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優勝候補のアダムスキ、会場にいるポーランド人のみならずコンテスタントの誰もが通ると思っていたその人の名が呼ばれない。このことがまた伏線となり物語は進む。自分は通ったものの優勝候補の脱落に今後の自分を重ねナーバスになる雨宮修平。一方、遅刻し聞き逃すカイ、そのカイの結果を心配する酒場の人々。ここでもカイがワルシャワで人々の温かさに包まれていることがわかり心なごむ。
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優勝候補のアダムスキ、会場にいるポーランド人のみならずコンテスタントの誰もが通ると思っていたその人の名が呼ばれない。このことがまた伏線となり物語は進む。自分は通ったものの優勝候補の脱落に今後の自分を重ねナーバスになる雨宮修平。一方、遅刻し聞き逃すカイ、そのカイの結果を心配する酒場の人々。ここでもカイがワルシャワで人々の温かさに包まれていることがわかり心なごむ。
発表前にカイを意識する雨宮修平。彼がこのコンクール、ただただひたすらカイを意識していることが周囲の反応とともに細やかに語られ、この後の伏線となる。修平くんの息苦しさが伝わり、読んでいて苦しくなる。ここでもまた、遅刻してくる自然体のカイとの比較がお見事。こちらもほっと救われる。
ホールをあとにする阿字野を追いかけるパン・ウエィ、ファンの歓声に彼に気づき振り向く阿字野。憧れ続けたその人と目が合って恥じらうようにほおを染めるパン・ウエィにほろり。一方のカイは「どうだった?今日のピアノ」と無邪気に阿字野に駆け寄り。コンテスタント両者の対比が見事で、ますます物語の中に入ってしまう…。
前回の最後と同じコマから始まりますが、演奏を終えたカイが会場のどこかで聴いている阿字野を瞬時にとらえて二人が微笑みあうところ、いいな。ピアニスト阿字野に憧れ続けたパン・ウエィが阿字野に気づきとっさに追うところ、そしてみなさん書かれてますが、佐賀先生がカイの演奏に心もってかれちゃうところも。脇役が活きていい味出してる!
カイが最後にこぶしを使ってfff(フォルティッシモ)を表現する。作家さんは、こうした表現方法が実際に存在したことをふまえて描いているのでしょう。音楽面の協力をしている専門家さんの助言からそうしたのかもだけど、それにしてもよく…。カイはじめコンテスタントの演奏を聴くがごとく、読むほうも力はいりますが、作家さんも渾身でお疲れになったと推測します、遅筆だったことが理解できます。ファンタジーあふれる作品だけど、現実的でもあり、本当に魅力的な良作。
阿字野がどうやってカイを育んできたのか、どうやってカイの人間性を大きくしていったのか、その細やかで深い愛にうたれる。私は雨宮修平も好きだが、修平の父が「阿字野はどういうレッスンをカイに?」と表層的な面で悩むのだけれど、いわゆる一般のピアノ教師のしている「ピアノの技術を教え、導くこと」とはまったく次元の違うことを阿字野はカイにほどこしてきた、それは雨宮父の想像の範囲を超えていることがこの話から読者はしっかりとわかる。…もちろん雨宮父も修平を可愛がって育てたのだろうけれど…。阿字野とカイは本当の父子でないからこそ、接する時間が限られていたからこそ、その運命的な結びつきを思わずにいられない。
カイがワルシャワのホールで弾いている「雨だれのプレリュード」が日本の森の端にいるレイちゃんに届くところがすき。レイちゃんが阿字野に向かって「私たち親子を見くびらないで。私たちは離れていても…」と啖呵を切ったあのセリフがここにも生きている。
全話の中でも特に好きな箇所です。カイが「雨だれ」を理解することになった子どものころのエピソード。そこに寄り添っていた母レイちゃん、そして阿字野。胸にせまり、何度よんでも涙が…
誠実に仕事こなして、周囲への気遣いもしっかりできていた千葉さんの昇進が決まってほっとしました。この作家さんのいいところはみんなが「こうであったらいいのに」って思うことをちゃんと叶えてくれるところ。今回の人事もずうっと気になっていたので、千葉さんのためにもみんなのためにも、そして読者(自分含む)のためにもほっとして安堵です。
一の江課長、いいな。こういう有無を言わさず突き進む豪快な上司、好きです。敵に回すと恐ろしいけど…。久我さんがそれをわかってて上手に進言するところ、いいね!
ピアノの森
249話
第146話30/80