愛の深淵に覗く真実。鳥飼茜初短編集『ユー ガッタ ラブソング』
更新日:2016/09/07 10:00
「心をえぐられる」「グサグサ刺されているみたい」と読者に評される、大人女子に人気の女性コミック作家・鳥飼茜。
「先生の白い嘘」 (鳥飼茜/講談社) で男女の性の不平等を、
「おんなのいえ」 (鳥飼茜/講談社) で女の欲望を、
「地獄のガールフレンド」(鳥飼茜/祥伝社)で女の解放を、
漫画というスタイルで顕在化させた鳥飼先生。
デビュー11年目にして初めて刊行された短編集「ユー ガッタ ラブソング 鳥飼茜短編集」 (鳥飼茜/講談社) に収められた表題を含む4本の短編コミックは、鳥飼茜が一貫して描いてきた「女の性(さが)からの解放と挫折」が凝縮された、ストレートに感情に訴えかける詩的な物語です。
鳥飼茜作品には、爽快なカタルシスもなければ、誰もがよかったと喜ぶハッピーエンドもありません。
キャラクターたちが、己の内にある欲望と、己に貼られたレッテル双方とひたすら格闘し、自分が納得できる答えを求めて足搔く様を、少し離れた場所から観察するように、小気味よく描き出す作風なのです。
だから、さらっとストーリーをなぞって読むこともできるし、自分が共感するポイントを手掛かりに、作品に込められた深い意味に気付くこともできます。
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という、ドイツの哲学者ニーチェの言葉そのものの読後感を与えてくれる鳥飼茜作品。
その楽しみ方といっしょに、『いきとうと』『家出娘』『白鳥公園』『ユー ガッタ ラブソング』4つの物語を紹介しましょう。
どこにでもいそうな主人公だから共感できる
4つの短編に登場する主人公を含めたキャラクターたちは、みんなどこにでもいそうな人ばかりです。
読み進めると「あれ?」と違和感を感じるのが、キャラクターの名前が重要視されていないことです。鳥飼茜作品において重要なのは、名前よりも役割や属性。キャラクターは、漫画で与えられた属性を持つ人の代弁者でしかないからです。
だから、読み手は同じ属性のキャラクターの心情に共感しやすくなります。
反面、自分とは違う属性のキャラクターに出会うと、言動を理解できずに恐怖を感じたり、埋めがたい溝を感じたりするのです。
『いきとうと』の主人公は専業主婦。出世株で稼ぎも多い優秀な夫と、結婚という安心の砦に住む、人よりちょっと恵まれた環境にいます。しかし、いつまでたっても夫の成功や達成を自分のことのように喜ぶことができずに、夫とは感情のすれ違いがあります。
感情的なすれ違いがスキンシップの拒否に繋がり、スキンシップの拒否が夫婦の溝を深くしていく。機嫌を損ねた夫と仲直りしようと甘えてみせたあかりを、夫がそっけなく拒否するところに、夫婦のすれ違いが見て取れます。
そんな中で唯一、主人公にストレートな愛情表現をしてくれるのが息子のりゅうのすけ。主人公が「専業主婦」の他に持つもう一つの属性は「お母さん」なのです。
しかしあかりは、お母さんとしての自分の生活を100%満喫しているわけではありません。親(といっても母親だけ)の集まりに疑問を持ちながらも、ママ友の前では不満に蓋をし、「りゅうのすけ君のママ」という世間から貼られたレッテル通りの言動に終始しています。
「りゅうのすけ君のママ」にならざるをえない状況と、気に入らないできごとがあると専業主婦であることを責める夫の言葉を浴び続けるうちに、結婚に、家庭に、日常に飲み込まれ、じょじょに狭いマンションの中で溺れるような感覚に陥っていくあかり。
ストーリー前半のあかりの無表情な顔は、専業主婦が抱える孤独と閉塞感の表れなのです。
『家出娘』の主人公は女子高生・三上。目下の悩みは、毎日ちょっとずつ、なんとなく家に帰りたくないと思っていることですが、「晩ごはんに好物のシチューとエビのサラダを作ったから、早く帰っておいで」という母親のメールに簡単になびくぐらい、平凡な女の子です。
そんな三上も、彼氏にプレゼントしてもらったものを見せびらかしたり、彼の優しさを自慢げに話したりする友達の志穂に対して、消化できない複雑な感情を抱いています。
『白鳥公園』の主人公“君”は、会社の上司である“あなた”と不倫した末に身籠もった元OL。奥さんに知られて殺されかけたため遠くに引っ越しをしたが、4ヶ月ぶりに不倫相手と再会するという、ありふれた境遇の女です。
しかし、この再会が祝福されるものではないことが、愛の証が詰まった女性の腹部から目を逸らす男性の態度ではっきりと示されています。だからこそ主人公は、結果的に自分ではなく“奥さま”を取った男と、再会する必要があったのです。
『You’ve gotta ラブソング』は、主人公が男性であるかのように描かれていますが、テーマの根幹を握っているのは女性です。ですから、ここでは女性視点で紹介します。
男は、数年前に不倫関係にあった女に 駆け落ちしようと言われたのに、未だにその約束を反故にしている優柔不断な男です。一方、駆け落ちしようと誘った方は、数年経った後も、約束した日時に約束の場所で男を待ち続ける愚かな女です。
なぜ数年経っても待ち続けてしまうのか。
それは、誘いを断った男の言い訳が、「あなたを好きだけど、誰かを傷つけていい理由はない」という、きれいごとだったからかもしれません。
だってそんな言い訳されたら、諦めきれないでしょう?
「そんなつもりはない」ときっぱり断ってくれたら、諦めて現実に戻れるのに。
鳥飼茜はあえて主人公を男にすることで、きれいな言い訳で希望だけ持たせて何もしない、ズルイ男の性をも断罪しているのです。
これらのキャラクターたちが感じている不安や恐怖は、あなたがいつも心にモヤモヤと抱えている「不満」や「不安」と同じではありませんか?
漫画を読んでいるのに、まるで隠していた本性をズバリと占い師に指摘された居心地の悪さを感じる。でも自分の中の感情に思い当たるフシがあるからこそ、目が離せなくなるというのが、鳥飼茜作品の吸引力なのです。
主人公の苛立ちの対象は“同属”、ひいては自分
同属嫌悪とは、自分に似ている人、自分と同じ立場や境遇にある人に対して抱く、嫌いという強い気持ちです。
自分自身が嫌だと思っている言葉や行動を相手に見せられたり、嫌いだと思っている人の中に自分と同じ部分を見つけてしまったりした時に生じる感情で、誰もが大なり小なり経験したことがあるものです。
嫌悪の対象の中に自分を見た主人公たちは、自分はその人と違うと証明したいという強い欲求に抗えずに、行動を起こしていきます。
『いきとうと』のあかりは、ママ友が男性と歩いている姿を見つけて声をかけますが、知らんぷりをされてしまいます。しかし後日ママ友から、一緒にいたのが女性専用クラブで調達した男であることを明かされます。
さらに、自分に足りていないのは“男”だと指摘され、激しい嫌悪感を抱くあかり。
しかし、主婦とは思えないキレイで華やかな雰囲気を纏っているママ友を、視線の端に捉えていたことも事実。あかりは、自分が心の中に抱えている不満が、ざわざわとするのを感じます。
『家出娘』の主人公・三上は、偶然、友達・志穂の彼氏・忍川とバス停で出会います。
三上は忍川と話すうちに、同じ女子高生なのに、自分にないものを持っている志穂への憧れと嫉妬がどんどん膨らんでいくのを意識します。
三上の感情自体は、老若男女・万国共通のごく普通の感情だからこそ、読み手に三上の行く先に闇が待っているのではないかと予想させ、不安に陥らせる。
これも鳥飼茜のマジックのひとつです。
『白鳥公園』の主人公“君”が嫌悪感を抱く相手は、“あなた”の奥さまという不倫の典型的なパターンです。しかしもうひとり、奥さまよりももっと強く嫌悪感を抱いている相手が、目の前にいる男です。
そこで、自分より奥さまを選んだ男の気持ちを確かめるべく、彼に心中を持ちかけますが、男は聞き心地の良い言葉でやんわりと拒否します。
だから女は、目の前の男と決着を着ける覚悟を決めるのです。
駆け落ちの約束を果たさずにいた男を、数年ぶりに電話で呼び出した『You’ve gotta ラブソング』の女。彼女は、何も告げず何も行動で示さない男の優柔不断さに苛立ち、決着をつけるために呼び出したとイメージすることができます。
全員に共通しているのは、相手に抱いた嫌悪と同じくらい強く、相手を羨み、憧れる気持ちを抱いていること。
好きと嫌いは表裏一体なのです。
女性たちの刹那的解放
ストーリーが進むにつれ、じわじわストレスに押し潰されるように、追い詰められていく主人公。そして遂に決定的な出来事がきっかけで、遂にストレスを抑えていた理性の箍が外れるのです!
主人公たちはいったいどんな方法で自己解放したのか、4編それぞれの違いを見つけるのも、おもしろいかもしれません。
ママ友のショッキングな告白を聞いた夜、夫に誘われたあかりは、夫が何を求めているのか察しながらもそっけなく「おやすみ」と拒否。
すると誘いを断られて激昂した夫から、周囲よりも経済的に恵まれているのに、何の不満があるのかと鋭い言葉を浴びます。
夫を拒んだ翌朝、洗面器で育てていたやごのやごすけが死亡。
外敵のいない安全な容れ物の中で、餌にも不自由せず、時間がたっぷりあるのに、死にかけているやごすけの姿に自分を重ね、「生きとうと(生きているか)」と気にしていたあかりは、昨晩夫に浴びせられた言葉をそのまま、やごすけに浴びせます。
まるで自分に言い聞かせるように。
そして自分が本当に生きているのかを確かめるため、思い切った行動を取るのです。
『家出娘』の三上の場合は、忍川との話の最中に突然、解放の瞬間が訪れます。忍川の口から、自分が志穂に勝っていると感じる決定的な言葉が出たときです。その瞬間を逃さず、己を解放した三上は、少女ではなく立派な“女”の顔をしているのです。
『白鳥公園』の主人公“君”は、ひとりでは意味が無いと降参しつつも、男にカッターを向けます。その刃が向けられる先に、注目してください。
『You’ve gotta ラブソング』では、駆け落ちしそびれた男女が、遅まきながらもようやく感動の再会を果たし、変わらぬ愛を確かめ合います。
しかしそれは本当に現実の出来事だったのか、それとも男の妄想だったのか。
すべてをきれいごとにしてしまう夕日のせいで、わからなくなってしまいます。
鳥飼茜の真骨頂・衝撃的なラストシーン
物語は主人公たちが解放されて終わりではありません。
そしてクライマックスシーンよりもむしろ、ラストシーンに大きな衝撃が待ち受けています。
鳥飼茜が描いているのは、愛とか、思いの力では変えることができない世の中の不条理。
そしてその不条理の中に、私達は生きている。
この圧倒的な現実感こそが、鳥飼茜の描く物語の真骨頂。
その醍醐味はぜひ、自分の目と心で感じてみてください。
鳥飼茜作品に登場するキャラクターたちは、誰もが一度は抱いたことがある、心の声を代弁しています。だからこそ、キャラクターたちが発する言葉が、読み手の心に突き刺さるのかもしれません。
ラストシーンを読み終えた時に沸き起こった感情こそが、あなたが覗いていたモノです。
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作者
中村美奈子
マンガはもちろん、アニメ・映画・ゲーム・舞台など、なんでもよく読み、よく見て、よく楽しむ、エンターテインメント系ライター。Webサイト『マンガペディア』や、マンガ公式ファンブック、アニメ誌、映画パンフレットなど紙媒体でも活躍中☆ 最近は、映画のエキストラ出演に夢中。「映ってるかも!?」とドキドキしながら見るうちに、映画本編に入り込んで、自分が映っているかなんてどーでもよくなり、結局2回以上観ているおっちょこちょいです。記事タグ
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