4.0
切れた糸
おぞましい世界観は非常に丁寧に作り込まれていた。
不穏でおどろおどろしい土着的な日本の「村」の舞台を、ダークファンタジーのフォーマットに綺麗に落とし込んでいると感じた。
それだけに、終盤の失速と唐突な閉幕はひどく残念だ。
伏線も回収されぬまま、いくつもの謎を残したまま。
作品は途端に力を失い、地面に崩れ落ちてしまった。
まるで、糸の切れた操り人形のように。
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レビュアーランキング 1位 ?
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おぞましい世界観は非常に丁寧に作り込まれていた。
不穏でおどろおどろしい土着的な日本の「村」の舞台を、ダークファンタジーのフォーマットに綺麗に落とし込んでいると感じた。
それだけに、終盤の失速と唐突な閉幕はひどく残念だ。
伏線も回収されぬまま、いくつもの謎を残したまま。
作品は途端に力を失い、地面に崩れ落ちてしまった。
まるで、糸の切れた操り人形のように。
ループもの、というよりは、よくある不倫漫画にループの設定を無理に持ち込んだ、という印象が強かった。
穿った見方をすれば、「これじゃありきたりだから、ループものでいってみますか?」と編集者から提案でもあったんじゃないか、と思うような作品である。
そんなとってつけたようなループ設定だから、当然、粗も多く、オーソドックスな「死ぬとループする」という設定に加えて、「死を回避できてもループする」という形なのだが、これがさっぱり機能していない。
死んでもループ、寝て起きてもループ。
何か、緊張感がない。
何普通に寝てんだよ。
他作品の推薦でアレだが、私が読んだ最高のループものは「サマータイムレンダ」である。
ループものの傑作をお探しの方は、是非。
学校にはびこる様々な問題を、一見普通の教頭にしか見えない主人公が、ギリギリの(というか完全にアウトの)手段で解決していくストーリー。
基本的にはシリアスな路線だが、教頭のキャラのギャップが強烈に過ぎ、見方によってはギャグ、という結構きわどいところを攻めていて、なかなか面白い。
だいたい、「地獄の教頭」って。
「地獄の門」とか「地獄の黙示録」とかならあれだけど、「地獄の教頭」って。
それはもう、「地獄先生ぬ~べ~」のノリに近いだろう。
一説によると、学校の教師が一番やりたくないポジションが「教頭」らしい。
それくらい、微妙で、わりに合わない役職なのだろう。
そんなポジションを敢えて主役にもってきたところにも、本作の面白味があると思う。
独特で、異色で、それでいて本格的、という見事なホラーだと思った。
表題作はパリッと筋の通ったサスペンスホラー、「ゴンベさん」はどこか温かみのあるホラー。
しかし、私は、何といっても「47C6」が怖かった。
核の部分で、わけがわからなかったからだ。
「47C6」は、物語になっているようで、なっていない。
主人公はある種の「納得」を手にするが、読み手にその納得は届かない。
ホラーって普通は逆だろう、と思う。
主人公はわけのわからないものに翻弄され、恐怖する。
だが、読者である我々は、ホラーを俯瞰の視点で見て、ある部分、納得する。
主人公にはわからないが、読者にはわかる。
普通は、だ。
しかし、「47C6」は、全く逆だ。
主人公だけが、何かを悟り、そこには達観すら見てとれる。
読者だけが、わからない。
だからもう、私はただ、恐怖するしかなかった。
その、作品から拒絶されたかのような読後感は、絶妙に嫌な引っかかりを残し、そして、不思議と魅力的だった。
わけがわからないということは、本当に恐ろしい。
さて、個人的なことで恐縮だが、本日、初めてレビュワーランキングで1位になった。
とても嬉しかったので、このレビューは、その記念を兼ねる。
この漫画のレビューは誰も読んでいないかもしれないが、票を入れてくれた方々に感謝する。
別に、何を成し遂げたわけでもないけれど、今日もそこに素晴らしい漫画があって、嗚呼、何ていい日だろう。
芥川、漱石、鴎外、太宰など(トルストイやカフカといった海外の作品もある)の著名な文学作品を、ごく短い漫画にまとめた形式の作品。
もちろん、長編小説(あるいは短編でも)を10ページ程度の漫画に収めることにそもそも無理があるので、一種のパロディとして読むしかないのだが、その目のつけどころというか、漫画としての新しさには感心した。
これはもう、ひとつの発明だと思う。
読んだことのある作品については、「確かにこんな話だったな」と懐かしく思い出したり、「そうまとめてきたか」とちょっとした驚きがあったり。
また、未読の作品については、何となくわかった気になる(本当はわかるわけないんだけど)という、妙な楽しさがあった。
そして、何が凄いって、絵柄である。
要するに水木しげるの高レベルな模写なのだが、登場人物だけではなく、背景や描き文字(ジョジョでいうと「ゴゴゴゴ…」みたいなアレ)まで寄せてくる徹底ぶりには度肝を抜かれた。
私は水木しげるの大ファンなので、もう永遠に読めなくなってしまった彼の新作を読んでいるようで、何やら得をした気分になった次第である。
クラシックな文学作品の要約されたパロディを、よりによって水木しげるの絵柄で読むというのは、一瞬、自分の居場所がわからなくなるような、ほとんど完璧なカオス体験であり、私は大満足であった。
昔の恋人を引きずるのも、やたら妄想が暴走するのも、男性の性分、という勝手なイメージがあったので、まず設定が新鮮だった。
ああ、「臨死!!江古田ちゃん」の人か、と納得。
この作者は「明るい自虐」みたいなものの描き方がとても上手で、客観的にはすごく惨めな状況を、ちゃんと笑いに変える。
でも、本当は笑えない何かを、心の底には、持っている。
主人公が何気なく漏らした「私はそーゆーのもう終わっちゃってるんで」には、涙が出そうになった。
私にも、全く同じことを思いながら生きていた頃があった。
仕事は順調で、毎日がそれなりに楽しくて、周りは「まだ若いじゃん」と笑うけれど、何年も忘れられない恋人がいる、それだけの理由で、「いや、終わっちゃってるんで」と思いながら生きていた、そんな時代が。
すごく笑えるんだけど、ちょっと切ない。
この漫画の「笑い」は、どこかで何かを諦めながら、それでも生きてゆくための、必死のあがきみたいに感じるから。
それって多分、笑い、というものの、ひとつの本質なんじゃないか、と。
浅野いにおという作者は、若者の漠然とした不安感みたいなものを描くのがとても上手い。
その不安感が、時代を反映したものなのか、若者に普遍的なものなのか、個人の問題なのかは、わからない。
でも、彼らの気持ちは、すごくわかる。
たとえば、ゆるい幸せがだらっと続くこと、それで満ち足りている気がするんだけど、これでいいんだ、って気もするんだけど、心のどこかでは「本当にこれでいいのかな」って迷いが、「自由」とかいう不確かな魔物の囁きが消えなくて、何かになれる気もして、何にもなれない気もして、何にもなりたくない気もして、だいたい、このゆるい幸せだって、いつ消えるともしれなくて、いつか不意にソラニンみたいな悪い芽が出て、さよならが来るかもしれないじゃん。
そういう不安感は、彼らのものでもあり、私のものでもあった。
かつては、という話だ。
私はいつの頃からか、自然にその場所を抜け出し、ゆるい幸せを守るために生きることを迷わなくなった。
けれど、かつての思いの名残りみたいなものは、今でも私の中で、ライブハウスの残響のように微かに鳴っていて、それをこの漫画にどうしようもないくらいに揺さぶられた。
読んだときも、ちょっと泣いた。
が、翌日、仕事に向かう車の中で、アジアンカンフージェネレーションの「ソラニン」を聴きながらこの漫画のことを思い出して、涙が止まらなかった。
そんな漫画って、ちょっと凄いな、と思った。
本来はタイプの顔じゃないのに、付き合ってしばらくしたら、可愛くて仕方がなくなる、なんてこと、ありますよね。
何が言いたいのかというと、福本氏の「絵」
が、その現象と似ている、ということである。
でもそれは、漫画の世界では、かなりのハンデ戦だ。
まことに失礼なことを言うが、少なくとも絵を見て「読みたい」と感じさせる漫画では全くないと思う。
漫画は、雑に言えば、絵と文字だ。
その絵に、魅力がない。
正確には、この絵に魅力を感じるのは、読んで、この世界に引き込まれた後の話であり、入り口での魅力ではない。
そういう「飛車角落ち」のような勝負を漫画という賭場で仕掛け、それに勝利した福本氏は、本当に凄いと思う。
「そんなギャンブル、ありかよ」と作品の中で何度も感嘆したが、一番のギャンブルは、福本氏が「漫画」を選択したという、その事実ではなかろうか。
あまりマニアぶるのもどうかと思うが、私は物心ついた頃からの生粋の妖怪オタクなので、こういう種類の漫画にはいささか厳しくなるのは許してもらいたい。
昭和初期という時代や「奇獣商」という設定には独特の情緒があって、作品の雰囲気は悪くなかった。
テンポよくサクサク読める点も、個人的には好みだった。
しかし、何かが決定的に足りない、という不満は、決して晴れることがなかった。
それは、ひとことで言えば、怪異という存在に対する偏執、ということになるかと思う。
もう少しポジティブな(あるいは酷な)言い方をすれば、愛情、と言ってもいい。
もちろん、妖怪変化を描く人間が、妖怪を好きで好きでたまらない、という人間である必要は、本当は、ない。
別に、大して好きではない妖怪を、作品の「題材」として器用に用いるのも、アリだと思う。
だが私は、水木しげるチルドレンだ。
妖怪という訳のわからないものに対して、あれほど過剰で激烈で、それでいて適当で、ただ、どうしようもなく愛してしまう、という向き合い方をした人間によって、私は妖怪を知ったのだ。
その魂は、水木しげるが鳥山石燕から受け継いだものだし、例えば京極夏彦に受け継がれたものなのだと思う。
この世界の片隅で密かに妖怪を愛する者として、本作には、ある種の不満と寂しさみたいなものを感じないわけにはいかなかった。
もちろん、作者が妖怪をどう思っているのか、本当のところはわからない。
だが、その点が問題なのだ。
わからない、伝わらない、ということが。
本当に妖怪が好きなら、作品の中で、もっとその愛を叫べよ。
ハンサムな夫と結婚し、「顔面格差婚」などと陰口を叩かれている主人公。
正直、登場人物たちに苛立ちばかりが募る話で、まるで入り込めなかった。
以下、何にムカついたのか、苛立ちをぶつけてレビューは終わる。
【主人公】
・あなたの外見は決定的には醜くないが、その卑屈さは致命的に醜い。何とかしろ。
・他人の評価でいちいちフラフラするな。愛を信じるなら、もっと毅然としていろ。
・夫に対してやたら引け目を感じるな。何が愛かは難しいが、愛し合うには、平等であるべきだろう。
・だいたい、そんなに外見が気になるなら、少しは努力をしろ。グダグダ悩む前に少なくともダイエットしろ。
【主人公の夫】
・お前もお前で昔の恋人にヘラヘラついていくな。潜在的に妻に優越感があるのか、「俺は顔で女を選ばないぜ」というのがアイデンティティーなのか、はたまた単なるブス専なのか知らないが、何にしてもお前は駄目だ。
いや、別にブス専は駄目じゃなかった、間違えた。
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