1.0
ドラマ版で主演された松本まりかさんが、インタビューで純の印象を聞かれて「惨酷な女性だと思いました」と答えておられましたが30話辺りからその残酷さが表立っていたように思います。そして最終話まで読んで、この物語はその残酷さを全肯定する為の物語なのだと感じました。純の残酷さは「他者感情への想像力の欠如」から来ているように思います。自分の言動が相手にどんな影響を与えるのか、どんな感情にさせるのかにとても鈍感。だから何でも自己完結で問題を曖昧にしてしまう。アポなしで取引先に突撃してしまったり、武頼の体調不良に気付かない辺りにもその鈍感さが表れています。細やかな配慮や気遣いが必要な渉外の仕事よりガンガン営業の新しい仕事の方が向いているというのも頷けます。
一番その残酷な鈍感さが顕著なのは何といっても39話の真山くんとのキスシーン。
性的に興奮して心拍や血圧が上がっている状態で唐突な拒絶、そして「キスしたかっただけ」のショッキングな言葉。真山君の脳には非常に強いストレスがかかったことでしょう。衝動的にベランダから飛び降りてもおかしくない状況です。少なくとも女性や恋愛へのトラウマは植え付けることになるでしょう。しかも借りたばかりの部屋。フラッシュバックが起こるからと借り直しの必要だってあったかもしれません。出社だって難しくなるかもしれない。でも、純は真山君が今後被るかもしれない困難より自分の欲を優先できてしまう。
このシーンは性欲の捌け口にするという意味で男性への性搾取に感じて、個人的にとても不快な気持ちになってしまいました。以前、女性から性被害を受けた少年や男性の手記を読んで、そこに男性の性被害は心の傷が理解されづらかったり被害状況を矮小化されてしまうがちという、被害男性たちの二重に苦しい胸の内が綴られていて、それを少し思い出してしまいました。性被害とは違いますが、結果的に相手の恋心を利用して自分の欲を満たす搾取の行為。それが誰からも非難されることなく、むしろ女性側の心に寄り添うかような描写。真山君は性搾取をされても純を想い、最後には「ありがとうございます」とさえ言う献身さを見せ純の残酷さを肯定してくれます。武頼も、純が経済面、他者貢献感の面であれほど苦しんだ主夫(婦)という立場にすんなりなってくれるという献身。純の鈍感な魔性に男性達が虜になるお話のように、最後は思いました。
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それでも愛を誓いますか?
126話
最終話(4)