まだ18歳で学生なのに実家に一緒に住まず
きちんと独立して二人で住むのが
やっぱり養子に出されていただけあり
しっかりしてます、立派です
養子に出ると、実家であってよその家なのかな
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まだ18歳で学生なのに実家に一緒に住まず
きちんと独立して二人で住むのが
やっぱり養子に出されていただけあり
しっかりしてます、立派です
養子に出ると、実家であってよその家なのかな
大正10年(1921年)だから
東京市全域は1912年には電気完全普及してとあるので
さぞかしふきの顔は明るくみえただろうなぁ・・
可愛かったですか (*^-^*)
明治大正時代は10W1灯で今のお金で3万~4万っていうから
ながーいコードにして丸電球1個を家の中あちこち移動させてた話しだけど
さすが士族、お風呂にもある、部屋にもあるみたい凄いなぁ
勇吾さん、6歳で初恋なんでしょうか
初恋を実らせて結婚ってすごいです
もっと凄いのは借金2,000園完済した事
一体義父はいくらほど大金持ちなのか
ダイヤモンドクラスの玉の輿ですね
ここで使っている「ねえや」は「姐や」で、子守・女中の事です
ふと、これを読んでたら童謡「赤とんぼ」を思い出しました
作者(三木露風)は5歳で母が離婚、母方の祖父の元で暮らします
母は幼い弟と共に東京へ行き、作者が12歳の時再婚で北海道へ転居
幼稚園から帰宅すると母がいなかった作者の気持ちが
作者15歳の時の短歌にのこされています
「東京に居ます母を呼んでも何の返事もなし
哀れ母は今如何なにしてけむ 思えば哀れなりけり」
赤とんぼの「15でねえやは嫁に行きお里のたよりもたえはてた」
この「姐や」は実はお母さんの事でした
やがて再会した母とも昔の親子関係には戻れませんでした
作者73歳の時母が逝き、一晩添い寝を頼んだ夜
5歳で置き去りにされて以来やっと母と眠る事が出来た
赤とんぼはこんな悲しい思い出が込められた歌なのです
この歌の解説を読んで、ここでの「ねえや」が
本物の「姐や」で良かったなぁ・・としみじみ思い読んでます
大正10年(1921年)東京府東京市 士族橘家
士族というのは、江戸時代の武士階級を明治政府が再編
皇族(最上級)、華族(上級)、士族(中間)の順
北海道 本家養子 橘 勇吾(18歳)
妻 ふき(24歳) の物語です
ふきの抱える父親の借金の大きさを考えてみました
一般労働者の給料は 月給10円~20円 年収120円~240円程
大卒労働者の給料は 月給50円~60円 年収600円~720円程
とあるのでかなりのものです
女中の仕事だけでは一生働いても返せない
とのご主人様達の意見はごもっともと思ってしまいました
アル様、左手どうしました?
大事な場面だったので、えっ!!
と驚いてしまった、すみません <(_ _)>
手紙で思い出しました
先祖の話で言い伝わって聞いた話ですが
我が家にも戦地の同僚の方が戦死通知届けてくれたそうです
色々話を聞かせてくれて家族が悲嘆にくれていたある日
また今度は電報がきた、信じられない知らせです
そうです、半信半疑で迎えに行くと本当にいました、生きてました
話を聞くと、銃撃戦になり深い横穴のトンネルの中にいて
相手の様子を見る為頭を出した、するとそこへ沢山玉が撃ち込まれ
頭スレスレに玉がかすめていった、ふと隣を見ると
今話しをし、すぐ横にいた仲間達が全員倒れていたそうです
それが混乱期で誤報となり戦死通知がきたみたいで
本当にもう駄目だと思ったけど紙一重で助かったと話しはそれきり
それ以外殆ど戦争の話はせずに口を閉じたまま逝きました
生きて帰った事が申し訳なく罪と感じる時代だったのですね
そんな昔話を思い出しました、平和って本当に有難い
おばさまは厳しいけどきちんと教えてくれていい人みたい
それにしても、なにげない一言って心にぐさっと刺さりますね
ビー玉に座布団のように布がひかれてるの見て
大切な品と判断出来ないのかが疑問
幼い頃よくビー玉で遊んでたけど
確かに丸くてなだらかな表面だけど
こんなに飛んで転がらないような気がする
小さいけど固くてそれなりに重いから
はずみで飛ぶかな?
なんか不安もあるなぁ・・・
前回の体で稼いだお金はいらない発言
受止め方では侮辱に感じる
今、両想いでも仲たがいした時
フーっと頭に浮かぶかも
それに、CEOからのプレゼントだけど
おさがりと感じないでくれればと思う
大正學生愛妻家
005話
第三話 朝の台所