3.0
自分とはかけ離れてて笑
私の実家は1970年代に神奈川の鉄道会社の建設部門が1000棟で売り出した巨大建売住宅地の高台東南の角地で。近隣の住宅よりやや高値だったため敬遠され売れ残っていたのを当時流行の公団団地ハズレまくりの父が収入的に無理してでも即決で購入したもの。
近所の家は皆んなピアノもしくはエレクトーンがあるのが普通で我が家もピアノはあって私は5歳からピアノを習ってた。父は中小企業の工場長だけど、同級生のお父さんたちは一級建築士や中小企業の社長、名の知れた大企業の会社員、パイロット、学校の先生、銀行員とかあきらかに我が家よりお金持ちで。夏休みは友人たちは沖縄やハワイに家族旅行するのに、我が家は真鶴に日帰りとか茨城の父の実家に帰省するくらい。でも父の実家は町長さんで広大な畑と田んぼと牛を500頭飼っている大農家。
とにかく私の実家だけは貧乏だ貧乏だとまわりと比べて思って育ったけれど。
結婚した夫の実家は、夫が子どもの頃からずっと県営団地暮らし。私の実家は貧乏でも持ち家なのに、なんで夫の実家は家も買えなかったのかな⁉とは思っていた。あるとき夫に『君は自分がまぁまぁ金持ちの部類なのをわかってない。あの住宅街に生まれたときから住んでいて、お父さんだって中小企業とはいえ工場長だし、君のまわりも中流かそれよりはうえ。君が私の実家は貧乏だからと言うたびに、じゃあ借家で団地の俺の実家はド貧乏⁉嫌味ったらしいとずっと思ってた。3年前に大手ハウスメーカーで建て替えてオープンハウスでお披露目された実家のどこが貧乏なんだよ』と言われた。
長々書いたけど、育った環境は大事。
今でも私の実家は友達の家に比べて貧乏だという気持ちは変わらないけど。あんなに自分勝手で貧乏な義妹や家族なんて現実にいるわけないと思うけど、いるのかもしれない、自分のまわりとかけ離れ過ぎてるだけでね笑
マンガだから面白い。
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セコケチ義妹がすべてを失った話