5.0
あり得たかもしれない、もうひとつの人生
あるロックスターは、子どもの頃とても貧しくて、遠足に持っていく弁当を準備できなかったという。
そこで、新聞紙に包んだパンをひとつ持っていったら、皆に同情されてしまったそうだ。
大人になった彼は世界的なロックスターになり、金は腐るほどある。
しかし、ロックスターは言う。
「俺が今どれだけ金を出しても、あのときの弁当を食べることは出来ないんだ」と。
この漫画を読んで、そのエピソードを思い出した。
「もしもあのとき…」
「もしかしたらあのとき…」
なんていうのは、基本的に、下らない思考であると思う。
考えてもしゃーないことだからだ。
いくら突き詰めて考えてみたところで、そこには何の生産性もない。
私たちが何とかできる可能性があるのは未来だけであって、過去ではない。
それにもかかわらず、人がときに、「あのとき…」という無意味な仮定を思い描くのは、やはりそこに、無視できない独特の輝きがあるからではなかろうか。
それは、「今」が充実しているかどうか、とはあまり関係がない気がする。
私たちがそこに見るのは、あり得たかもしれない、もうひとつの人生であり、その魅力と愚かさを、あり得ないくらい馬鹿馬鹿しく描いたのが、この漫画なのだと思う。
ロックスターに限らず、おそらく私たちの誰もが、「あのとき食べられなかった弁当」のひとつや二つ、持っているはずだから。
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