家の独特な語り方に惹かれて読み始めました。押川さん本人の原作なんですね。実際にこんな仕事があるなんて知りませんでした。ウシジマくん的落ちるところまで落ちた人たちが出てきますが、どんな描写をされていても、卑しさよりも必死さが漂ってくる人間群像です。押川さんはやしきたかじんを思い出させます。昭和の下町のドンでしたね。
今ではもう名人芸。デッサンの確かさ。日常の細部の観察。小さな仕草の隅々までキャラが生きている。立っているんじゃなく、生きている。こういうなんでもない話から始まるのが私小説で、日本の文学の伝統でした。昭和の時代には女性漫画家がそれを受け継いでいたんだなと思います。
幼い頃、胸躍らせて読んだ活劇ヒロイン・ロマン。今のネットフリックスより、アマゾンプライムより、テレビのドラマより、なんだか色気づいた漫画より、ずっとずっとワクワクする勇敢で美しいヒロインの物語。クラシックなストーリーテリングはどこへ行ってしまったのか。
暗い古い高度成長時代の日本。戦争の記憶、呪われた家系、復讐の人生。楳図かずおはジャーナリストとしても素晴らしい仕事を残したと思う。おろちのネーミングがどこから出てきたのか、教えてほしい。文化史に残る優秀ネーミングだと思う。しかもその具現化が美少女というのも。。。
梶原一騎のような作者はおそらく、昭和50年代生まれで最後です。ちばてつやのような画家も、おそらくもう出ない。両方ともスケールが桁違いの日本の文化人。ちばてつやは絵画界で巨匠になれたと思います。梶原一騎は極端なまでの反抗と夢想の能力によって現実を塗り替えることに成功した人。この二人が戦後日本の底力を体現していたとすれば、おそらく漫画もそうだったのです。そう思わせる作品です。日本民衆のドラマは、ドストエフスキーでもない、ヴィクトル・ユーゴーでもない、ドクトル・ジバゴでもない、風と共に去りぬでもない、あしたのじょーでした。
天才作家、大島弓子さんの初々しい、大島果汁が生のまま迸ったような最初の歌の数々。もちろん、後の大島弓子を知っているから読める本でもあります。これを最初に世に出した編集者に感謝です。簡単な決断ではなかったと思います。もしかしたら、1970年代って、実験的にあらゆる種類の漫画をまず刊行するという傾向があったのかもしれない。ハリウッドにもそういう時期があったそうです。
教養主義の時代のフランス(今はそうではない)が背景にあるから、ここまで非社会的な生き方、許されるけれど(男性社会に入るのに家柄とか個人的教養が必要、言い換えればそれがあれば、別に自分で事業をやって成功した、とかでなくてもいい)、21世紀のグローバル社会でこのような女の人はどこで生きるのだろう、何を生きる糧とするのだろう。政治あるいは芸能界以外か。その辺まで考えさせる。ちなみに、Claudineという名前はフランス人はほとんどつけません。
妹と一緒に読んでいました。昭和の時代、女も上を目指せば必ず社会は応えてくれる、と信じている世代がまだ現役だった。外国では女性の権利がどんどんと獲得されて、21世紀に入れば欧米で専業主婦は恥ずかしいことになってしまっていましたが、日本では今でも立派な女性の進路。保守的ロマンスの全てがここにあります。
そんな詩作品の数々。東京に来たとき、大島弓子先生が描く吉祥寺や井の頭公園の近くに住みたくて、杉並の物件を探しましたが、私には先生の目はなかったものと見えます。同じ景色は見えなかった。
設定により、一部のジャンルや作品が非表示になっています
二月の勝者