4.0
切ない終わり方…
原作コミックとエブリスタ書籍(小説版)の両方を読んでみました。
小説版に忠実と評されている方もいらっしゃいますが、個人的にはコミック版と小説版では明らかに表現や解釈の違いはあるように思えます。
物語の流れや大筋は同じです。
登場人物の違いに関しては[双子]が多い分、明らかにコミック版の方が分かり易く、絵柄も幽幻的に美しくて和洋折衷・古今の違和感も良い意味で魅力的です。
ただ、物語の終盤に差し掛かる辺りから、コミック版は柔らかく小説版は正反対に硬い印象を受けます。
初代の妹巫女である「紅栗」の、姉を殺めた哀しみの強さ故に選ぶ途が、コミック版では一貫して負の連鎖を断ち切ろうとする、哀しいけれど温かさに満ちているのに対し、小説版では後世の巫女にも未来永劫に苦しい呪いの連鎖を強いる怒りの冷たさに徹しています。
【<コミック版の紅栗>→呪われた哀しい運命の終焉⇔「後世の巫女にまで同じ思いをさせたくない。ここで終わらせよう」】
【<小説版の紅栗>→呪われた哀しい運命の継続⇔「私だけがあんな目に遭うのは理不尽。後世の巫女にも同じ痛みと恐怖をずっと味わわせてやる」】
――みたいになってます。
コミック版の紅栗は歪んだ憎しみに、望んでないのに囚われた為、自らを[姫神]と誤認した形になっているので口調も全く異なり二重人格的に豹変しています。
小説版の紅栗は歪んだ憎しみに囚われることを敢えて望んでいるので、自らを[姫神]と認識せず、純粋な悪意に満ちています。
最終的にはどちらも[歪んだ紅栗の魂]を消滅させていますので、その鍵である元来の主役の[姫野菊里・九九里お姉ちゃん]の厳しくも優しい心や想いは損なってはいませんから、そういう意味では物語の魅力にも寸分の遜色も存在しませんが、同じ[姉殺し]という方法でしか解決できない終わり方でも、読後感は全く異なる印象(「良し悪し」という意味ではなく)を受けざるを得ません…。
*いつもながら、長くて読みにくいレビューになった事をお詫びします
- 24