5.0
美醜の果て
主人公は交通事故で顔に怪我を負い、それを治そうと無茶な整形に手を染めて妖怪のような外見になり、夫に捨てられるのだが、夫の新しい職場に次々と現れては、彼の新生活を破綻させる。
怖すぎ。
ただまあ、このへんの描き方は完全にギャグで、主人公の女は、夫の職場に置かれた新装開店祝いの花の中から現れたり、夫が新たに恋に落ちた女を夫の好みでないように整形させたり、発想力とバイタリティーが半端ではなく、私はゲラゲラ笑いながら楽しく読んだ。
そして、変わり果てた妻を見る度に吐く夫。
どんだけ胃腸が弱いんだお前は。
だいたい、いくら整形手術に失敗したからといって、そうはならないだろ。
骨格変わってるもん。
そんな中で、この漫画の着地点は、どこになるのかな、と思いながら読み続けた。
私は、生まれも育ちも外見も、全て「才能」の一種だと思っている。
突出した頭脳や運動神経の持ち主がもてはやされるのだから、美しい外見の人がもてはやされるのも、当たり前だと思う。
それを「容姿差別」だとか何とか騒ぐ風潮というのは、本当に下らないと思うし、「見た目で人を判断するのはよくない」みたいな論調はクソ喰らえと思っている。
どうせお前らジャイ子よりスカーレット・ヨハンソンを選ぶくせに。
スカーレット・ヨハンソンの内面知ってんのかよ。
私は知らない。
まあ、それはいい。
それはいいのだが、美醜のせめぎ合いの果てに本作が行き着いたのは、「外見より中身よね」とか、「やっぱり見た目よね」とか、そういう次元ではなかった。
これは、見た目も中身もひっくるめて、人間の醜さを許すというか、醜さを愛する、という漫画ではないかと思った。
もっと言えば、愛するっていうのは、その人の醜さを含めて受け入れるってことなんじゃないかしら、という漫画ではないかと思った。
「美しさは皮一枚、醜さは骨の髄まで」という言葉がある。
この漫画は、その「皮一枚」に縛られて生きる愚かな私たちの、愛の物語なのだと思う。
あれ?
祝いの花から妖怪が現れるコメディ路線に流れたのに、いつの間にそんな、崇高さすら漂う愛の物語に辿り着いたのだろう。
何だが狐につままれたような気分だが、こういうのを、漫画の力業と言うのだと思う。
星5つはあげすぎな気もしたが、半ば強引に感動させられてしまったので、これはもう、私の負けである。
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4
愚者の皮