5.0
してくれなくてもという表現にモヤモヤ
夫が性欲はあるのに 知り尽くしてしまった妻に欲情出来なくなって、求める妻との関係に真剣に向き合わずはぐらかす度に深く傷付き悩む妻。
夫は妻とは別れるつもりはなく、このままの生活や関係でも家族の形であるはずだという。
一方妻は、夫が好きだし 孫を切望する両親のこともあるが、愛する夫との子供がほしい。体を求められない、拒まれ続ける事は夫婦ではないと言い、夫から愛されていない 心が満たされない気持ちがどんどん自分を追い詰めていく。
自ら女であり妻である私はヒロイン擁護派ではあるけれど、ふと思ったのでレビューを書き直した。
夫もなんだか身勝手に描かれ、この後もしかしたら妻との関係に疲れ、逃げだか癒しだかを求めて他の女の人と浮気をしたりするのかもしれないが、この夫も、妻からは、好きだというならば女として欲情してほしい、体を求めてきて当たり前ではないのか!みたいな部分ばかりを求められていて、妻を思って昔贈ったキーケースが壊れてしまったとき、わざわざオーダーして新しいのをプレゼントした夫に、趣味じゃなかったのに使っていたんだ、新しいのは自分の好みのものを使いたい❗みたいな罵声を浴びせられてて、これも妻を思う愛情表現なのだということに気が付かない妻。
体を求めることだけが愛の表現なのか?
一方で、妻は夫に仕事をしているからと料理に手を抜き、身なりを怠り、細やかな思いやりがそこに有ることに気づかず、整えるときは見返りを求める時だけ、、、的に見えなくはないだろうか?
してくれない という言葉が、なんだか傲慢なように感じる
と、ふと思ったのである。
同じ悩みを持つ会社の男性という相談相手を得て、この男性との関係が恋愛関係に進むのか?
妻に欲情出来なくなった夫が、ふと、同僚がいった何気ない会話から妻が浮気する可能性もなくはないと気付かされて少しあせったのかな?的な夫の、妻に対する気持ちの変化を、表現力のある作家の手腕に大きく期待して、この重く、そして他人に聞けないこのテーマの答えを導き出してほしいと思う。
答なんか無いのだろうけど、
個人的には子育てに無関心な夫、親の介護に向き合わない夫、レスでなくてもいくらでも夫婦の問題はつきないとは思うのですがね。
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