3.0
「サイコパス」をめぐるあれこれ
いつの頃からか、「サイコパス」という言葉はわりと普通に使われるようになった。
それも、随分な誤解を伴って。
サイコパスというのは本来、良心や共感などの感情の一部が著しく欠如した人格を表す言葉であって、クレイジーな殺_人鬼を指す言葉ではない。
というか、サイコパスと殺_人に、直接の関係はない。
ただ、普通の人間が(良心や共感ゆえに)ためらうような行為、例えば殺_人を躊躇なく実行できる場合があるので、冷酷な殺_人鬼のようなイメージがつきまとうようになってしまっただけである。
私は別に、サイコパスの風評被害を防ぎたい、とも思っていない。
ただ、本作の主人公の先生のアイデンティティーは、サイコパスであるということではない、と言いたい。
彼女は、異常快楽殺_人者である。
殺_人自体が目的化しているからだ。
目的のためなら殺_人だって平気、だってサイコパスだもの、ということではない。
繰り返し、殺_人自体が、目的なのだ。
そういう主人公が悪いとは言わないけれど、正直、サイコパスの怖さや、魅力(誤解を恐れずに言えば)を描けているかと言うと、疑問符がつく。
そして、「異常快楽殺_人者の女性」というのは、犯罪史上、皆無と言ってよいほど例がない。
私はこの設定が本当に苦手で、毎回「そんなのいるわけないやん」と思ってしまう。
ただまあ、それはそれとして、思い切ったグロ描写はなかなか気合が入っていて、立派だな、とは思った。
サイコパス云々ではなく、一種のスプラッタとして楽しめばいいのかもしれない。
ちなみに、私がフィクションで出会ったサイコパスの中で最も恐ろしかったのは、小説「黒い家」のあの人(ネタバレを伏せる)である。
サイコパスが怖いとはどういうことなのか知りたい方は、是非どうぞ。
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