5.0
父にも最後、匂いで幸せだった思い出を彷彿とさせてあげながら見送りたかったなぁ。
こんな幸せな逝き方もあるんですね…。死とは、孤独で寂しいものだけしか存在しないのかと思い込んでいました。
温かい気持ちになりました。
ちょっと硬めの塩味の袋麺が今とても食べたくなりました。
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父にも最後、匂いで幸せだった思い出を彷彿とさせてあげながら見送りたかったなぁ。
こんな幸せな逝き方もあるんですね…。死とは、孤独で寂しいものだけしか存在しないのかと思い込んでいました。
温かい気持ちになりました。
ちょっと硬めの塩味の袋麺が今とても食べたくなりました。
うわ…。
首から下が動かない難病なんですよね…。寝たきりの人にだって三大欲求はある。
でもこれはヘルパーさんが担うべき仕事ではない。
なので、まだ性欲があって、でも老化か病気で両手を使えない人には、国が補助してデリヘルか何かを使えるようにしたらいいのに。
障害者や重病人や年寄は性欲とは無縁って臭いものに蓋をしてるかもだけど、そういう人達にも人権を。
私の祖母も、ヘルパーは一切拒んでました。祖母の場合は週に2回入れられるのに、ダメ。
他人が家の中に勝手に入ってくるのがダメな人で、母が入ってくるのもダメでした。
だからって寝たきりになった時に私を呼ぶ。
無理だよ…二十歳そこそこの女の子が別居してる祖母の家に毎日通ってオムツ取替えや、オマルの中の糞尿取替え、果ては三食の食事の買い出しや調理なんて…
祖母は、自力でトイレまで尿意が持たなくなるようになってから程なくして亡くなりましたが、
あまりに急な死だったので祖母の枕元にずっと張り付いて来る日も来る日も後悔の涙に明け暮れていたら、祖母の団地に住んでる祖母のお友達?のお婆さんが、私を強く責めました。「あんたを可愛がっていたんだからあんたがお祖母ちゃんと一緒に住んでやればよかったんだよ!!」って。
祖母の死から34年。未だに立ち直れてません。
私は当時思ったが、祖母の世代は家族の世話は人任せにせずに全て家族でまかなうのが常識だったのかと思うが、私は祖母が逝去してこう思った。
離れて暮らす祖母の家に、仕事も持ちながら遊びに行くだけでもほんとに根気がいることだから、
介助などの生活に必要な世話は他人(スキルのあるプロ)がし、
家族は顔を見せてあげる、共に過ごす時間を作ってあげる、楽しく時間を分かち合う、その方がいいと強く思った。
知らない人からの笑顔より、
自分の会いたい人(私なら息子や娘、友達やいとことか)からの笑顔の方が何にも代え難いから。
けれど、笑顔も見せて、重労働である辛い世話もして…では、だんだん心に余裕がなくなり、笑顔はキツイ顔になる。
だから家族でなくてもできる事は料金をペイして外部委託。
その時、祖母の死を悔やんでそう強く感じた。
用事もしなくてはならない…では、だんだん避けたくなってしまうのよどうしても。大好きなお祖母ちゃんだったのに。
お祖母ちゃんも病に伏せってるから心がだんだんすさんで優しい私の知ってるお祖母ちゃんじゃなくなっていった…。
うわ…。別居していた姑も私の時間を平気で食べちゃう人でした。
頼まれた物を買ってくると、また別の物を言いつけて買いに行かされます。真夏の酷暑にはこちらのが死ぬかと思いました。
こちらにも生活があり、買い物・洗濯・子供が帰宅するまでに夕食を仕上げておかなければならない等のto doは絶対に度外視ですよね。ただただ自分しかこの世界に存在してないかのように私をこき使った。どうしても断れなくて病みました。
思い出しちゃった。
40年前に2ヶ月ほど入院した時、まだ当時は完全看護が普通じゃなかったから、介助が必要な後期高齢者が入院した際に家人が泊りがけで付き添えない場合は「付き添い看護婦」を雇わなければならないルールになっていた。
その病院は、そのような家人の介助を要する後期高齢者を6人部屋の大部屋に2名割り振っていて、各病室にその付き添い看護婦とやらの住み込み家政婦も2名住んでいる。
その看護婦という名称は名ばかりで、実は病院が契約している家政婦紹介所のようなところから家人が雇う制度なのだ。
下の世話から体拭き、食事の介助やシーツ取替えや、見舞客が持参した果物の皮を剥くことまで、病室に泊まり込みで全ての世話をする制度なのである。
たいていは60歳〜80歳くらいのお年寄りで、この回にも出てきたが、身寄りのない、どこにも働き口がない、住むところもない方たちが最終的に行き着く仕事だそうなので、そのキツイ仕事を辞めたら後がないからか非常に心が荒んでしまっている。
その2名それぞれが受け持ってる患者さんの事も言葉でイジメているし、
その病室に後から入ってくる10代や20代そこそこの若い患者さんの事も一挙手一投足に全否定して、モラハラをしてストレス解消して生きている。
まぁ私は当時18歳で、2ヶ月間の間にすっかりそのイジメが堪えて心が病んでしまって、職場復帰してから理由を聞いてくれたよく飲みに連れてってくれた上司達が、イジメてしまう心の仕組みを教えてくれて、ようやっと自分に何か問題があって毎日強めな口調で罵られていたのではないのか…とわかり、少しずつ心の骨折が回復していきました。
だからあつこさんはそんな空間からさっさと踵を返して大正解。
私は同じ部屋に入院していたので受け続けなくてはならなかったけど。
その期間に「ああ、私側に問題があるのではなく、あちらに問題が大アリなのだ」と知ることができたら、転院という形で逃げ出す事ができていたかもしれないですね。あ、でもなかなか退院させてくれない病院で、全体的に何かおかしかった病院なので、転院もなんだかんだと理由をつけてさせてくれなかったかもですけど…。
今回の回を読んだら、なんだかその昔の付き添い看護婦という名のお婆さんヘルパー達を思い出しました。
ほんっとに意地悪で、世の中にいる意地悪姑のような行動を取る人達でした。
う。今回の40話、最後にいい話。
涙が出た。
そうだよ、自分の大切な存在がそうだった時と、他人の大切な存在がそうだった時では答えが違うってダブルスタンダードっていうんだよ。
この回、見てて子供らの他人事に捉えてない部分に感動の涙、大人達のダブスタっぷりに吐き気。
だから私、私生活でもダブスタ人間が吐き気するほど猛烈に嫌悪感だったのか。今わかった。
読み進めてきて、とてもプラスストロークを心にもらえるストーリーでした今回のは。よかった。
この漫画奥深い。
22話、当話、夢中で続けてみてしまったので前話にはコメントしませんでしたが、暴徒化…。
実際に多いにあり得るので怖いなとゾッとしました。
必ずいる。こういう人達。
こういう人達のが怖い。
もう善事・悪事が逆さまになっちゃってる。本末転倒。
自分の事しか考えなく脳みそがなっちゃってる。それを叶える為には平気で人まであやめる。
そういう人達の狂気が、そんな世の中になった時、1番わたしは恐怖。
逆らえば平気で排除される。こわい。
私は、物に限らずなんですが、重要度や緊急度など、優先順序に順番をつける能力が欠如してる者です。
明らかなゴミはそれはゴミなのでゴミ箱に破棄…と何も迷わず即断できますが、ゴミ以外はどれも(自分にとって)同じくらい大切な価値な物に見えてしまう障害です。
それに加えて、これは後天的な心の傷ですが、自分が家庭の中で、“役立たずだから親にとって要らない子、無価値だから切り捨てても当然な生き物”として扱われ続けたので、“自分が一度は欲しい必要だと思って所有したのに要らなくなったから捨てる”の行為が出来ない体になりました。
物に順番をつけようとしたり、要る要らないを決めようとすると、生育過程で味わい続けたあらゆる辛さが体中を襲ってきて涙が止まらなくて判断まで至りません。
やっと成育家庭から逃げられ、一人暮らしを始めたばかりの時には自分にそんな虐待後遺症があるとは全く知らず、気がつけば2DKの家の中が物で溢れかえってました。
でもゴミや埃や汚れをremoveする事には心が全く痛まないので、それは難なくできるのです。
なのでうちの状態を他者にゴミ屋敷と言われると実際より悪く言われた気持ちになり気を悪くしてきましたが、でも人の家よりは物は確かにいっぱいあるのでこれまで気を悪くしても反論できなかったけど、物屋敷という形容だったら納得できました。
取捨選択は苦手。でもベタベタしたり異臭がするのとか虫がわくとかゴキブリが出るとかバイ菌が増殖するとか空気が汚いとかは大の苦手なので、大掃除級ではなく行き届く範囲ですが掃除はしています。拭き掃除もです。
皆さん不思議がっていたので、私のケースなんてほんの一例でしょうが書き記しておきます。
なので皆さん同様、あのOLの方のおトイレや、あと画中の小便爆弾は全く想像も浮かばないので、皆さん同様に経緯や背景を知ってみたい所存です。
こわっ!
偶然にも全くおんなじ死に方だなんて…。思わず手で口を覆いました。ゾッとしすぎて。
何かの小説で、年老いて弱った親がいくら呼んでも1ミリも子側がそれに応じない時、たいていの場合それは親が悪い場合が多いんだよ…的なセリフがあって、いたく納得した事があった。
たった今の、年取った、死にそうで弱々しい、性格も我が取れてまぁるくなってる好々爺を見てると、圧倒的に弱者だから我々は気の毒な感情がわく。
この先いくばくもないこんな高齢の親が最後に逢いたがってるのに、なんて薄情な子供なんだ!と、子側に非難したい気持ちが集中する。
でも違うんだよ。
その昔、経済的にも精神的にも腕力的にもパワーバランス的にも圧倒的強者だった親が、
圧倒的弱者だった時の子供の心を壊すほどひどい目に合わせ続けて、痛みの1つも感じる素振りを見せない鬼の所業をしてきたから、現在の結果があるの。
よく、産んでやった事だけでも感謝しろとか、食わしてやってるのにそれだけで有り難い事がわからないのかね!恩知らず!とかって発想してしまう大人はごまんといる。
産んでもらっても、捨てずに手元にずっと置いといて食わしてもらったとしても、一緒に住みながら子供を捨てる事はいくらでもできるんだよ。
毎日毎日いじめ抜いて、自身のストレス解消のサンドバッグとして家にキープして、食べ物はくれるかもしれないけれど、心を毎日毎日粉々に破壊してくる。大人の強いパワーで、思いっきり。
学校で必要な物も買い与えず子供の社会で底辺を味わわせるいじめのやり方もあるよね。
バカな教師とかは、児童自身をだらしないと皆の前で叱りつけて晒し者にする。親がマルトリートメントしてるって思いに至らない無能か、親にすら大切にされない子でやんのプププ!無価値!だから自分も学校でサンドバッグ扱いしてもいいのねとする担任もいる。
この漫画の偶然のように、人を追いやった苦しさと同じ目に遭うものだとしたら、みんなみんな、想像力のかけらも発動してくれなかったバカ大人たち、私の受けた気持ちとおんなじ地獄を味わってからあの世にいってください。
倍あじわえとは言いません。全く同量で構いません。そして神様、その時に、そいつら全員に少しの想像力を与えてそいつらが私にやり続けた場面を想起させてください。
この漫画は、色々昔を思い出す深いストーリーでした
やっぱり子供は自分で育てなければダメってことですよね…。
私も、実母よりも、生後2ヶ月〜5歳まで育ててくれた人に愛着があった子供でした。
保育園が決まったからと、無理矢理育ての母の家から実家に引き取られましたが、養母が恋しくて毎週末会いに行ってました。
この作品の中の行方不明になった女性は、母と子が愛着形成を作る大事な時期を姑に計画的に奪われてしまったのです。もうツバサくんは諦めましょう。あの家で洗脳されれば、おそらく夫のミニバージョンが育つだけです。末恐ろしい。
一方、実の子ではなくても、子供を監護する側の保護者が、その身がなににもおびやかされない安心安全な呼吸の楽にできる居場所で人生を送れた場合、子へのトリートメントをしっかりできるから、継子とのラポール形成はできうると思う。
血の繋がりだけが全てじゃないさ。お幸せに。
ヘルパーあつこと愉快な上流老人
026話
第14話(2)